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Photo bynoruniru0826

快適さと幸福度が一致しない暮らしのなかに

    LIFULL×noteで開催された投稿コンテスト「#この住まいに決めた理由」への参加作品に加筆修正を加えたものとなります


     住めば都という『ことわざ』が日本にはあって。

     これってつまりは、不便な場所や寂しい場所でも、住み慣れてしまえば愛着が湧いて、住み心地の良い都のように感じられるようになるといった意味のことわざだけれども、これってまったくの嘘。

     不便なものはことごとく不便でしかないし、いつまでたっても住み心地はそれなりのものにしかならない。

     このことわざへのディスは、あくまでも持論であり、私の中の経験則でしかないのだけれど、あえて言わせてもらおう。

    「ボロ家は所詮しょせん、ボロ家であると!」

     かの名作アニメ『機動戦士ガンダム』の第42話にて、ジオン軍総帥ギレン・ザビが言い放った名台詞「あえて言おう!カスであると!」をサンプリングして今一度お聞かせしたい。

    「ボロ家は所詮、ボロ家であったと!」

       1

     わたくし、生まれは神奈川県川崎市、川崎でも工業地帯に程近い、サウスサイドで生を受けた私は、生粋の川崎っ子でもあって。

     六畳の和室が二部屋、風呂なし、和式トイレ完備の、昭和の遺物のようなアパートに五歳まで暮らした私は、小学校への入学を控えて、サウスサイドから少しだけ距離をとった。
     新たな住まいは築四十年以上が経過した集合住宅であり、通称お化け団地と呼ばれる建物の一室だった。
     築数十年のアパートから、築四十年モノの団地へのお引越し。
     両親はとりわけ、アンティークな建物を好みとする人ではなくて、アンティークなものにこだわりを持ったタイプではなかったけれど、住まいとするのはビンテージな建物が多かった。
     子供心に薄々気づいてはいたけれど、我が家は決して裕福な家庭ではないらしい。
     選択肢としてはベストではなくベターをチョイス、その決定権しかない我が家の経済状況は、決して恵まれたものではなかった。

     住めば都のはずの我が家は、クラスメイトの間では、お化け団地とディスられていて。

     四階建ての外壁の塗装、その至る所に傷みが生じた建造物は、日焼け後の肌のように所々塗装がはげ落ちていて、オークル系の塗料の隙間から灰色の素肌を覗かせた、薄汚れた印象の建造物だった。
     席を隣にする初恋相手から、我が家の風貌ふうぼうをディスられた時には、子供心にこたえた。
     髪型を変えることはできるし、体重も減らすことはできるけれど、賃貸である団地の外壁はどう努力しても何一つ変えることはできない。
     無力という漢字の意味を習う前に体感として学んだのは、小学一年生の頃だったと思う。
     人格形成上、羞恥心という感情を人より強く抱くようになったのは、あの頃のほろ苦い経験が色濃く影響しているからかもしれない。

     古ボケた建物の内装は、もれなく古ボケていて。

     重厚な鉄製のドアを開くと、猫のひたいほどの玄関がある。右手には四畳半のキッチンがあり、襖ふすま一枚を隔てた正面には六畳の和室が広がっていて、左手にはトイレがあった。
     トイレの形状は少しばかり変わっており、引っ越し前のアパートと同じ形状の和式タイプではあったものの、40センチほどの段差の上に便器が設置された、変わった作りのトイレだった。
     用を足すためにはもれなく、踏み台昇降運動のような一つ余計な動作が必要となり、用が済んだあとも、階段を後ろ向きで降りるような勇気が必要なトイレだった。
     便器を足の間におさめて、膝を抱えるようにして用を足すこのスタイルは、長時間の使用には向かない。 
     トイレでYouTubeを視聴するなど、本来の目的以外にもトイレという空間を利用する人々もおられるが、常にスクワットの七回目のような負荷がかかり続けるこのスタイルでのケータイの使用は、当然のことながら適さなかった。
     バランスを崩せば即、臀部でんぶからの着水を意味するからである。
     便器にぽっかりと開いた穴は、まさしく穴そのものであり、電球の光も届かない、底の知れない穴だった。
     トイレの入り口付近に設置された陶器製の手洗い場はフィンガーボールほどの大きさしかなくて、指を洗うには事足りたが、手を洗うには物足りない大きさのものだった。
     天井付近には、野鳥の巣箱ほどの木枠に覆われた貯水タンクが設置されていて、そこから鎖が一本ぶら下がっている。
     すべての用を済ませたあとに、鎖を引くことにより、便器からは勢いよく水が流れた。
     『千と千尋の神隠し』にて、腐り神の入浴した風呂に湯を追加する主人公の姿を想像してもらえば、分かりやすいかもしれない。
     トイレのタンクには通常、大小の選択肢があると思うのだけれど、一本の鎖がぶら下がるだけの我が家のトイレには、そんな選択肢はなかった。

