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引きこもり元魔法少女ケアラー:ピヨ③

     真白いセーラー服の少女たちが、煉瓦の遊歩道を軽やかに歩いていく。清涼なチャイムに交じって、彼女たちのはしゃぐ声がここまで届いていた。

     年老いた守衛は、黒鉄の門扉のそばでニコニコと挨拶を繰り返している。彼の視線が上を向くことはない。ピヨに気が付いていない。ピヨはほーっとして、屋上のフェンスから手を離した。

     変身を解き、持ち込んだカーディガンをいそいそと着込む。
     華美な魔法少女の衣装より、私服の方が目立たないだろう。ここ――星海女学院の校則で指定されているのは紺色のカーディガンだ。同じ形のものは手に入らないとしても、同じ色に揃えれば溶け込める。ピヨはワンピースの裾を隠すようにカーディガンを引き伸ばし、ドキドキしながら校舎に入り込んだ。

     不法侵入と言う言葉は理解しているけれど、手段を選べる状況じゃない。悠長に手紙の返事なんて待っていたらピヨは死んでしまうし、町には甚大な被害が出る。家か、学校かに直接会いに行く他なかった。

     終業の鐘が鳴ってしばらく、ピヨはひとの疎らになった廊下を進む。できるだけ無人のルートを選んでいるが、誰かの足音や話し声を聞くたびにドキドキしてしまう。小心者のピヨには刺激が強すぎる。

     やっとたどり着いた生徒会室の扉をコンコン叩く。小さな女の子みたいに甘く、しかし刺々しい声が返ってくる。

    「誰?」
    「ぴっ」

     たった一言なのに、ピヨは縮み上がった。元々気が強い子ではあるが、今は虫の居所が悪いらしい。

     ピヨの秀でた耳が、ドアの向こうで吐かれる長いため息を拾う。きっと昂りを抑える努力だった。

    「今忙しいの。用があるならさっさと入って」

     突き放すような声に、ピヨはごくりと唾をのみ込む。思いの外重い扉を開け、恐る恐る室内へ足を踏み入れた。

     彼女は校長室みたいに豪奢なデスクに向かっていた。窓を背にしているせいで逆光になり、顔が暗く、見えない。

     ピヨの足音が近付いても、彼女はタブレット端末から一切顔を上げようとしなかった。それが子ども染みた不機嫌のアピールなのか、余計なことを言わないように目を逸らす努力なのかはピヨには判断がつかない。それくらい、長く会っていなかった。

    「コフユちゃん……」

     黒瀬コフユは、弾かれたように顔を上げた。

    「え、あ、ごめんなさい! 別の人と勘違いしていたの。あなたに怒っていたわけじゃないわ」

     切り揃えられた前髪の奥で、勝気な眉が頼りなく下がっている。耳に掛けられていた黒髪がさらりと落ち、彼女の白い肌を、薔薇色の頬を撫でた。

     学芸会で無理やり白雪姫のドレスを着せられ、ぶすくれていた少女は、大きくなっても白雪姫だったらしい。長かった髪がすっきりと肩口のラインで切り揃えられ、更に“らしく”見える。

     しかし気性の荒い猫のような性格は、意地悪な継母を自力で撃退してしまうだろう。王子様が助けに来る隙はない。

    「びっくりしたけど、大丈夫ピヨ。急に来てごめんね」

     コフユはまじまじとピヨを眺めた。上から下まで、丁寧に。

    「……ピヨ?」
    「うん!」

     ぽかんと口を開けたチフユに、ピヨはくすくす笑った。トモエの時も思ったけれど、この瞬間は悪くない。

     デートの日に、お洒落が報われた女の子はこんな気持ちなのだろうか。直接会いに来てよかったと思う。

    「……一から説明してくれる? その間に考えるから」

     コフユはピヨに革張りのソファを促し、お茶を入れてくれた。生徒会室は冷暖房、電気ポッドや粉末の緑茶など、設備がずいぶん充実しているらしい。
     部屋の内装も、天の川第一中学とは大違いだ。私立のお嬢様学校というのはこういうものなのだろうか。学校に通ったことのないピヨには想像もつかない。ピヨの拙い説明を、コフユはじっと黙って聞き続けてくれた。

    「そう。ルルが結婚。わたしはあいの方が先だと思ってた」
    「ピヨもそう思ってたピヨ」

     微笑むピヨに、コフユも微かに口元を緩める。長らく会っていなかったとはいえ、手紙のやり取りはしていたから、お互いの近況はある程度知っている。しかしコフユは「まあ、あのひとなら大丈夫でしょ」とあっけらかんと言った。

    「それより大変なのはこっちだわ! 学校行事は中止続きだし、意見箱は破裂寸前だし、大人は授業と部活動をどうするかでずっと揉めてるし。こういう時こそわたしたちが間に入るべきなのに、役員はみんな仕事放棄。怖いとか、親が心配するとかはわかるけど、わたし一人に全部押し付けてるのに気づいてないの? 来ないにしても、もっとできることがあると思うんだけどっ」
    「た、大変ピヨね……」

     入室した時、コフユの機嫌が恐ろしく悪かったのはそのせいだろう。他の生徒会役員の気が変わったか、詫びにきたのだと勘違いしていたに違いない。

     ピヨは他の学校の生徒会活動を知らないが、星海女学院は特別熱心な方だと聞いている。
     コフユは市長である父の愛する町を同じように愛し、そしていつかは町だけではなく、世の中を変えたいと思っている。向上心の強い彼女が、こうした活動で手を抜くはずがなかった。

    「まあ、学校の外はもっと大変みたいだけどね。市役所なんかは特にクレーム対応でパンク寸前だってお父さん言ってた。でも一番ひどいのは、あのキャプテン・コラプサーの腕を壊した男の子ね。あの後すぐに名前も顔も晒されて、一家で夜逃げでしょ。嫌な時代!」

     ピヨはきゅっと胸が痛くなった。ピヨがあの日助けたつもりになっていた男の子は、助けられていなかった。

     現実でもネットでも、彼はひどいバッシングを受けたらしい。町のひとたちも、それ以外のひとたちも、近頃の襲撃は彼のせいだと信じている。彼が石の腕を壊してしまったせいで、町が再び外敵に狙われるようになったと思われている。

     半分は正しいとピヨは思う。エンバーの言葉を信じるなら、新・星喰いドクロ団の襲撃は正しくあの腕の崩壊がトリガーだ。間違っているのは、崩壊が彼のせいではないということ。

     あの腕は、最初から壊れる運命だった。

     彼のサッカーボールが当たったのはただの切っ掛けに過ぎない。あのまま誰も触れなかったとしても、そのうち勝手に崩れていただろう。彼は悪くない。

    「……もしあの子がいなかったら、責め立てられたのはきっとわたしたちだったんでしょうね」

     諦めたような声色に、ピヨは俯く。批判の先をなくした彼らの怒りの矛先は、当時星喰いドクロ団を根絶できなかった魔法少女にしか向けようがない。どちらにしても、嫌な話だ。

     しかし平和になったと聞いたからこの地に引っ越してきた、あるいは留まった人々の不満は、ひとが背負うには重すぎる。しかしそれをしなければならないのが市長であるコフユの父親であり、社会を生きる大人たちなのかもしれない。

    「昔はもっと、みんな優しかったピヨ。こんな、みんなで誰か一人を追い詰めることなんてなかったピヨ」
    「そうかしら。わたしたちの世界も町も、今よりもっと狭かったってだけじゃない? スマホとSNSが、怒る場所と機会さえあれば同じだったかも。なんにせよ、今の魔法少女は大変ね」
    「あ……」
    「ピヨは、もう一度わたしに魔法少女になれって言いにきたの?」

     ピヨはさっと青ざめた。今の世では物理的な死や怪我と同じくらい、別の危険があることに気が付かされた。それでも退くわけにはいかない。

    「う、うん。お願いコフユちゃん。ピヨはいつか戦えなくなっちゃうから、誰かに町を守ってもらうしかないんだピヨ。頑張って他にも魔法少女を探すから、お願い。町を、世界を救って、魔法少女」
    「いいわよ」

     ピヨは何度も目を瞬かせた。

    「へ」
    「本当はね、わたしの方から会いに行こうと思ってたの。わたし、また戦う気しかなかったから」

     コフユがピヨの隣に腰掛ける。どん、とわざと肩をぶつけて、彼女は笑った。

    「忙しくて後回しにしてしまって、ごめんなさい。これから取り戻すわ。だからピヨ、わたしにできることを教えて」

     ピヨは感激のあまり、ぎゅっとコフユに抱き着いた。

    「コフユちゃんー!」

     泣いてしまいそうだった。世界のために、あいちゃんのために戦うと自分で決めたのに、エンバーと戦い、早々に限界を感じてしまった。その瞬間、ルルとトモエが味方にいるのに、一人で戦っているみたいで怖くなった。

     だから誰かに、一緒にいてほしかった。ピヨはぐりぐりと頭をコフユの肩口に押し付けた。

    「あっ、イバラちゃんは? イバラちゃんにも会いたいんだけど……」
    「連絡つかないのよ。今宇宙進出中だから」
    「宇宙進出!?」

     ピヨの動揺を余所に、コフユは平然とした顔で続けた。

    「なんか勝手に貿易してるみたい」
    「密輸!?」
    「まあ地球には持ち込んでないし、いいんじゃない? あのやけにデカい軍艦ごと置いてくれば」
    「軍艦!?」
    「安かったんだって」

     言葉が出てこないとは、こういうことを言うのだろうか。海外に行くだけでも大変なことなのに、唐突に宇宙に行くなんて想像すらできない。どうやって行ったのかを考えれば考えるだけ怖くなってくる。

    「まあ、やり方には問題あるけど、あの人なりに考えてはいるのよ。他の星と協定結んで、宇宙海賊の取り締まり組織を作ろうとしているんだって。何度連絡しても既読にならないから、かなり遠くにいるんだと思う」

     ピヨはしばらく黙り、かくんと肩を落とした。

    「そんなことするの、イバラちゃんくらいピヨ」

     そもそもが規格外で、行動力まで並外れているから厄介なのだけれど、そういうところがあるから憎めない。寧ろ頼りになるとすら思う。

     世界を変えるのはきっと、ああいうひとなのだろう。彼女が宇宙を守り、ピヨたちが守れば、世界は今度こそ平和になるかもしれない。

    「だからわたし、今のままだと変身できないの。ピヨ、しばらくサポートしてくれる?」
    「あ、そっか。そうだよね……」

     自分が一人で変身できるから忘れていたけれど、魔法少女は本来、二人一組だ。それぞれの魔法力を掛け合わせることで、奇跡を起こす。マスコットがサポートに入るのは、その相手がいない時だけだ。

    「ピヨと一緒に変身できるかな? できたらいいな。ピヨ一人でしか変身したことないから、ちょっと緊張する」

     色付いたピヨの頬を、コフユがするりと撫でる。羽毛に覆われた身体や頭を撫でられるのとは違う、不思議な感触だ。頭上で短くため息が聞こえた。

    「……本当は、あいがいたら百人力なんだけどね」

     身体を固めたピヨに、コフユは軽く首を振ってみせる。

    「ううん。わかってる。頑張りすぎたのよ、あのひと。しばらく休んでも罰は当たらない。あいが傷付かないですむように、わたしたちで頑張りましょう」

     コフユの言葉はいつだってきついけれど、正直だ。だからこそ本気で言っているのだと信じられる。

    「うんっ」

     ピヨは昔コフユのことがイバラと同じくらい苦手だったけれど、こういうところに気が付いてから好きになった。

     きっとこの学校のひとたちもそうなのだろうとピヨは思う。生徒会長は、人望なしに務まるものではないのだから。
     今は大変な時期のようだが、役員たちもきっと戻ってくる。そんな気がした。

    「ねえ、ピヨ。新しいひとの目星はついてるの?」
    「実は、コフユちゃんに会ってから考えようと思って……」

     そもそも、この町に魔法少女になれる人間が存在する保証がない。
     マジカルコンパクトに認められるには、少なくない魔法力と、強い意志の力がいる。意志と言うのは、純粋な愛や決意の力、と言い換えてもいいかもしれない。だからこそ世の穢れを知らない少女が、当時のあいちゃんたちが選ばれた。

    「じゃあ、うちの学校の生徒から当たりましょう。あの時、あいもルルも中学生だったから、中等部が狙い目かもね。最低でもピヨの声が聞けるくらいの魔法力がないと……」

     コフユはじっとピヨを見た。ピヨは首を傾げる。

    「ピヨ、その姿だと探せないわね」
    「あ」

     
     マスコットの時と違い、今のひとの身体を持つピヨの声はすべてのひとが聞き取れてしまう。ピヨがかつてのように道行く人々に話しかけ、魔法力のある人間を探すというやり方は、もう使えない。けれどこの町にはもう一人、マスコットが留まっている。

    「ニニー!」

     ピヨはぴょんと飛ぶように駆け寄った。いつものように抱き着くつもりが、抱き上げてしまった。ずっとピヨの方が小さかったのに、今はピヨの方が大きい。

     ニニは背中にハーネスをつけており、外出中だったらしい。マスコットは感情の昂りで他人や動物に飛びつかないが、近所の人々に安心を提供するためだ。最初は無理やりシャンプーをされた犬みたいな落ち込みようだったニニも、今では外出のたびに率先して付けに貰いに行っている。慣れだ。

    「ニニ? お友達?」

     リードの先を持っている女性が、首を傾げて近付いてくる。ルルと同じ青い髪が、風に揺れる。

    「レレちゃん!」

     ピヨより先に声を上げたのはコフユだった。

    「久しぶり! 今日は大学お休みなの?」
    「先週も会ったでしょ。でも、うん。お休み」

     歌雨ルルの妹、レレは優しく微笑んだ。もう十二年の付き合いだ。彼女はコフユに纏わりつかれるのに慣れている。

     昔のコフユは年上のあいちゃんにもルルにも敬称をつけることなく、周囲のすべてを馬鹿だと見下している子だったが、レレには不思議なくらい懐いた。

     後から聞いた話だが、コフユはレレがピアノの弾き語りをしているのを見てお姫様だと思ったらしい。確かに、子どもや森の動物たちと歌っていそうな子だとピヨも思う。レレの視線が不意にピヨを向く。

    「ピヨちゃんもこんにちは。お姉ちゃんから聞いてたけど、本当に美人さんになっちゃって……びっくりしちゃった」
    「ふふ。レレちゃんってば、おばあちゃんみたい」

     くすくすと笑うコフユは、レレに睨まれてもまるで堪えていない。そういうことのできる関係なのだろう。長い時間を掛けて、育ち続けていた友情が眩しい。ピヨは殊更強くニニを抱き締めた。

    「二人とも、お姉ちゃんに用事? 今丁度来てるから会えるよ」
    「えっと、今日は違うピヨ。ピヨたち、ニニに手伝ってほしくて……」

     マスコットとして幼いニニはまだ言葉を話せないが、十二年の月日を経て言える単語はいくつかできた。そうして話しながら町を歩いてもらえば、ピヨの代わりが務まる。

    「そっか。新しい魔法少女を探すんだ。なりたい子、いっぱいいそうだね」
    「レレちゃんも魔法少女になる?」

     レレは昔から姉のルルと仲が良く、魔法少女の秘密も共有されていた。姉と同じく、ピヨたちの声を聞ける素質もある。
     しかしレレは困ったように微笑んだ。その顔は、大人になったルルの笑顔によく似ていた。

    「……子どもの頃なら、なってたかもね」
    「レレちゃん」

     ピヨは手のひらに載せたコンパクトを見せた。受け取った時はルルの瑠璃色だった宝石が、淡いブルーに変わっている。レレを示すみたいに光り輝いている。

     レレは悲鳴をあげた。
     


    「絶対イヤ!」

     レレは叫ぶように言った。あまりに忙しなく動くせいで、柔らかそうなソファがぐらぐら揺れている。
     ルルが母親と出掛けていて、歌雨家に誰もいないのが幸いだった。珍しく取り乱しているレレが存分に騒げる。

    「私もう二十だよ!? 今更できないに決まってるでしょ!」
    「わたしだってもう十八よ」
    「この二歳は大きいの!」

     レレは同じ二歳でも大学生同士と高校生相手ではまるで違うのだと熱弁した。ピヨにはわからない話なので、黙って見守るしかない。
     けれどあいちゃんが中学生だった時は、高校生がとてもお姉さんに見えた。そういう感覚だろうか。

    「それにもう、時代も違うの。全部、記録で残っちゃうんだから」
    「あっピヨだ!」

     レレが机に置いたタブレットには、ピヨの写真がいくつも載っていた。どれもぶれており顔はわからないが、そうした写りの悪い写真がいくつも投稿されているらしい。

     動画も一本あった。ピヨが屋根の上を駆け抜けていく、一瞬の映像だ。スーパーから記念公園に走った時のものだろう。今後からはもっと周りに注意しなければならない。

    「こうやって、簡単にSNSとかで晒されちゃうの。身元特定なんてされたら、私、困るよ。恥ずかしいし……もう大人だし……一番の笑いものじゃない」

     レレの吐き出した深刻な不安に、コフユは嬉しそうだった。

    「なることは想像してくれたのね」
    「コフユちゃんっ!」

     レレは真っ赤になって、コフユを睨んだ。すぐ顔が真っ赤になるところはルルにそっくりだ。

     実際性格も嗜好もよく似ていると思う。ひどく人見知りで、音楽とコーヒーが好き。
     容姿も小さい頃は特に瓜二つで、ピヨはレレと初めて会った時、ルルが縮んだものだと勘違いした。人間の生態をよく理解した今なら間違えない。

    「レレちゃん。魔法が使える人でも、魔法少女の正体は簡単にはわからないピヨよ。変身ってそういうものピヨ。普通のひとならもっとわからないピヨ」

     簡単に特定できないからこそ、魔法少女は変身前に襲撃を受けずにすむのだ。かつてルルが誘拐された時は変身するところを見られていたからだし、コルヴィスは恐らく魔法力の多さと過去のデータを照合できる頭脳があったからだ。

     今はあいちゃんの並外れた魔法力を隠すため、きちんと結界を張ってある。もうピンポイントで狙われる心配はない。

    「そうね。わたしも小学校のみんなを助けに行った時、バレなかったし。変身するところでもネットに上げられない限り、大丈夫でしょ」
    「それでもぉ……」

     レレはふにゃふにゃした声で言った。駄々をこねる前の子どもみたいな声だ。
     見た目はすっかりお姉さんなのに、そうしていると幼く見える。寧ろかつての方が大人びていたくらいだ。
     コフユが強引にレレの手を握る。

    「ねえお願いレレちゃん。一緒に戦おう。ね?」
    「ピヨからもお願い!」

     ピヨも上から二人の手を握った。

    「いっぱいお手伝いするから、力を貸してほしいピヨ!」

     レレはもごもごと口を動かす。きっと返事を貰える。しかしその時、リビングのドアが勢いよく開いた。

    「――レレ!」

     ハッとしたようにレレが顔を上げた。三人の手が自然と解ける。帰ってきたらしいルルはレレの隣に座り、嬉しそうに微笑みかけた。

    「ニニから聞いたよ。魔法少女になるの?」

     レレはなにも答えなかったが、その反応でルルは理解したらしい。目を伏せ、レレの肩をそっと撫でる。

    「……そうだよね。恥ずかしいよね」

     ルルとニニが小さな声で話し始めるのを、ピヨとコフユは黙って見ていた。テーブルの向こうに境界線ができたみたいだ。

     仲間外れにされたとは思っていない。けれどピヨは自分が舞い上がっていたことを自覚し、急に冷静になる。

    「断られちゃうかな……」

     向こうよりも更に小さな声で言うと、コフユは席を立った。ピヨを連れ、歌雨家を後にする。玄関ポーチをくぐったところで、ぽつりと言った。

    「そうしたいだろうけど、責任感のある子だから……困らせちゃった」

     コフユは窓の向こうにいる、ルルを見ていた。


     
     「少し考えさせてほしい」翌日にコフユに送られてきたメッセージには、そう書かれていた。はっきりと断られなかったことには安心したが、強く誘うことはできないと思った。

     いくらコンパクトが選んだとはいえ、義務ではない。町のため、世界のために勧誘を続けたい気持ちはあるけれど、昨日の表情を思い出すと何も言えなくなかった。

     レレは、小さいころは魔法少女に憧れていたように思う。当時のルルの背中を見つめる彼女の目を、ピヨは今でも覚えていた。
     聡いレレは自分もなりたいとは言わなかった。一度だけ「いいな」と呟いていたけれど、それだけだ。

     現実的に不可能だから、ピヨたちに気を遣わせたくなくて言えなかったのだろう。当時我慢させてしまったからこそ、チャンスだと思ったけれど、違ったのかもしれない。大人になってまで、当時の憧れを持ち続けているとは限らない。

    「あんまり考えすぎても身体に毒よ。とりあえず今は待ちましょう」

     コフユはピヨ特製のサンドイッチを齧りながら言った。パン抜き型でハートにくり抜き、間にはレタスとハム、チーズ、トマトを挟んである。

     星海女学院の屋上は風が緩やかで、ハイキングに来たような心地よさがある。ピヨはベンチの座面に手を置き、晴れた空を見上げた。

    「でも、レレちゃんは今たくさん考えてるよね……」

     新・星喰いドクロ団はあれから姿を見せていないが、レレからの連絡もなかった。

     レレは音楽大学に通っているので、そもそも忙しいのだという。授業の後も個人レッスンや実習があり、演奏会などが近ければリハーサルもある。
    そうした日々の合間にレレが今何を考えているのか、ピヨには想像できない。昔はよくわかったのに。

    「コンパクトがレレを選んだ以上、やりたい気持ちがあることは間違いないわ。コンパクトは願いに応えるものだもの」

     ピヨと反対に、コフユはあっさりとしていた。

    「でもまあ、大人になると色々大変よね。そういう意味ではわたし、まだまだ子どもなのかも」

     魔法少女になり、町を守るために戦うのは子どもなのだろうか。ピヨは首を傾げる。

    「コフユちゃんが子どもなら、ピヨはもっと子どもピヨね」
    「あら。今更気がついたの?」

     変わったなぁ、とピヨは思った。コフユの揶揄いに抱くのは不満ではなく、感慨だ。昔だったら罵り言葉だったのに、今は冗談になっている。

     馬鹿な大人から馬鹿な子どもまですべてを見下していた彼女は、あいちゃんやレレのおかげで、いつしか人々を価値のある存在として理解した。相変わらず性格はきついが、心というものを学んだ。

    「あんまり意地悪言うなら、レレちゃんに言いつけるピヨよ!」
    「ふふ。レレちