
夫へのクイズ 正解のないクイズに正解をするまでの
日課の風呂掃除を行いながら、排水溝に溜まった抜け毛の本数を気にして、悲嘆に暮れる夫の背中に、妙な愛おしさを感じるようになった私は、変わり者なのだろうか。
「夏海さん、今日は少なめだったよ」
休日の昼下がりの夫婦の会話として、相応しい会話なのかどうかは知らんけども、夫の性もない報告に対して「お、おう」と、私は相槌を打った。
レンチンした冷食の炒飯に、夫婦揃って舌鼓を打って、昼食後に夫は亜鉛が含まれたビタミン剤を服用し、食器を洗い始める。
テレビからは、決して上手いとは言い難い素人たちの歌声が聞こえきて、寂し気な鐘の音色と共に、強制退場を強いられていた。
「夏海さんも飲む?」
ビタミン剤を? とは思ったものの、そうではないらしく、洗い物を終えた夫がマグカップを手にそう尋ねてきたので、飲むと即答すると、夫はやかんで湯を沸かし始めた。
我が家には、サイフォンやコーヒーメーカーなんて小洒落たものはなくて、コーヒー瓶からスプーンで好みの量を掬い、直接湯を注ぐ。
コンロに火をかけた夫が『思い出がいっぱい』を口ずさみながら、やかんの中のエイチツーオーが沸騰するのを待っていた。
「夏海さん、ハゲた男性って正直どう思う?」
コーヒーを手にして戻ってきた夫は隣に腰を下ろすなり、女房役である私のミットに対して、渾身のストレートならぬ、直球の質問を投げ込んできた。
日曜日の昼下がり、夫の手にはリモコンが握りしめられていて、公共放送からポチポチとチャンネルを変えている。
テレビのチャンネルは大リーグ中継に切り替えられていて、ドジャース戦が流れていた。
ハゲた男性にも色々な種類やパターンがあると思うのだけれど、総じてという意味で? という逆質問をした私に対して夫は、ビジュアル面という意味でと、普段見せたこともない真剣な眼差しで私を見つめてくる。
カフェインでキマってしまった夫の眼光は、数キロ先の獲物を捕らえる鷹のようだ。
一括りにハゲと言いましても色々ございまして、白は二百色あると説くアンミカのように、ハゲにも色々な種類がある。
ブルース・ウィリスやジェイソン・ステイサム、ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンは、ハゲでもお洒落な感じがするし、国民的お父さんの磯野波平のそれとは大きく異なる。
身長168センチの小柄な夫のハゲは、どちらかと言えば、将来波平になる可能性が高いものだった。
テレビの中では大谷翔平がホームランを打ち、その日先発のグラスノーが長髪をなびかせながら、強打者たちを抑え込む快投を見せている。
まあ、ジェイソン・ステイサムとかは、お洒落な感じがするよねと、私は無難な回答に抑えた。
「僕はどう間違ってもジェイソン・ステイサムにはなれないし、あんなマッチョなタイプではないけど、ハゲたらあんな感じになれるだろうか」
いやいやなれませんけども、という至極真っ当な回答は控えることとして、体でも鍛えたらなれるんじゃない? と、遠回しに否定してみた。
夫は身長168センチで52キロの小柄な人であり、どう抗ってみても、ジェイソン・ステイサムになることはできない。
昨今は薄毛に悩む男性に対して、AGA治療なども推奨されているが、夫は頑なに市販の育毛剤などにこだわりを見せ、頼りにしているようだった。
夫いわく、ハゲは病気ではなく努力、アンチエイジングの一つだからと、何とも受け売りな持論を持っている。
アンチエイジングという言葉など、一体どこで覚えてきたのだろうか。
スネ毛も生やし放題の、美意識の薄い、体毛だけが濃い夫の口からそんな崇高なワードが吐かれても、何の説得力もなかった。
「増毛という手もあるけれど、費用的には高いと聞くし、アフターケアも必要であるから、実際にするとなるとハードルが高いような気がする」
夫はつけ焼き刃の知識を披露するように、情報番組にて極めて薄いコメントを残すタレントのようにして、薄毛治療のノウハウを語り始めた。
「カツラという選択肢だけは、最後の希望として残しておきたい」
何を言っているんだコイツは。
そんな小さな希望、ポイと捨ててしまえ。
と、怒気を含んだ声でたしなめたかったものの、思わずその言葉を飲み込んだ。
私はすたすたと寝室へと消えていって、寝室にある衣装ケースの中からウィッグを取り出してきて、夫の頭にポンとかぶせた。
*
子宮がんのステージ2。
四年ほど前に私が患った病気の名前であり、そのウィッグはその時の名残だ。
結婚から数年が経った頃、新しい家族でも増えるのかなあと思っていた矢先、軽い体調不良に見舞われた私は、数年ぶりに受けた健康診断でがんが見つかった。
長い人生を生きる上で、あまり使用する機会などないであろう青天の霹靂という言葉が、頭の中にぼんやりと浮かんだ。
郵送で送られてきた要再検査の通知を、一ヶ月間放置していた自分の愚かさを悔やんだ。
夕飯の買い物にでも出掛けるようにして、自転車で駅へと向かい、その駅前にあるバスターミナルから発着する直通の送迎バスにて、一人病院へと向かった。
車内では顔見知りであるのか、隣に居合わせたお年寄り同士が、雑談に花を咲かせている。
曇天に浮かぶ太陽は、すりガラス越しに見る光のようでいて、朧げであり頼りない。
私の不安を見透かしたかのようにして、励ましにもならない不快な笑い声が、車内には響いていた。
予約した時間から三十分ほどが過ぎて、緊張の面持ちで診察室へと入っていくと、少し硬い表情をした医師が、手元のマウスをカチカチと鳴らしながら、パソコンの画面を眺めていた。
異常はないですね。
今日までこれといった大病もせずに、のうのうと生きてきた私は、その常套句を期待したのだけれど、医師が発したその科白は、そう楽観的なものではなかった。
医師が口にした厳しい現実が、私をこの世界から逃避させていく。
病気の説明と今後の治療法に関して医師は、何やら専門用語を交えて流暢に語っていたのだけれど、私にとってはそれが、どこか他人事のような、イヤホンから流れてくる英会話の睡眠学習のように聞こえていて、自分の中に落とし込むことが難しかった。
高座を降りる際に使われる締めの挨拶のようにして医師は、次回はお二人でと言った。
おあとがよろしいようで。
あの医師を名乗る男性の正体は、実は落語家ではないのだろうか。
古典落語の疝気の虫(せんきのむし)のように、何かオチらしいものを探したけれど、医師からの説明には何のオチもなかった。
あの日、どういう道順で帰ってきたのか、家へと辿り着いた私は、何も覚えていなかった。
子宮がんのステージ2においては、子宮温存は極めて限定的であるらしい。
一般的にステージ2は、がんが子宮頸部を超えて周囲組織にまで浸潤しているため、子宮摘出が標準治療になるらしく、初期のステージ2であれば、温存治療が検討される可能性もあるものの、リスクが高いため、慎重な判断が必要なようだった。
自らが患ったがんという病名にもショックを受けたが、それ以上にショックだったのは、子供を持てなくなる未来を、見ず知らずの他人から突きつけられたことだった。
結婚というものをしてから頭のどこかで、子供という存在は考えてもいたし、実行に移す努力はしてこなかったけれど、漠然とその姿を思い描くことはあった。
リスクの高い温存治療を選ぶのか、標準治療である摘出治療を選ぶのか。
その答えを出せぬまま、時間だけが無駄に過ぎていった。
*
クイズ番組ではおおよそ、その回答に迷った時、演出としていくつかの救済措置が用意されている。
が、今回のこの選択だけは、オーディエンスに託すわけにもいかなかった。
結論は早ければ早い方がいいですと、医師からは決断を急かされているような気配もあったし、制限時間も決められているような気がした。
このクイズに設けられたタイムリミットは、私自身の生命に直結する。
親しくしている友人は数人いたけれど、私の運命を委ねるわけにもいかないし、相談するとすれば、夫しかいない。
両親は早くに亡くなってしまっているし、私に頼る人がいるとすれば、夫であるこの人しかいなかった。
私の夫は少し気の小さい人で、点けっぱなしの電気にもいちいち文句を言うような、気の小さい上にケチ臭い人だった。
名は体を表すというが、倹約の倹に吾と書いてケンゴと読んだ。
倹約家であることに加え、幼い子供が初めてお使いをするような番組を見て、平気で涙を流すような人でもあって、子供が好きな人であることも結婚前から知っていた。
もしも私が子宮を失ってしまったら、この人の子供を産んであげることができなくなるし、漠然と思い描いていた家族のかたちのようなものを、私の決断によって歪めてしまうことに、どこか罪悪感にも近い感情が芽生えていた。
夫婦にとって、子供はすべてではない。
子供がいない夫婦など、世の中にはたくさんいるし、子供がいない家族など、世の中にはたくさん存在する。
けれど、子供を持つ持たないの選択以前に、夫婦としての人生の、その可能性を、私の病気によって狭めてしまうことが、何よりも苦痛に思えた。
自らの、その現実を受け止める覚悟のような、受け入れる勇気のような、そういった強さのようなものが、私には何ひとつ足りていない。
結論を出せない日々を一人で悶々と過ごしていた私は、意を決して夫に相談する日を決めた。
夫婦なのだから、とうに相談することは決まっていたのだけれど、私の中で荒れ狂う感情をコントロールして整理するまでに、少しの時間を要した。
週末を控えた金曜日の夜、ソファに座りながらテレビを眺める夫に、病気のことを打ち明けた。
それまでの経緯を切々と時間をかけて説明し、決断を迷っていることを相談すると、夫は熟考する様子も迷う素振りも見せず、あっさりと「Bで」と即答した。
私が夫に提示したAの選択肢は、子宮を温存した未来を探る方法であり、Bは摘出治療だった。
Bの場合、子供を持つ未来は失われることになり、予定していたと思われる家族のかたちが不可能になってしまうことを再度伝え、もっと時間をかけて考えてほしいと言った。
私と夫の二人しかいない部屋には、いつも他人の声しか響かずに、最近は明るい笑い声もない。
聞こえる声があるとすれば、テレビから聞こえてくる大袈裟な笑い声だけだ。
夫はその、今は煩わしいだけの声を、リモコンを手にしてシャットアウトすると、ひとつ深い息をしながら、「少し違うかも」と呟いた。
「何か誤解してるみたいだし、隠しても仕方がないから正直に話すけど、子供は好きだし、そういう将来も考えたことはある」
「やっぱりそうだよね」
落胆した様子を見せる私とは対照的に、夫は実に落ち着き払った様子で、
「でもさ、その未来には夏海さんがいることが必要であって、その未来に夏海さんがいないことのほうが、僕には想像したくないことなんだよね。僕の夢は子供を持つことではなくて、夏海さんと生きる未来の先に、子供がいるような未来だから」
「……」
取り柄という取り柄もない年下の夫が、ベタな恋愛映画でイケメン俳優が吐く科白のような、決まりが悪い科白を、赤面もせずにのうのうと言うので驚いた。
「間違いではないけど順番が逆だと思うし、少し誤解があるような気がする。夫婦ってこういうところが難しいね。大切なことは言葉にしないと、どこかですれ違って、思い違いをしてしまうようなところがあるし。夫婦のすれ違いって、こういうところから生まれるのかもしれないね」
「……」
テーブルの下に、隠された台本はないだろうか。
どこか隠れた場所に、小型カメラでも設置されているのではないかと探してみたけれど、そんなものはどこにもなかった。
一人では正解の出せなかったクイズに、私の夫である人は堂々と答えて、クイズの最終問題に正解した解答者のような清々しい顔をして、コーヒーでも飲む? と楽観的な問いかけを私にしてきた。
消されたはずのBGMが部屋には復活していて、楽観的な表情をする夫と同調するようにして、大袈裟な笑い声が戻っていた。
次の受診日を夫に告げて、夫はその日有給を取って、一緒に病院に行った。
医師から受ける説明を、夫は赤ベコのように忙しなく首を振りながら聞いていた。
医師から出されたクイズに対して、私たち夫婦は声を揃えて同じ回答をした。
*
術後、ベッドの上で若干の痛みを抱えつつ、時間を持て余す私に、夫が本を数冊差し入れてくれた。
その中には、直木賞を受賞した作家が書いた新作もあって、その作品の内容はクイズに関するものだった。
クイズ番組で出される難解なクイズに対して、問題を耳にする前に回答し、正解を導き出す主人公の姿が描かれていた。
私が夫に出したクイズに、果たして正解はあったのだろうか。
そのクイズに即答した夫に、後悔はないのだろうか。
夫へのクイズの正解は、私たち二人で導き出す必要があるのかもしれない。
その正解を導き出すために、私はこの病気に必ず勝つことを心に決めた。
退院した私を待っていたのは、数ヶ月間続く辛い抗がん剤治療だった。
抗がん剤の副作用で、斑に頭髪が抜け落ちてしまった私に対して、夫が購入してくれたウィッグがある。
こういう時だからこそ経済を回していこうと、せっかくだから奮発して良いもの買おうと、倹約家の夫が空元気を見せて、夏のボーナスを注ぎ込んで、質の良いウィッグを購入してくれた。
私のウィッグ一つの注文で、日本経済が回っていくとは思えなかったが、あえて夫の優しさに甘えることにした。
髪が生えそろうまでの間、まあまあの月日を必要としたけれど、日々の不安やストレスから私を解放してくれた、お守りのような思い出のウィッグだ。
人生初のショートカットを経験して、意外にイケるじゃんと思えたのは、短いのも似合うねの夫の一言だった。
術後、生理の煩わしさからは解放されたものの、更年期障害に似た症状に悩まされることになった。
精神的にも不安定な状態が続き、ホルモンバランスも乱れに乱れている。
抗がん剤での治療時、ごっそりと抜け落ちて束となり、排水溝を詰まらせた毛髪を手に、項垂れていた私に対して夫は、今日からは僕が風呂掃除をするからと、小学生の男の子が母親にお手伝いでも宣言するかのようにして、決意表明をした。
以降、我が家の風呂掃除は夫の担当になっていて、完全寛解を待つ今も、その習慣は変わっていない。
子宮を全摘している私であるし、私たち夫婦に子供はいない。
私と夫の二人の生活は、これからも続いていく。
日曜日、夫と近所の公園に散歩に出掛けて、コンビニで購入したコーヒーを飲みながら、ベンチに座って桜を見た。
遊具と戯れる子供たちの姿や、レジャーシートの上でランチボックスを広げる家族連れの姿を目にする。
花弁と追いかけっこをする男の子の姿や、手のひらいっぱいに花弁を集める女の子の姿があった。
そこには、私たち夫婦が決して描くことのできない未来が広がっていた。
心の中に広がった僅かな寂しさを紛らわすようにして隣を見ると、スマホを構えた夫がしきりに首をひねりながら、画角を決めていた。
「満開の桜もいいけど、僕は散り始めの桜も好きなんだよね」
散り始めの桜を見ると、私は寂しい感じがする。
「濃い若葉の緑と、薄くて優しい桜色のコントラストが微妙な感じはあるけど、始まりと終わりが同時に見られるオトク感があるし」
「オトク感?」
「そう、オトク感」
「何ていうのかな、小倉トーストみたいなものかも」
名古屋出身の夫はよく、自家製の小倉トースト作って食べている。
「トーストの上で、甘さと塩気が同時に堪能できるオトク感というか。あんこの甘さに飽きてきた頃に、バターの塩気がやってきて、一食で二度美味しいみたいな」
正直、分かるような分からないような気がしたけれど、夫が珍しく語っているので、無粋な質問はあえて控えることにした。
「満開の桜には、今ある姿を楽しむことができるし、葉桜には、来年を予感させる楽しみ方ができる。これって実は凄く贅沢な楽しみ方だと思うけど」
カメラの画角が決まったらしい夫は、パシャパシャと数枚の写真を撮影した。
「そんなもんですかね」
「そんなもんですよ」
穏やかに笑う夫の顔を久しぶりに見た気がする。
太陽の下で見る夫の顔には、シミやシワが刻まれていて、もみあげや前髪にも白いものが目立った。