     クラスメイトの山川さんの家でトイレを拝借し、いざ流そうとした際に、目にしたことも聞いたこともない大小の暗号を前にして、数分間思い悩んだことを今でも覚えている。

       2

     下駄箱は、夜。
     月のころはさらなり。

     玄関の左手には下駄履が設置されている。
     深夜になると決まってガリガリと音を立てる不気味な下駄箱である。
     我が家の下駄箱の底、その床下に生息する哺乳類には、舞浜界隈に生息するキャラクターのような、あんな愛らしさは微塵みじんもなかった。
     幼少期の経験が災いしてか、世界中の人々が愛してやまないそのキャラクターを、私は愛することができない。
     父親が穴の開いた床板を修繕し、新しいものに変えるたびに、そのキャラクターは意気揚々と前歯を研いだ。
     父親がホームセンターと我が家の行き来を数回繰り返したあとに、区役所から支給されたプレゼントを贈呈すると、我が家には平穏が戻った。

     名曲『アイ・ラブ・ユー』の歌詞のような、軋きしむ床板のキッチンの水道は、水しか出ない。

     高級車のエンブレムを彷彿とさせる蛇口ハンドルには、温水が出る機能は備えられていない。
     蛇口から流れ出る水は、夏場はやや温ぬるく、冬場は容赦なく冷たい、そんなメリハリのきいた水道だった。
     2口コンロの片側に居座ったやかんの残り湯が、冬場の視覚過敏に苦しむ私を何度も救ってくれた。
     キッチンの壁面には、我が家に存在する全ての食器が収納された茶箪笥が置かれていて、僅かばかりキッチンの床板を傾斜させている。
     茶箪笥とバランスをとるようにして対極に置かれた2ドアの冷蔵庫が、床板をさらに歪めていた。
     欠陥住宅の資料映像で見る球体が転がる映像と同じ現象が、我が家の日常には当然のことのように溶け込んでいた。
     フラットアースな様子とは異なる我が家のキッチンをガガーリンが見たら、一体何を語るだろう。
     厳しい冬を数年間やり過ごしたあとに、ガス料金と合算してローンが組まれ、購入された湯沸かし器が、我が家にお湯という文化をもたらしたけれど、私には同時に手荒れという悩みをもたらしたことを、ここに記しておきたい。

     遊びに訪れたクラスメイトの西村さんの家の水道には謎の赤い印が付いていて、蛇口から流れ出るお湯の温もりに数分間手を浸したままの私は、モンキーバレイに暮らす猿だった。

       3

     浴室は、夜。
     雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。

     キッチンの西側に設置されたドアを開けると、脱衣場のない浴室があった。
     二畳ほどの広さがあるコンクリートがむき出しの浴室は、ただの部屋だ。
     壁も床も天井も、四方八方をネズミ色のコンクリートに覆われた部屋はとても浴室と呼べるものではなくて、壁面を覆うバスパネルも、フロアを覆う樹脂製の床シートも、天井には換気設備もなく、ガス管と水道管がむき出しの、かろうじて風呂釜と小さな浴槽が設置されただけのコンクリートの部屋だった。
     浴室(仮)の南側には、ベランダへと通じるドアが設置されていて、ドアの下部にはご丁寧にも通気口らしい溝が数本空けられている。
     冬場になると浴室(仮)の室温は、外気とさほど変わらない。
     ヒートショックを推奨するような作りの浴室(仮)は、湯気で温められた浴室の熱も、湯船の温もりも、入浴する人間の体温も、同時に奪っていった。
     コンクリートがむき出しの床には、木製のすのこが二枚敷かれていたけれど、断熱効果は期待できず、冬場のシャンプーは修行であり滝行だった。

     一度湯船に浸かると上がることができず、冬場の浴室(仮)での私は、モンキーバレイに暮らす猿だった。

       4

     四畳半と六畳の和室の紹介で、我が家のお家探訪も終了である。
     四畳半の和室の東側一面には箪笥が二棹ふたさお並び、部屋を圧迫している。
     五段ある引き出しの、上から数えて一段目を父親が、二段目を母親が、三段目が兄で、私が四段目を、五段目は礼服など普段使いされない衣類の収納されていた。
     突然の悲報となるが、私には三歳年上の兄がいるが、兄妹仲は決してよろしくはない。
     不仲になった切欠として思い当たるところがあるすれば、子供の頃に兄がイジメの被害者となって、私も妹として同じく標的になったからだろうか。
     小学校高学年の男子にしては、兄には少し変わったところがあって、可愛らしいキャラクターのグッズを集めることが好きなようだった。
     シャーペンやノートには、そのキャラクターが描かれたものを使用していたし、共同で使用していた学習机にも、そのキャラクターのグッズが溢れていた。私は女の子であったから、その様子を何ら不思議がることなく受け止めていたけれど、兄の同級生の男の子たちとってはそうではなかったらしく、ある日、兄はランドセルいっぱいに砂を入れられて帰ってきた。
     母は咎めるようにして、兄にその理由を問うていたけれど、兄は頑なに口を開かなかった。
     とある放課後、友人と二人で下校する私を呼びとめる声があって、校門の前には六年生の男の子たちが数人群がっており、「お前、オカマの妹か?」と私に言った。小学三年生の私には、オカマの意味が理解することができず、怖くなって校門の前を通り過ぎたのだけれど、歩道橋の階段を駆け上がる私に向かって、周囲にもよく届く声で、「オカマの妹」「ホモの妹」という言葉を叫んでいた。
     オカマやホモという言葉の意味はよく分からなかったけれど、人を侮辱する言葉であることは、ニュアンスとして私にも伝わってきて、悲しくて泣きながら帰った。その翌日も翌日も、兄の友人たちは私をつけ狙ってきて、背を向けて走り去ろうとする私の背中を、そのうちの一人が蹴った。暴力から私を守ってくれた赤いランドセルには黒く、悪意の跡がくっきりと刻まれていて、私は母に、兄のようには怒られたくなかったから、公園でひとり、ランドセルを洗った。
     家に帰ると、平然とテレビを眺める兄の姿があったので、悔しさの原因は兄にあると思い、私は兄を罵ののしった。
     その日から、兄とは会話らしい会話をしなくなって、今現在に至る。
     学習机の横の壁、兄が貼ったアイドルのポスターの下に、隠されるようにして書かれた「死にたい」という落書きを、消しゴムで必死に消したことだけは、数少ない兄との思い出として覚えている。
     
     険悪なままの関係性が数年間続き、熟年夫婦のような冷めた時間を過ごしたあとに、私たちの子供時代は終わった。
     仲直りというものは、子供時代だからこそ容易に成り立つものであって、子供時代が終わりを告げれば、その関係性の修復はほぼ不可能になった。
     大人になった今も希薄な関係性は続いていて、連絡を取り合うことはないし、兄の電話番号すら知らない。

     十数年が経過して、そんな思い出も風化しかけた頃に、兄に恋人といわれる人を紹介された。
     顔合わせのために、実家でささやかな食事会が開かれることになって、兄とは不仲な私も両親の説得を受け、渋々同席したのだけれど、兄の隣に座る人を目にした瞬間、不思議と優しい気持ちになった。
     
     古ぼけた団地の一室の、古ぼけた座卓の前で、パートナーでいる人と、笑い合う兄を見ながら私は、「いい人に出会えてよかったね」と、心の中でひとりごちた。

       5

    「ミサキさんのランチボックスの中っていつも、鳥取砂丘を彷彿させますよね」と、屈託のないディスが隣から飛び込んでくる。

     パート先のバックヤードにて、持参したランチボックス内のカニクリームコロッケを口に運んでいる時にふと、隣に座るアルバイトの心那ここなちゃんが呟いた。
    「色味がってこと?」と、その揶揄やゆに対して応戦すると心那ちゃんは、「まあそんな感じです」と、嫌味な笑みを浮かべた。
     キラキラネームの心那ちゃん自身は必ずしもキラキラしておらず、陰鬱いんうつな雰囲気をかもし出すセブンティーンの元JKである。
     この春高校を中退し、今はしがないスーパーマーケットで、品出し兼レジ打ちのアルバイトをしている。
    「うちの親、離婚するみたいなんですよね」 
     バイトの初日、その休憩時間のバックヤードにて、初めましての距離感で、何気なくアルバイトをし始めた理由を尋ねた私に対して、心那ちゃんが返したアンサーは実にヘビーなものだった。
    「一緒に暮らすとしたら母親なんですけど、経済的な面を考えたら父親も捨てがたいんですよね」
     アルバイトの初日に、初対面の相手とする会話として今の時代、正解なのかどうかはしらないけれど、不思議と腑に落ちたような気がした。
    「だからまあ家計を助けるための一つの手段というか、父親についていって新しい母親と暮らすわけにもいかないだろうし、結局は消去法で一択なんですけどね」
     乾いた笑い声がバックヤードに響いて、心那ちゃんはペットボトルの中のルイボスティーを飲み干した。

