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【自己紹介】大型二種に50万円、免許を取ってから調べた男の末路

5年前、28年間勤めた新聞社を希望退職制度で卒業した。

退職後の解放感に包まれ、好きなことに一直線に突っ走る。

その結果、盛大な遠回りをした経験はありますか。

私はあります。

しかも、かなり派手に。

大型二種免許を取得してから、バス業界のことを調べ始めました。

順番を丸ごと逆にする快挙です。

家族は応援してくれました。 

でも後から聞けば「バスはないだろう」と思っていたそうです。

 私より、よくわかっていたんですね。

その末路と、遠回りの先に見つけたものを今日はお話しします。

 ちなみに結末は、意外と悪くありません。


退職の解放感が、私の判断力を一時停止させた

解放感というのは厄介なもので、「考える」という機能を一時停止させる。

「やりたい」という気持ちが先走り、肝心なことを後回しにしてしまう。

 私がまさにそれだった。

浮かれていた、と今なら笑って言える

28年間勤めた新聞社を、希望退職制度を利用して卒業した。

「さあ、次のステージへ!」

その高揚感は、今思えば相当なものだった。

退職直後の私の頭の中はこうだった。

✔ 時間はたっぷりある

✔ しがらみもない

✔ やりたいことを、なんでもやれる

しがらみがなくなるということは、こんなにも人を自由にするものか。
 
退職した瞬間から、世界の見え方が少し変わった気がした。

その解放感の中で、私の思考はある一点に向かって走り始めていた。

28年間の感謝と「やり切った」感

28年間、感謝しかない。

技術系の裏方として、新聞の制作を支え続けた28年間だった。

情報を届けるという仕事の根っこを、ずっと支えてきた。
 
表舞台には立たない。

でも、なければ新聞は動かない。 

そういう役割に、誇りもあったし、やりがいもあった。

それでも正直に言えば、退職前の3年はかなりつらい時期だった。 

だから希望退職の該当者になったとき、率直に言って「待ちに待った」という気持ちだった。

28年間やり切った。

その実感だけは、はっきりとあった。

「免許を取る」だけがゴールになっていた

そんな解放感の中で、私の思考は「免許を取る」一点に完全に集中していた。

夢を持つことは良いことだ。 

でも夢に向かって走り始めると、それ以外のことが見えなくなる。

業界のことを調べる? それは免許を取ってからでいい。 

お金はかかる? それより先に動かないと気が済まない。

 現実的に続けられる仕事かどうか? まず免許だ。

あらゆる「考えるべきこと」が、後回しになっていた。

今思えば、そのひと言がすべての遠回りの始まりだった。

乗り物好きの私に、大型二種は輝いて見えた

もともと乗り物が好きだった。

「まったく違う世界を体験したい」その気持ちが強くあった。

バスの運転席から街を眺める。

大勢の人を目的地まで届ける。

その絵が、とにかく魅力的に見えた。

幼い日のバスへの憧れ

幼いころ、路線バスをよく利用していた。

 大きな車を手足のように自在に操る運転士の姿が、子どもの目にはとにかく格好よく映った。

ハンドルを握り、ミラーを確認し、停留所にぴたりと止める。

あの所作のひとつひとつが、プロの技に見えた。

なぜ電車ではなかったのか。
 
子ども心に「レールの上を走るのはつまらない」と思っていたのだ。 

タクシーは、普通の車の延長線上に見えた。

バスだけが持つ、あの存在感。

 街の中を堂々と走る大きな車体と、それを操る運転士。

バスだけが、あの頃からずっと特別だった。

費用50万円、期間2週間の合宿

大型二種の取得は、決して安くない。

 費用はおよそ50万円。期間は2週間の合宿だった。

それでも迷わなかった。 

退職後の解放感の中で、その数字はさほど大きく見えなかった。

「やりたいことに使うお金だ」という気持ちが、判断を上書きした。

難しかったのは後方感覚の課題だ。

バスの後端がどこにあるか、感覚だけで掴まなければならない。

最終的に私が選んだのは「合格を目指す」ことではなく、「接触して試験中止にならない程度に収める」という判断だった。

完璧を目指すより、前に進むことを選んだ。

充実感が、リサーチを押し流した

2週間の合宿生活は純粋に楽しかった。
 
学生時代を思い出すような、あの感覚だ。

同じ目標を持つ人たちと同じ屋根の下で過ごす。 

毎日ハンドルを握り、少しずつ上手くなっていく。
 
その手応えが、日を追うごとに大きくなっていった。

「これがやりたかったことだ」という確信が、胸の中で育っていた。

だからこそ、立ち止まって調べようという気にならなかった。
 
走りながら考える、ではなく、走ることしか考えていなかった。

気づけば免許証を手にしていた。

業界のリサーチより、先に。

調べてわかった、理想と現実のギャップ

晴れて大型二種免許を取得した。

さて、いよいよバス会社への応募だ!

そう思い、改めて業界のことを調べ始めた。 

そこで初めて知った、いくつかの現実を。

「中抜け勤務」という働き方を、私は知らなかった

調べて最初に目に止まったのが「中抜け勤務」という勤務体系だった。

午前に乗務して、数時間休憩。

そしてまた夕方に乗務する。

トータルの拘束時間は、必然的に長くなる。

 休憩時間とはいえ、自由に帰宅できるわけでもない。

会社の近くで時間を潰すか、仮眠室で休むか。

その「宙ぶらりんな時間」が毎日続くことになる。

プライベートの時間はどこにあるのか。 

家族との時間は確保できるのか。

思い描いていた「バスの仕事」の日常と、現実のそれは、かなり違っていた。

「これが日常になるのか」と、素直に思った。

責任の重さと、その評価のバランス

調べるほどに、気になることが重なった。

✔ 中抜け勤務による長い拘束時間

✔ 転倒事故時に問われる運転士の責任

✔ 責任の重さと報酬・評価のバランス

立っている乗客に「座ってください」とアナウンスする。 

でも、聞いてもらえないことがある。

 わずかなブレーキでも転倒されると、運転士の責任になる。交通事故扱いになるケースもある。

プロドライバーとして当然の責務だとは思う。

 ただ正直に言えば、ショックだった。

 飛行機の機長、電車の運転士と比べたとき、バス運転士への社会的なリスペクトはかなり低い。 

もっとリスペクトされているものだと思っていたからだ。

地方のコミュニティバスも調べた。
 
のどかな風景の中を走り、地域の人たちと触れ合える。

地域活性に貢献できる仕事だとも思った。

 でも、ここでも報酬の壁が立ちはだかった。 

多くをもらいたいとは思わない。

ただ、責任の重さに見合うかどうか、という話だ。

「調べる順番を、完全に間違えた」と気づいた瞬間

50万円と2週間をかけた免許。

それを手にしてから気づいた現実。

もし先に調べていたら、この遠回りはなかっただろう。

退職後の解放感で浮かれていた私には、「免許を取る」というゴールしか見えていなかった。 

その先にある「働く現実」を想像する余裕が、あのときの私にはなかった。

順番を間違えた。

それだけのことだ。 

でも、その「それだけのこと」に、50万円と2週間とバス業界への夢が乗っていた。

後悔したか、と聞かれれば正直、少しだけした。
 
ただ、立ち止まる気には、やはりなれなかった。

これは完全に、自分のリサーチ不足が招いた結果だ。

遠回りしたからこそ、たどり着けた場所がある

遠回りは、無駄ではなかった。

計画通りにいかなかったからこそ、今の自分がある。 

そう気づくまでの話をしたい。

バスを諦めてから、病院に出会うまで

バス業界を断念したのは、ちょうどコロナ禍の真っ只中だった。

 新聞社が用意した転職エージェントと契約し、面談を重ねた。 

ただコロナの影響で、担当者と実際に会えたのは2回ほどだった。

ハローワークにも通った。 

周囲の評判はあまり良くなかったが、人生経験と思って足を運んだ。 

失業保険のおかげで生活の不安は少なく、じっくりと次を探せた。

そんなとき、ある小さな病院の求人が目に止まった。 

「営繕スタッフ兼患者様の送迎」 営繕は前職でも技術系だったので問題ない。 

送迎はバスへの夢が、形を変えて戻ってきたような仕事だった。 

勤務は9時〜17時。中抜けもない。 

深く考えずに、すぐ応募した。

すぐに採用が決まった。

病院という職場が、自分にフィットしていた

担当は営繕系の仕事と透析患者送迎。 

大型二種免許も、前職の技術系経験も、ここで活きた。 

新聞社とは、空気も、人も、求められるものも違う。

最初は戸惑いもあった。
 
情報を扱う現場と、人の命を支える現場では、空気の重さがそもそも違った。 

それでも働くほどに、自分の中の何かがこの場所に馴染んでいった。 

表舞台に立つ人を、見えないところで支える。 

その本質は、新聞社時代となにも変わらなかった。

だからこそ、驚くほど自分にフィットしていた。 

その病院には3年間お世話になった。 

そしてその経験が、次の扉を開くことになる。 

「裏方」として、また誰かを支える場所へ

最初の病院では、営繕と送迎を通じて医療現場の空気を肌で知った。

 そして今は、病床数500床以上の病院で施設管理の仕事に専念している。

扱うものは変わった。

でも、誰かの見えないところで役に立つという本質は、何も変わっていない。

表舞台に立つ人がいて、その人たちを支える人がいる。

 私はずっと、後者の側にいた。 

それが自分の居場所なのだと、今はそう思っている。

バスを諦め、コロナ禍の中で求人を探し続けた日々があったからこそ、この「気づき」にたどり着けた。

遠回りをしたからこそ、そのことに気づけた。

リサーチ不足で遠回りした男の、その後が意外と悪くない件

退職の理由は、人それぞれだと思う。

自分で選んだ人も、選ばざるを得なかった人も、今まさに切羽詰まっている人も。 

簡単じゃないことは、わかっているつもりだ。

動いたことだけは正解だった

あの解放感があったからこそ、猪突猛進に動くことができた。

あの勢いがなければ、きっと今の自分はいなかった。

家族は「バスはないだろう」と思っていた。 

私より、よくわかっていた。 

それでも止めなかった。

応援してくれた。

リサーチ不足で遠回りをした。 

お金も時間も使った。 

思い描いた通りにはならなかった。

それでも、動いたことだけは正解だったと思っている。

動かなければ、病院にもたどり着かなかった。 

遠回りがなければ、今の自分はいなかった。

完璧じゃなくていい、止まったままでは始まらない

免許は今も活かせていない。

遠回りもした。 

それでもあの行動力があったからこそ、次に進む勇気が生まれた。

計画通りにいかなかった経験のある人へ。 

「なぜ先に調べなかったんだろう」と後悔した瞬間のある人へ。

完璧じゃなくていい。 

準備が整ってからじゃなくていい。
 
リサーチが足りなくても、動き出すことで見えてくるものがある。

止まったままでは、何も始まらないから。

盛大にやらかして、少し感謝している

私は盛大にやらかした側の人間だ。
 
50万円と2週間をかけた免許は、今も活かせていない。 

バス業界への夢も、思い描いた通りにはならなかった。 

リサーチ不足が招いた結果だと、今なら素直に言える。

それでも今は、その遠回りに少し感謝している。

家族は止めなかった。応援してくれた。 

その言葉が、あのとき私の背中を押し続けた。

あの解放感があったからこそ、猪突猛進に動けた。 

あの勢いがなければ、コロナ禍の求職活動も乗り越えられなかったかもしれない。 

動いたから、病院にたどり着いた。 

遠回りしたから、今の自分がいる。

やらかしたからこそ、見えてきたものがある。

 止まっていたら、何も始まらなかった。 

それだけは、はっきりと言える。

このnoteで伝えたいこと

28年間、新聞社で物事の本質を探り続けた。 

その探究心が、今の現場でも顔を出し続けている。

「これって、どういう仕組みなんだろう?」 

「この面白さを、誰かに伝えたい」

そんな気持ちから、このnoteを始めた。

このnoteで扱うテーマは、たとえばこんなものだ。

✔ 魚の知識と食文化の深掘り 
水族館で眺め、釣って味わう。長年の趣味が、知識の源になっている。

✔ 調味料の仕組みと使いこなし方 
どんな食材も腕も、調味料ひとつまみで変わる。
料理の根幹を支えるものに、惹かれてしまう。

✔ 南アフリカワインの意外な魅力 
近所に専門店があったことがきっかけ。
ワインの中ではまだニッチな存在。だから面白い。

✔ 日常に潜む「なぜ?」の探究

よかったら、のぞいていってください。

遠回りしてたどり着いた私が、真剣に面白いと思っているものだけを書いています。

 あなたの日常に、新しい視点や小さな発見を届けられたら嬉しいです。 

最後まで読んでくださったあなたなら、きっと楽しんでいただけると思います。


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