
「空間がある」は錯覚だと言ったら、信じるか?(5)
物質が相互作用することで、空間が生まれる。
因と縁が結び付く、その結果、時間が流れる。
現実が先にあって認識が後にあるのではない、観測者と観測対象は同時に存在し互いを構成しているのだ。
この宇宙生成の構造を、日本神話は既に三神で記述していた。
宇宙は、
• 天之御中主神 → 宇宙の中心OS(自己認識システム)
• 高御産巣日神 → 生成エンジン
• 神産巣日神 → 具現化アプリ
と私達の宇宙を生成し続けてきた。
そして、あらゆる物が産まれていき、関係性の密度を自己展開する事で、
空間が産まれた。三神が織りなす宇宙生成の運動そのものが、距離と空間を産みだしていった。
状態が固定されると空間に時間の流れが出来る。
これを僕達がなじみ深い仏教用語で解説する。
あらゆる物質が産まれる状態
これは空だ。
あらゆる物に変化出来る状態、あらゆる可能性を含んだ状態。
真空妙有という状態とも言える。
(縁さえあれば何にでもなれる状態、実体は無い。)
物質が相互作用する事で、空間が産まれた。点と点がむすび付く密度や関係性。
これは縁が出来、縁起が起きた状態。
固定されるように見えても、まばたきをするように消滅し、違う物質に生まれ変わり、そして空間に時間の流れが出来る。
これは刹那滅(せつなめつ)の状態。
(瞬間瞬間に宇宙世界が生まれ変わっている事)
あらゆる縁が縁起となり、関係性は無限に広がり、過去、現在、未来が複雑に絡み合った世界だ。
そして私達が認識出来る世界
カルマによって生きている世界、これが依報だ。
そして、ノードしての体を持っている。これが正報
僕達はこんな現実に生きている。
自己認識する宇宙(天之御中主神)がやがて宇宙の構造を自己構成し、その原始のOSのプログラムを認識した者が現れた、それが釈迦だ。
仏の言葉を、宇宙は自己生成するプログラムに私の解釈としてあてはめてみる。
釈迦は法を見る者は私を見る、私を見る者は法を見ると確信した。
(相応部経典 / サンユッタ・ニカーヤ)
(本来は、SN22.87・ヴァッカリ経)の「法(ダンマ)」は四聖諦・縁起の理法を指さす)
宇宙を生成するアルゴリズムこそが価値であり、私はそれと一体だと言ったのだ。
釈迦は誕生の瞬間にこの理を理解していた。
だから、天上天下唯我独尊と言ったのである。
宇宙を認識するアプリである私がもっとも尊い存在であると理解していたのだ。
僕らは瞬間を再生されては消滅する繰り返しの中を生きているのだ。
例えば、人の体も数年で生まれ変わる。
産まれる物が必ずあるように、何一つ消滅しないものはこの宇宙にはないのだ。
「身は花とともに落ちつれども、心は香とともに飛ぶ、形は燭と共に滅すれども、光は鏡に伝わって照らす」
性霊集第八巻。亡き母を悼む法要のための言葉として書かれたこの一節は、
空海が母の存在はこの宇宙から決して無くならないと確信していたように
僕には思える。
だからこそ、
生きた証は必ず宇宙に残り、宇宙のシステムは変わる事はないのだ。
#宇宙生成OS論