     離婚という男女の別れ、その後の肩輪走行の人生が子供に与える影響を考える。

     美人は三日で飽きるというが、私は三年で飽きられたらしい。
     夫の浮気が発覚したのは、不倫バッシングという風潮が完全に市民権を得て、吹き荒れる2019年のことだった。
     ルッキズムな基準で劣る私が結婚をしたのが三年前であり、娘は今年三歳を迎える。
     一年間の交際期間を経て結婚をし、三年間の夫婦生活を経て離婚をして、どこぞの神様の前で誓った永遠の約束は、簡単にやぶられることになった。
     小学校の在籍期間よりも短い、ままごとのような結婚生活は、呆気なく終わりを迎えた。
     離婚原因として一番多い理由は、価値観のズレやコミュニケーション不足があるらしく、ランキングの2位には異性関係があり、3位にはDVやモラハラをはじめとした精神的・身体的虐待が続き、4位には金銭感覚の不一致が、5位以降は性生活の不調和、つまりはセックスレスなどが上位を占めるらしかった。
     医療機関を受診する際の問診票のように、私たち夫婦の離婚原因をチェックしていくと、1位から5位のすべての項目が当てはまった。
     ポーカーでいうならロイヤルフラッシュとなり、麻雀で例えるなら九蓮宝燈(チューレンポートウ)といったところだろうか。

     高校を卒業して、そこそこの会社に就職した私は、そこそこの仕事を任されるようになった頃に、そこそこの恋愛を経験して、そこそこの男と結婚した。
     私の夫となったそこそこのその人は、普通の人であった。
     そこそこの会社でもそこそこのポジションにいて、仕事面でもそこそこ頼りになった。
     仕事上の先輩後輩という関係性がいつしか友人関係へと変わり、いつの頃からか男女の恋愛関係に発展した。
     恋愛というものは季節性の風邪のような側面もあって、そんな流行り病に対して耐性の乏しい私には、目に映るものすべてが新鮮だった。
     ショートケーキの上の苺を最後まで残して食べる元夫の癖が、当時は愛おしくも見えた。
     そこそこの男であった元夫が、唯一無二の存在と思えたのは、恋愛という病が私に幻を見せたからかもしれない。

     鉄は熱いうちに打てというし、飴は熱いうちに練ればツヤが出て美しさが増し成形しやすいというけれど、結婚は少しだけその熱が冷めてからするべきだったと身を持って知ったのは、離婚届に記入された夫の妙に丸い文字に、腹を立てたあとのことだった。

       6

     キラキラネームの心那ちゃんにミサキさんと呼ばれる私の名前は美咲と書くが、一度も美しく咲いたことがない。

     シングルマザーという立ち位置になってからは、本を読む習慣(唯一の趣味)は失われてしまったのだけれど、独身時代は仕事帰りによく書店に立ち寄っていた。
     平積みされた新刊を物色しては、給料日に数冊購入することを密かな楽しみともしていた。
     陳列された書籍の帯には、著名人からの推薦文やら購買意欲を煽るコピーやらが躍る。
     一冊二千円前後する単行本の購入は、薄給である私にはまあまあのギャンブルでもあったけれど、推薦文を盲信してレジへと足を向ける。
     競馬新聞に打たれる印や、陣営からの一言コメントを頼りにして、馬券を購入するオジサンたちのようにして、私もレジへと並んだ。
     この相手でも好勝負だとか、強いメンバーが揃っているが展開次第ではチャンスありだとか、陣営からの力強いコメントに背中を押されるようにして、勝馬投票券発売機の前に立つオジサンたちのマインドと、レジに並ぶ私の心持ちは似ている。