たくさんの心配をかけて、たくさんの苦労をかけてしまったねと、ボリュームを失って、その将来に暗い影を落とした、夫の頭髪が心配になった。
風になびく桜の花弁と同じようにして、夫の頭髪も散っていった。
*
2025年夏。
リビングにブルーシートを広げ始めた夫が、バリカンを手に近づいきて、「夏海さん、刈ってほしいんだけど」と、頼み事をしてきた。
「刈ってくれ? 切ってくれではなくて?」と、訝しげな表情をして顔を向けると、夫は力強く、堂々と、前者のほうでと応えた。
百均で購入してきたらしい降りたたみ式のキャンプチェアにちょこんと腰掛けた夫が、固唾を飲んで私からの回答を待っている。
テレビに流れる甲子園では、その日先発の高校球児が八回まで無失点の快投を続けていた。
意を決して夫の背後にすくと立ち、バリカンを手にして仁王立する私は、断髪式に立ち会う親方のようであった。
ほんとにいいんだね? という確認に対して夫は、男に二言はないと言った。
最後に何か言い残すことはない? の問いかけに対して夫は、「毛根の限界」と泣く素振りを見せる。
昭和の大横綱、千代の富士関が引退会見にて涙を流しながら発した「体力の限界」という明言を丸パクリした痩せ型の男は、目を閉じ、息を呑んでいる。
一年前、ウィッグをつけた夫の姿は、コントの中の女装のようだった。
女性用のウィッグではあるし、夫用にオーダーメイドされたものではないから仕方がないのだけれど、夫にはカツラは似合わないような気がした。
モーター音を響かせながら試行錯誤しつつ、不器用にバリカンを動かしていく。
手の隙間からこぼれ落ちる髪の毛を床へと落としながら、坊主になった夫の姿を想像してみると、そこにはジェイソン・ステイサムではなく、ハライチ澤部やバイキング小峠の姿があった。
性もない未来予想図を描きながら、夫の断髪式を続けた。
頭髪を刈られながら、夫が鼻歌として口ずさむ『青と夏』は、バリカンのモーター音と相まって、鐘二つの塩梅だった。
Mrs.グリーンアップル(青リンゴ)ならぬ、Mrs.ケンゴの歌声がリビングに響いている。
「お客さん、終わりましたよ」と、両肩をポンと軽く叩くと、夫は手鏡を手にして、あらゆる角度から自分自身を眺めている。
頭髪をスッキリと刈られ、生まれ変わった夫は、ジェイソン・ステイサムというよりも、和尚に近かった。
高校球児のような青さ、若々しさはなくて、アラフォーに近づくオジサンの坊主は、和尚にしかならない。
ねえ、胸の前で手を合わせてみてよ。
私からのオーダーに対して夫は、首からケープを下げたまま手を合わせた。
夕暮れが迫り、西日が差し込むリビングの床に夫の影が伸びると、本物の和尚のように見える。
ねえ、そのまま仏壇まで行って手を合わせてみてよ。
夫はケープを付けたまま、仏壇の前に鎮座すると、数時間前にテレビの中で、寂し気に響いていた鐘のようにして、お輪を二回鳴らした。
背中に西日を浴びながら、右手で印相のポーズを作り、優しく微笑みかけてくる夫を見て、私はこらえきれなくなり、笑った。
家族のかたちは色々で、夫婦のかたちも人それぞれで、頭のかたちやその髪型も様々だけど、私の夫である人は、こういう人だ。
コーヒーと笑顔が絶えない部屋に、今私は暮らしている。
その愛しく思える日々に、私は今生きている。
坊主頭の、この太陽のような人と、結婚して良かったなあと思った。
このままピカピカになってもきっと、私は今と変わらずに、夫を好きなままでいるのだろうなあと思えた。
あとがき
コーヒーの習慣的な飲用(1日3杯程度)は、肝臓がん、子宮体がん、大腸がんの発生リスクを低減する可能性が高いと研究されています。成分のクロロゲン酸が抗酸化・抗炎症作用を発揮し、インスリンの分泌を節約し、がん細胞の増殖、細胞のガン化を抑える効果が期待されています。また、笑うことは、ナチュラルキラー細胞を活性化し、ウイルスや癌細胞を攻撃する免疫力を高めてくれるそうです。免疫細胞の活性化やストレス軽減など、自律神経のバランスを整える効果もあり、1日に数分間笑うだけでも、免疫向上に有効であるそうです。
了