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Photo byhidehito_n

母をやめた日 第5話「崩れる」


    あの日から、
    家の中の空気は変わってしまった。

    何かが壊れたわけじゃない。
    大きな出来事があったわけでもない。
    でも確かに、
    前とは違っていた。

    会話は減り、
    目を合わせることも少なくなった。
    同じ空間にいるのに、
    距離だけが、はっきりと感じられる。

    私は、どうしたらいいのかわからなかった。

    声をかければいいのか。
    そっとしておけばいいのか。
    何が正しいのか、
    何が間違っているのかもわからない。

    ただ、苦しかった。

    このまま、
    どんどん離れていってしまうんじゃないか。

    そんな不安だけが、
    ずっと胸の中にあった。

    でも、
    何もできなかった。

    何かを言えば、
    また傷つけてしまう気がした。

    だから私は、
    何も言わないことを選んだ。

    けれど沈黙は、
    何も解決してくれなかった。

    むしろ、
    心の距離を広げていった。

    ある日、
    ふとした瞬間に思った。

    もう、わからない。

    どう接したらいいのか。
    どう話せばいいのか。
    母として、
    何をすればいいのか。

    何も、わからない。

    そのとき、
    心の奥に押し込めていたものが、
    一気にあふれてきた。

    私は、
    こんなことがしたかったわけじゃない。

    ただ、
    一緒にいたかっただけなのに。

    ただ、
    普通に話したかっただけなのに。

    どうしてこんなふうになってしまったんだろう。

    気づいたら、涙が出ていた。

    止めようとしても、
    止まらなかった。

    ずっと我慢してきたものが、
    全部出てきているようだった。

    そのとき、
    はじめて思った。

    私は、苦しかったんだ。

    母としてじゃなくて、
    一人の人間として。

    ずっと我慢して、
    ずっと頑張って、
    ちゃんとしなきゃって思って、
    必死にやってきた。

    でも、本当は——

    助けてほしかった。

    わかってほしかった。

    誰かに、
    そのままの自分を受け止めてほしかった。

    その気持ちに気づいた瞬間、
    胸が締めつけられた。

    私は、
    娘にそれを求めていたのかもしれない。

    母なのに。
    支える側なのに。

    気づかないうちに、
    私は娘に寄りかかっていた。

    その重さを、
    娘はずっと受け取っていたのかもしれない。

    そう思ったとき、
    言葉にならない感情が込み上げてきた。

    ごめんね、
    という気持ちと、
    どうして、
    という気持ちが、
    ぐちゃぐちゃに混ざっていた。

    何が正しいのかなんて、
    もうどうでもよかった。

    ただ、
    このまま壊れてしまうのだけは、
    嫌だった。

    でもどうしたらいいのか、
    わからなかった。

    その夜、
    私はほとんど眠れなかった。

    目を閉じても、
    同じことばかりが頭に浮かぶ。

    どうすればよかったんだろう。
    何が間違っていたんだろう。

    考えても、
    答えは出なかった。

    ただひとつだけ、
    はっきりしていたことがあった。

    私はもう、
    今までと同じではいられない。

    何かを変えなければいけない。

    でもそれが何なのかは、
    まだわからなかった。

    (第6話へ)

    #創作大賞2026

     
     
    看護師の資格を持ち、さまざまな病気や生死を意識する経験を重ねてきました。波瀾万丈な人生の中で、心理学、ヒーリング、スピリチュアルなどを学びながら、自分の心と向き合い続けてきました。そこで気づいた「自分らしく生きること」「心を大切にすること」を、私自身の体験を通して綴っています。

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