     しがないスーパーマーケットに勤める私は、値札に表示された特価品の価格が、実は通常価格とさほど変わらないことを知っていて、POPに躍るコピーは、必ずしも情報を正確に伝えるものではないことがある。
     そこには、ミステリー小説に登場する真犯人のように、売る側の意図のようなものが巧妙に隠されていたりもする。
     両親が私の名前、美咲という文字にどれだけの意味を込め、どんな未来を託したのかは知らないけれど、咲いた花は決して美しい花ではなくて、道端のタンポポにすら見劣りするような(タンポポはキレイな花です)、そこそこの花だった。
     そんなそこそこの花に、一匹の蜜蜂が舞い降り、戯たわむれ、花は子を宿したが、蜜蜂は新たな花の蜜を求めて飛び去っていた。
     そこそこの夫がコソコソと浮気をする姿は、見ていて哀れでもあったし滑稽こっけいですらあった。

     美しく咲けなかった花の色は、一体何色をしているのだろうか。
     蜜蜂にその関心を失わせた色の花は、一体何色をしているのだろう。

     マクドナルドのシンボルマークがライトアップされ、夜空に黄色い花を咲かせている。
     駅から続くこの道を通るといつも、同じ匂いがした。
     元夫はフライドポテトには必ずケチャップを必要とする人であったが、私は必要としない人であった。
     趣味嗜好しゅみしこうの異なる二人が、人生を共にする結婚という行為は、私には向いていなかったのかもしれないないなあと今更ながらに悟る。
     灯りを欲するようにしてスマホを取り出し、鳥取砂丘を検索してみると、私のランチボックスの中と同じ風景が、画面一杯に広がっていた。

       7

     恋に落ちるのが一瞬なら、別れも突如として訪れる。

     賃料五万五千円、管理費・共益費二千円、築三十年木造アパート二階建ての二階、六畳の洋室が二部屋の2K、風呂・トイレは別、専有面積は33平米、出窓、南面2室、南面バルコニー、上階無し、共用部は公営水道、駐車場は無、ガスはプロパン。

     就職のために実家を出て、離婚のために部屋を出ようと決めた私だが、そこそこの人であった元夫はその身体ひとつで出ていった。元々手狭な部屋ではあったし、家賃も一人で払えない額ではなかったから、そのままその部屋に住むことにした。子供を預ける保育園は職場とはまるで反対方向だったけれど、私に残された唯一の財産である電動アシスタント自転車(通称テスラ)があるから平気だった。
     最寄りの駅までは徒歩三十分の場所に建つグランドコート西川が、今現在の私の城だ。
     グランドコートと呼ばれるその建物だが、まったくグランドではなくて、グランドしていない。
     住人の私が名前負けをする女なら、居城とする城も完全なる名前負けであった。
     壁や天井は薄く、生活音が筒抜けの建物ではあるし、床はフローリングではなく、フローリング調のクッションフロアが敷かれている。
     トイレは洋式タイプではあるが、ウォシュレット機能のない普通のものだ。
     風呂釜に追い焚き機能はあるが、浴室には乾燥機能は付いていない。
     シャワーヘッドの直径はトイレットペーパーの芯ほどの大きさしかなく、水量も控えめだった。
     キッチンにはコンロが置けるスペースが設けられていたけれど寸法が足りず、ガス栓も変な位置に取り付けられていて、結局はIHクッキングヒーターに頼ることになった。
     ようは、グランドコートという名称の大阪城ではなく、木下藤吉郎が一夜で築いた墨俣の一夜城に近かった。
     織田信長の美濃攻略に重要な役割を果たしたこの一夜城だけれど、私にとってグランドコート西川も重要な城だ。
     何しろ子供と二人、これから慎つつましく暮らしていかねばならぬのだから。

