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たしかなもの


    ピンクの帽子がトレードマーク

    大好きなおばあちゃんは、

    胆のうの疾患によって、医療側の判断で処置、方法は「絶食」しかないということだった。

    絶食って、、、、

    そのまま 亡くなって行くのをみろっていうの、、、、、と医療側への呆れや怒り、やるせなさ等色んな感情が渦巻いた。

    そこは、病院もいっても治療とかはしない病院だったから、レントゲンと点滴ぐらいはできますといったようなところだった。

    亡くなるのをゆっくりみていく。


    当時、おばあちゃんは急にお腹が痛くなって救急搬送された他県の病院から、(その時は親戚に預けるしかなく、やむを得ず、預けたたため他県にいた)ずっと、絶食になり、ようやく私の地域まで炎天下の日に、介護タクシーで5〜6時間かけて連れてきたが、そこからもずっと絶食のままだった。


    急に絶食となったし、合間合間で食べている訳でないから、みるみる内に痩せていった。

    栄養点滴は、うまく適合せず、40度を超える高熱を何度も出し、命の危機がたくさんあった。

    高熱が出ると、栄養点滴は中断。

    ほとんど水分点滴で生きていた。


    80を過ぎた高齢者が、それも急に絶食となってかなり体力がない中で
    40度超えの高熱。

    それは、相当にきつい体力消耗で、本当に苦しかったし、胸が痛かった。

    おばあちゃんの命があることに、本当に感謝した。


    今思えば、水分は自由にやってもいいのなら飲み物くらい、ジュースでも何でも、口を潤わしてあげればよかった。。。あの時。


    いつもカラカラに乾いた皮膚と口の中。病院も暑く、窓側は危険な温度。

    看護師たちは話しやすいようなところもあったが、人手不足もあるためか、そこまで一人のケアにかけてる余裕はなく、病院側から飲み物は好きにあげていいですよとかは一切なかった。 
    変に逆らって、なんかやられたら、というような変な警戒心もあったし、最初だいぶ長い間、そのまま病院のやり方で、様子を見ていた。


    おばあちゃんは、食べていないから

    顔は黒くなっていくし、干からびたような皮膚をしていた。目も虚ろで、食べる楽しみなく、本人のやっとの気力だけで生きているような様子だった。
    ほんとうによく耐え、がんばった。
    えらい。


    一日の三回の食事は、ちょうど?うちのおばあちゃんだけ食べれない状況で、30人くらい周りの高齢者はみんな食べているのに、なんで自分だけご飯食べれないんだ、よこさないんだと毎回言っていた。本当にかわいそうだった。その時は。


    おばあちゃんは貧乏な経験と今までいた環境が劣悪でよくなかったために、うちだけご飯のお金が払えないからご飯が食べれないと思っていたらしい...

    後から本人がすごく時間が経ってから申し訳なそうに言ったのを見て

    ほんとに心が切なくなった。

    一番は、本人が切ないし、辛かった。


    なんで皆が集まるところに連れて行くのか、、と何度も思ったが、部屋に一人でいるのも、、というのが、病院側の考えがあったのかもしれない。。


    おばあちゃんは、「認知症」だったから、オペができなかった。高齢者というのもあったが、認知症だから、痛みなどを、もし術後など確認したいことを正確に言えないからということだった。


    もちろん、むずかしいことは話せないけれど、おばあちゃんは受け答えはできていた。お腹の痛みも訴えていたし、ちゃんと周りの状況を分かっているようだった。

    ただ、あまりにも急に環境の変化が変わったりしたもんだから、それに誰もちゃんと本人に説明しなかったから、状況を把握するのに、時間がかかっていた。

    何かサポートしたいのに、、、

    そんな背景で、飲み物ひとつ、好きに飲んでいけないなんて、酷過ぎて、、、
    私は、ほんとうに申し訳なくて、もどかしく、辛かった。



    おばあちゃんは、そんな体力がないときでも、私のことばに反応し、ちゃんと応えていた。


    気力も体力もない中で、私が何か言うと、『ありがとうございます』と、
    ちいさい声でちゃんと
    お礼を言っていた。


    私は、本当にすごいなと思ったし、
    全然認知症じゃないと
    何度もそう感じた。


    おばあちゃんは、いつも昔からも心がとっても純粋な人で、素直で優しく、誠実な人だから、そういう姿をみて、本当に感心した。そういう人が祖母でよかったとつくづく思った。

    何とか座れそうなときは、車椅子に乗せて、病院のロビーまでだけど、連れて行って、女子会をした。

    おばあちゃんと私、妹の3人で。


    ある時、ちょこっとでも気持ちが
    明るくなったらいいなぁと思い、
    ピンクの帽子、キャップをあげた。
    (私の若いとき使っていたもの)


    これ、あげるねと
    頭にかぶせてあげると


    目がキラッと、一瞬、生き返った。✨️

    体力がなくて、
    虚ろな目が一瞬だけ
    正気を取り戻したような目になった。


    おばあちゃんは、うふふと可愛いらしく微笑み、健気でチャーミングな人。



    私は、ちょっとでも励ましたかった。

    おばあちゃんも気に入って
    ピンクの帽子は
    トレードマークになった💖

    ピンクの帽子は可愛いおばあちゃんにピッタリで、より人気者になった。
    彼女はアイドル。


    かわいくて、癒されてます〜と行くたびに言われた。おばあちゃんは、あんなに体力がない状態でも、いつも人をすぐ褒めた。相手が誰であっても。

    人を笑顔にして、にこにこいつも微笑んでいた。だから、皆スタッフさんがが嬉しいんです〜って喜んで、仕事がんばれます〜って私に伝えてくれた。


    私はいつも
    おばあちゃんを尊敬していた。
    今もずっとだけど。
    だから、大好きなんだ。


    そういう、朗らかさって、いつもにこにこしてるって、苦しいときも当たったりキツイことを言ったりなんて、おばあちゃんには1ミリもなかったから、本当にすごいと思っていた。



    何も医療的な手段がないとしても、 


    私は、彼女に何ができるだろう。

    何をやったら、どう伝えたら、
    ほんの少しでも、心の安心感や
    新鮮な気持ちになるだろうか。


    ほんのちょっとでも、

    精神的緩和につながることは何か。


    私は、常に考え、その時興味のあった東洋医学や色んな学びに行っていたから、何か役立つことはないか、
    最適なもの、ことは何かと
    フル回転で模索していた。



    私は、
    いつも彼女の可能性をみていた。



    医療の判断はそれしかなかったけど、私は、他に道があると思っていた。


    ほんの少しのことでも何か
    私にはやれることがある。
    おばあちゃんのために。

    そう信じて動いてきた。



    私は光をみるようにした。



    可能性は、どんな時だって、ある。



    その時、そうしか思わなかった。


    光や希望を見失ってどうする私が。
    そう思った。

    だから、おばあちゃんにやさしく接してくれた病院スタッフや看護師から
    否定的な考えをどーのこーの言われたとしても、スラっと流した。

     

    当時、

    私は、本当に全くそう思わなかった。

     

    よくある自然な流れでは

    そうかもしれないけど、

    人はそれぞれ違うのだ。


    その人の可能性はあるんだ。



    私は、ちょっとでも新鮮な気持ちになってもらいたかったから、 
    まず、思いついたことは、
    ガラスのコップを持っていったこと。


    病院からは絶対やめて欲しいだろうけれど、ずっと付きっきりで、目を離さず、私もコップを支えていればいいだろうと思い、持っていった。
    高齢者施設や、特に病院となると、何でもかんでも、お皿やコップは全部プラスチックになる。

    私は、それって生ぬるい感じがして、食事の質も変わると思う。


    皆、以前は茶碗で食べていただろう。彼女たちだって、人間なんだから。

    そう思い、もし、割れても
    自分が片付ければいい。

    おばあちゃんも、バタバタと親戚の家に預けることになってしまい、連日のデイサービスでの長時間家にいない、救急搬送からそのまま病院の長い滞在と、
    ある意味、ずっと「外」にいる訳で、ちゃんと洗ったかも分からないプラスチックのコップに口腔ケアのブラシがはいっていたから、私はなんだか嫌だった。

    私は、ガラスのコップに水を注いで飲ませてあげた。

    そしたら、おばあちゃんはいつもより目が大きくなって、いつもより水分を飲んだ! 

    それは、その時、すごい変化だったと思う。


    病院の麦茶はおいしくなくて、プラスチックのコップで飲むと余計においしくない。おばあちゃんは体力ない状態で麦茶は飲まなかった。


    おばあちゃんは、水もあまりほとんど飲めなかったようだけれど、

    いつもより、大きい一口で自分から飲んだ。うまいと。

    よかった〜


    何年ぶりにガラスの質感を触ったのだろう、、、と思った。


    ガラスのコップで水を飲むだけで
    全然ちがうと思う。


    こういうことをするまでにも、かなり時間がかかってしまった。


    それでも、ちょっとずつちょっとずつ、私は、小さなことを試みた。



    そうやって、ちょっとずつ、

    日々病院に通いながら、
    おばあちゃんの様子をみて
    はやく無事に帰れますようにと祈り、高熱が出て危ないときも、祈った。



    おばあちゃんの絶食は、約2年もの
    月日となった。



    父親の介護が終わり、亡くなった悲しみも、おばあちゃんがいたから、やってこれた。

    すぐに、おばあちゃんの介護をする予定だったが、急な病気で絶食の治療?で、経過観察で入院中だったために、すぐには私の家には帰れず、

    長い間、おばあちゃんは、本当によくがんばった。耐えた。いつも涙が出た。度重なる高熱で命の危機が頻繁にあり、体力が減っていった。

    もう病院からできることはないと言われたのもあり、このまま、、みていくしかないという、、、、。

    あまりにかわいそうだったので、
    あとは私の責任でやらせてくださいと言った。

    そして、ちょっとずつ、ちょっとずつ、水分やジュース、手作りのスープなどを持っていき、おばあちゃんはちょっとずつ、食していった。


    医療側は、何もする手立てはないと言っていたけれども



    けれど



    けれども!




    おばあちゃんは、超奇跡的に

    復活していった!!



    超超超 キセキなのだ!!!




    その後、
    そのキセキ的な流れで、
    退院することができ、
    そこから私のおばあちゃんの
    在宅介護が始まったのである。


    🌱🌱🌱🌱🌱

    私は40代に入ったばかり。
    ついこないだまで、ヤングケアラー。

    そう言われるのも複雑な思いもあったが、そうなのかもしれないけれど、   とにかく子どもでなくてよかったとつくづく思った。色々家事はできたし、在宅介護のおかげで成長した。

    20 代の頃、若い頃の私は、介護には全く無縁だと思っていたけれど

    難病になってしまった父親の介護をすることになり、父の在宅介護とおばあちゃんの在宅介護と10年以上、在宅介護をして奮闘してきた。


    🌱🌱🌱🌱🌱

    おばあちゃんの在宅介護中も
    色々な試練があり、
    介護の様々な契約や人間関係でのストレスが強く、かなりメンタルもやられて大変なことはずっとたくさんあった。


    私の在宅介護の人生は、
    長かったのかもしれないけれど、

    このおばあちゃんの介護病院に、
    炎天下の日も真冬の凍ってる道を
    ほぼ毎日自転車で通ったのも、


    おばあちゃんの生き様をみてきた、
    一緒に共に生きてきた
    大切な一部なのだ。



    当時の病院側の考えや視察は

    すべて外れた!



    どんなにやさしくしてくれても
    医療的には誰も退院できるとは思っていなかったのかもしれない。


    しっかし、


    おばあちゃんは完全絶食という
    ものすごく過酷な時を約2年も、
    それも80後半にさしかかる高齢者のか弱い体力で、乗り切ったのだ!!


    おばあちゃんはものすごい奇跡の人なんだ!!!

    それは、かなり前に亡くなったおじいちゃんや、神様が助けてくれたのかもしれないけど、


    本人の生命力が素晴らしかった。


    すごい快進撃!!!


    🌱🌱🌱🌱🌱

    在宅介護中もたくさんの困難が私にはあった。おばあちゃんも救急車で運ばれることも最初は度々あり、契約している訪問看護を呼ぶことは日常よくあった。


    在宅介護中には、

    長期間の高熱などで命の危機があり

    本当に油断できない状況で覚悟しないといけない時もあったが



    そこでも、おばあちゃんはものすごいキセキの復活をして、ミラクルを起こした!!!



    おばあちゃんの生命力は

    たくましかった。すごかった。

    誰よりもすごかった。



    私はおばあちゃんの命に感謝した。

    この時は、本人の前で
    涙を隠せなかった。


    涙を流しながら、ありがとうって
    おばあちゃんはすごいんだからねと
    伝えた。


    体調不良で声も出ないのに
    一生懸命、褒めてくれて、
    おばあちゃんはいつも私にありがとうとちゃんと言ってくれた。



    その時も、在宅医療側の判断や診断はすべて外れ、何も合っていなかった。
    本質がズレていて、ほんとに何も当たっていなかった。
    よく分からない強い薬も無駄に飲み、何も効かなかった。毎回、高齢者の診断は難しいの言葉ばかりだった。

    信頼のない人達とのやりとりに疲れ、辛い日々もあった、、
    介護生活の中で、介護の契約での他人のストレスが強く大きかった。
    本当にこういうストレスがなかったら、もっと在宅介護を穏やかに過ごせたのになぁと思う。

    オムツ替えも、深夜の様子見も何も大変じゃなかった。


    私は大事な大好きなおばあちゃんを
    守りたいだけなのに。
    ときにひどく自分が落ち込むときもあったから、誰に相談することもできず、おばあちゃんに申し訳なかった。


    自分の感覚を大事にしながらも、
    なかなか同じ感覚の人がおらず、
    話の合わない医療側の影響でストレスが大きく苦しくなってしまった。


    だから、可能性は分からないのだ。


    私は介護生活の中で
    幾度となく、そう思った。


    私は意見が食い違っても、
    文句言わず、ずっと我慢して黙ってきたが、いつもその時、自分にできることをしようと思った。


    私は祈った。

    おばあちゃんの命にいつも感謝した。



    寝なくても、自分が倒れないように、しっかり食べて、いつでも走れるようにと思っていた。

    一人で何とか毎日、3食ミキサー食で準備し、大量の洗濯、買い物、そして、何よりストレスだった医療側や各サービスのやりとり、準備、支度、掃除と毎日やることが多く、


    おばあちゃんとの時間を過ごしたいのに、ひとりにさせてしまったり
    (家族の協力がなかったので、、)
    家に居ながらも一緒に居られなくて、家事でずっと動き回ったりしていて、かわいそうなこともしてしまった。


    完璧ではないので、おばあちゃんに見せたいと思っていたことや、やりたいと思っていたことができなかったり、後悔もたくさんある。



    忙しなく動いていた日々の中で
    おばあちゃんは心のオアシス。

    大好きなおばあちゃんと暮らすことは幼い頃のからの夢だったし、待ちに待ってだったから、ずっと楽しみにしていた私は退院の喜び、嬉しさと、色んな心配や一人で介護していたのもあり、たくさんの葛藤がありながらの介護生活だったけれど、


    おばあちゃんがいつも癒しで、
    たくさん助けてくれた。


    やっぱり、同じ家に住んでるっているのは、隣にいるっていうのは、
    ありがたかった。

    状態や状況にもよるが、
    私の場合は、病院に駆けつけるのも大変だったし、何より側で、私が何か変化をキャッチしたり、言葉をかけたり、アロマをやったり、ジュースを口腔ケアスポンジに染み込ませて味あわせたり、ガーゼで顔を拭いたりと、
    近くにいればできることがある。


    彼女のたくさんの魅力がみれて本当に良かったし、何よりもすごく楽しかった。笑いあった日々が人生で一番楽しかった。


    おばあちゃんとの時間が本当に宝で
    平和で幸せで宝物だ。



    ほんとにありがとう。

    いつも大好きだよ☆



    いつも繋がっているんだ。



    魂は永遠なんだよ。

    具合よくないときに、私がそう言ったら、ボソッと小さな声で
    え?そうなのか?
    っておばあちゃんは驚いてた。

    私が先に死んでも
    おばあちゃんが先に死んでも
    また逢うんだよ。逢えるんだよ!

    肉体が無くなっても

    魂は永遠なんだ。


    だから、私には大好きな人、

    大事なかけがえのない人との

    魂の絆がある。



    それは、たしかなもの。



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    #ヤングケアラー #グリーフケア

     
     
    40代。この前までヤングケアラー。かわいくてチャーミングな大天使おばあちゃんを看取りました🪽 幼い頃の大切な記憶🌼と今。 在宅介護を10年以上経験。 大好きなおばあちゃんとはソウルメイト。さいご数年だけ初めて暮らせた日々の出来事や想い、在宅介護のことなど 自由にかいていきます。

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