
(ショートショート)ひとりごと
自転車のペダルを漕ぐリズムに合わせて、僕の唇からは自然と言葉が溢れ出す。
それは誰に聞かせるでもない、僕だけの思考の断片。
ひとりごとを言うのが僕の長年の癖であり、唯一の落ち着く時間でもあった。
あの日も僕は、朝の澄んだ空気の中で自転車を走らせながら、とりとめもないひとりごとをぶつくさと呟いていた。
「今日の小テスト、範囲どこだっけ。あー、もう、朝からお腹空いたな」
すると背後から、楽しそうな笑い声が聞こえた。
驚いて振り返ると、そこには学校中の男子が憧れる「彼女」が、満面の笑みを浮かべて立っていた。
「あ、ごめん。あんまり楽しそうに喋ってるから」
僕は心臓が止まるかと思い、慌てて自転車を降りた。
そこからは、夢のような、けれど静かな時間が始まった。
言葉を交わすわけでもない。
ただ自転車を押し、彼女の歩調に合わせて学校までの道を歩く。
会話はないのに、流れる時間は驚くほど穏やかで、心地よかった。
正門が見えてきた頃、彼女がふと立ち止まり、震える声で言った。
「ずっと前から、好きだったの」
あまりの衝撃に足が止まる。
けれど、彼女の言葉には続きがあった。
「でもね、親の転勤で転校しなきゃいけないんだ。新しい高校の編入試験、合格しちゃった。次は女子校だから、ちょっと楽しみなんだけどね」
頭の中が真っ白になった。
思考が追いつかず、気づけば最悪なタイミングで、あの癖が漏れ出していた。
「そんな。せっかく、両思いになれたのに」
そのひとりごとを聞いた彼女が、少しだけ照れくさそうに、けれど寂しげに笑う。
僕たちはその場でお互いのLINEを交換した。
通知が届くたびにスマホが震えるけれど、画面越しでは彼女の体温も、あの時の空気感も伝わってこない。
春。新しい場所へ向かう彼女を、笑顔で送り出したい。
サヨナラが来る前に、一度だけでいい。
二人で、散りゆく前の最高に綺麗な桜を見に行きたい。
その時こそは、ひとりごとじゃなく、ちゃんと君の目を見て伝えたい言葉があるんだ。
Fin。
※この小説はフィクションです。
登場するモノや人物は存在しません。
↑この企画に参加しました。
ありがとうございました。