       *

     バックヤードでランチボックスの中をつついていると、気だるい足取りで近付いてきた心那ちゃんが隣の椅子に腰を下ろした。
     昼番を中心にしてシフトに入る私だが、心那ちゃんのシフトと重なることが多く、休憩時間も重なることが多い。
    「ミサキさん、乙です」
     自家製の茶色い弁当を持参する私に対して、那ちゃんはいつも昼食を持参していない。
     隣でスマホ画面を睨みながら、つらつらとスクロールを繰り返す心那ちゃんが、ちらちらと視線をこちら側に向けていたが、気づかないフリをした。
     私のランチボックス内の風景は今日も、彩りが足りていない。
    「ミサキさんって、新潟って行ったことありますか?」
     心那ちゃんの第一声が、自家製弁当へのディスではないことに、一先ず安堵あんどした。
    「ないけど」
    「はあ〜、ないのかぁ〜」
     心那ちゃんはこの世の終わりのような、ムンクの叫びのような絶望的なリアクションをとると、テーブルに突っ伏した。
    「新潟が何よ、行ったことはないけど」
     そのまま会話を打ち切るには少しばかり可哀想に見えて、新潟には行ったこともない私は、新潟に興味があるフリをした。
    「新潟の冬って寒そうですよね?」
    「まあ、そうよね、雪国のイメージがあるし、寒そうではあるよね」
    「冬とかってやっぱり、雪も凄い感じですかね?」
    「当然降るんじゃない? だって雪国だし」
    「そうですよね〜、やっぱり、振り積もりますよね〜」
    「振り積もるわよ、だって雪国だし」
     心那ちゃんは手のひらにおさめたiPhoneの画面を私に向けると、悲壮感をあらわにして、
    「今調べてたんですけど、新潟の冬の平均気温って5℃らしいです」と言った。
     テーブルに上半身を預けた姿勢のままで、顔だけを横に向けた心那ちゃんは、恨めしそうにして私を見つめてくる。
    「冷え性の人間に新潟の冬って、あまり良くないですよね?」
    「まあ、冷え性の人にとって冷えは大敵よね」
    「ですよね? 冷え性の人は新潟には住めませんよね?」
    「住めないってことはないんじゃない? 新潟に暮らす人の中にも冷え性の人はいるだろうし」
    「いるかぁ〜、冷え性、まあ、いるよな〜」
     会話の内容をいまいち掴み取ることができず、この不毛なラリーに対して興味を失いつつあった私の関心を繋ぎ止めるようにして、心那ちゃんはコトの核心に迫りだした。
    「私、引っ越すかもです」
     箸で挟み損ねたプチトマトが床へと落下する。
    「昔、少し話したことがあるかもですけど、正式に両親の離婚が決まったらしくて、母親が実家に戻るみたいなんですよね。その実家があるのが新潟で、私も母親に追従するかたちで新潟への移住になりそうです。でもまあ私の場合、高校はドロップアウトしてるんで、そのへんの面倒くささはないかもですけど」
     テーブルに預けた上半身を無理矢理引きはがすと、心那ちゃんは伸びをするようにして、「寒いのヤダな〜」と、白息しらいきのような、今にも消え入りそうな声を残した。

     親不孝という言葉が世の中には蔓延はびこるけれど、子供不幸な親も同時にいるのかなあと思う。扶養義務が生じる親の元での子供の選択肢は、絶対的に限られる。子供の生きる環境を歪めてしまうような、その後の人生を大きく変えてしまうような決断を、男女のそれで決めてしまう離婚という行為は、どう考えてみても大人の都合であり、正当化はできない。そんな正当化できない子供不幸な決断をした私は、子供不幸な親なのかもしれなかった。

     心那ちゃんがトイレへと消えていって、バックヤードに一人残された私は、新潟を検索してみようと、尻にしまったままのスマホを取り出した。
     ロック画面を解除して、待ち受け画面を開くと、LINEには母からのメッセージが来ていた。

     昨日、お父さんがコロナになりました。

       8

     令和二年三月、日本を代表するコメディアンがこの世を去った。

     2019年12月、中国湖北省武漢市で原因不明の肺炎患者が最初に報告されたことを期に、この未知のウイルスは各国へと感染を拡大し、パンデミックへと発展した。世界保健機関(WHO)は現在も、新型コロナの起源調査を継続しているが、結論は出ていないとしている。
     この未知のウイルスによるパンデミックの波は、当然のことながら日本にも押し寄せた。
     感染対策としてマスクの着用が義務付けられ、ドラッグストアからはマスクが姿を消し、マスク不足に陥った人々の間で争奪戦が繰り広げられた。
     時の総理大臣はマスクの無料配布を決断し、国民に対して布マスクの提供を約束した。
     数ヶ月後に届けられた布マスクの装着感には、安心感というよりも、給食当番以来の懐かしさがこみ上げた。
     テレビからは連日、その感染者数と死亡者数の情報が届けられ、夕食時のBGMとしては決して適さないであろうその習慣が、当たり前の風景となった。
     そんな当たり前の風景の中に私の父親もいて、感染者数の一人として、その数を上積みすることになった。
     数十年間の喫煙歴を自負する父親の肺は実に脆弱ぜいじゃくであって、猛威を振るうコロナウイルスにも、当然のことながら無力だった。

     当時の私には人の死というものが、どこかフィクションのように感じられるところがあって、テレビに表示される死者数その一つ一つに、多くの人生があることを、まるで想像できていなかったように思う。
     数字が表すその数と同じだけ、多くのかけがえのない人生があって、それはフィクションなどではなく、決して作り物でもない。その物語に登場する人物は、当然のことながら血が通っていて、そんな生身の人間が傷つけば、その家族も同様の痛みを負うことになる。
     連日報道され、積み重ねられる死者数を見ても、何ら危機感めいたものは芽生えず、感染者や医療従事者が唱える警鐘にも耳を傾けることもせずに、他山の石ともしなかった、私に降りかかったコロナという現実。
     世に巻き起こる騒動を対岸の火事として眺め、自分には実害のないこととして、苦しむ人々の災難を気にかけることもなく、少しの痛痒すら感じることなく、ただ傍観していた私に訪れた、突然の父との別れ。

    「私にとって父親はどんな人であっただろう」と、今さらながらにふと思うことがある。

     賑やかな人ではなく、物静かな人だったと思う。
     派手な人ではなく、地味な人だったと思う。
     愉快な人ではなく、厳格な父だったと思う。
     厳しい人ではあったが、優しい人でもあったと、今は思う。

     冗談の一つも言わない厳格な父が、日本を代表するコメディアンと同じ病でこの世を去ったのは、2020年夏のことだった。

       *

     ごめんね、何もできなくて。
     涼宮ハルヒが歌う歌詞のような、神のみぞ知る憂鬱な日々を二週間ほど過ごしたあとに、父は力尽きた。
     面会制限が通例とされ、その不安や痛みにも寄り添うことができず、さよならを言う機会すら奪われたことが、小さな後悔として私の中に残っている。
     私の中にぽっかりと開いたこの穴は、この先も決して埋まることはないのだろうし、消えることもないのだろう。

     私にささやかな痛みを与え続けるであろうその人は、今日も素知らぬ顔をして、遺影の中で屈託のない笑顔を浮かべている。

       9

     2022年春。
     就職とともに家を出て、結婚からの出産、から離婚という人生の一大イベントを一通り経験した私は、娘とともに約八年ぶりに実家に帰還した。
     その切欠は母からの一通のメッセージであり、実に不謹慎なものだった。
    『お父さんも死んじゃったし(サムズアップ)、あんたも離婚したし、部屋も空いてるし、また一緒に暮らさへん?』
     お父さんも死んじゃったしの直後には、親指を立てたスタンプが表示されていた。
     困惑という戸惑いを抱えながら返信を迷うスマホが、数分後にメッセージを受信して、再度送られてきた内容では問題のサムズアップが、また一緒に暮らさへん? のあとに移動していたのでホッとした。
     真面目な話をする時には決まって照れ隠しのように、西加奈子のような口調になるユニークな母ではあったが、父の逝去から半年後のジョークにしてはブラック過ぎる。

     葬儀を終えた夜に、兄とは連絡先の交換をした。
    『母さんも一人になってしまったし、これからは毎年必ず帰るようにする』と、兄からのメッセージが届いたのは、葬儀から数日後のことだった。
     不仲だった兄妹の和解という予期せぬ効果をもたらした父親の死、その悲しい出来事をきっかけとして交わされた約束は、今も堅く守られている。
     父の生前にそれができなかったというのは、何とも皮肉な話であり親不孝な話だ。

     私は結婚後も度々帰省することがあったけれど、住み始めるとやはりその古さが目に付いた。
     夏は暑く冬は寒い、あの頃と同様に、家の中で季節の移り変わりを強く感じることができる建物であることに変化はない。
     日々、YouTubeのDIY動画を検索しては、リフォームのあれこれを独学で学んでいる。
     ホームセンターと百均のヘビーユーザーとなった私は、休日を利用して部屋の魔改造に取り組んでいる。

     快適さと幸福度は、必ずしも一致しない。

     快適さとは程遠い我が家だけれど、忘れがたい思い出がたくさん詰まる家ではあって。
     快適さとは程遠い我が家だけれど、手放したくない思い出が、たくさん詰まる家でもあって。
     快適さとは程遠い我が家だったけれど、私の幸せは今、間違いなくこの場所にあった。

     家が人を作る。

     家族の気配が感じられる部屋の作りや、絆を深めることに大きな役割を果たした手狭な間取りが、私にとって大切な思い出を育み、私という人間は作られたのだなあと、相田みつをのように感じることがある。
     今の私があるのはあの頃の時間があるからであり、この家で過ごした日々が私という人間を形作っている。

     駅から徒歩二十五分、近隣に小中学校、商業施設あり、だけど築数十年が経過するお化け団地。

     この家に暮らす娘は来年には、私が通っていた小学校へと通い始めるのだろう。
     もしかしたら初恋の男の子に、我が家をお化け団地とディスられてしまうことがあるのかもしれない。
     でもね、住めば都となるように、住めば都と思ってもらえるように、ママはDIYを頑張るよ。

     父や母があの頃、私にしてくれていたように、今度は私が、住めば都となる家を作っていきたいと思う。

       10

     春は、門出。
     やうやうしろくなりゆく世の中は。

    「0…3…0…2…」と、郵便受けに取り付けられたダイヤル式の南京錠を回した。
     郵便受けから不用品回収業者のチラシと葬祭業者からのチラシ、ピザ屋のチラシと一通の封筒を取り出し再び施錠する。この建物以外に暮らしていた時には気付かなかったことだけれど、老朽化した建物や、ある程度の築年数が経過した集合住宅のポストには、不用品回収業者や葬祭業者からのチラシが多く届けられる。夜には救急車のサイレンが響くことが多いし、警察のパトロールも頻繁に見かけることがあった。何かの事件性を想像させるような、孤独死を連想させるような、そんな寂しさを期待するようなチラシを取り出すたびに、世知辛い世の中だなあと暗い気持ちになった。
     鍵穴に鍵を挿し込み、ガチャリと派手な音を立ててドアを開くと、「おかえり」「おかえり〜」と明るい声が耳に届いた。ツインテールの黒髪を大きく揺らしながら、娘が駆け寄ってくる。手洗いとうがいをして、着替えを済ませてから席につくと、母が料理した温かい料理がテーブルの上に並んでいた。基本、ブラウン系の料理が多い我が家の食卓だけれど、オアシスに生育するナツメヤシのように、私たち親子が引越してきてからは、サラダが一品追加されるようになった。「いただきます」を合言葉のように唱えて、箸を交えながら、一日の出来事を報告し合う。今日はキャベツが安くてねだとか、二号棟のヒロキくんに意地悪をされただとか、何のオチもない話で笑い合う。
    「そういえば管理会社から何かきてたよ」
     不用品回収業者と葬祭業者のチラシに挟まった封筒を母に手渡した。封筒に印刷された管理会社の名前を確かめると、「はて、何やろね。家賃でも上がるんかね」と、母は老眼鏡を取り出し、書類の内容を確かめ始めた。
     いまだに矯正箸を使う娘の不器用さは、私譲りの遺伝なのかもしれない。
     半分にカットされたプチトマトが、娘の皿の上でクルクルと回っている。
    「サキちゃん、これどういうこと? お母さん、よう分からんのだけれど」
     母から手渡された書類に目を通すと、それは老朽化した我が家の建て替えのお知らせだった。

     仰々しい挨拶のあとに、管理会社からのその説明によると、建替工事と余剰地活用計画を一体的に事業公募する方式を採用することによって、敷地面積約1万6,000㎡のうち約1万0,000㎡は民間不動産会社に売却し、残りの約6,000㎡の敷地で建替工事を行う予定であること。また、年明けから敷地内にある1号棟から5号棟部分の建物を取り壊し、その場所に新たな賃貸マンションを建設して、現住人がその建物および他住居への引っ越しを済ませたあとに、残りの建物を取り壊して分譲マンションが建設される予定であることが記されていた。
     新たに建てられるマンションの新規募集家賃は二桁を超えていたが、現住人には家賃補助制度が適用されるらしく、収入に合わせて三割から五割弱の補助が受けられるようだった。

     賃料十万円、管理費・共益費四千円、新築マンション、六畳の洋室と十三畳洋室の1DK、風呂・トイレ別、専有面積は46平米、全居室フローリング、南面バルコニー、6階建て、エレベーター有り、オートロック、全室ディンプルキーを採用、エントランスに宅配ボックス有り、共用部は公営水道、駐車場有り、ガスは都市ガス。

     一年後に予期せぬかたちで建て替えが決定した。
     新たに建てられるマンション、その割り当てられる部屋は、公平性を重視して、抽選による決定となるらしい。

     皿の上ではクルクルと、プチトマトが回転を続けている。
    「ハナちゃん、トマトでブレイキンするの禁止!」
    「はあ〜い」 
     神奈川県川崎市ミゾノクチは、ブレイキンの聖地として知られている。

     来年の抽選会にはもちろん、私も参戦予定である。

       了

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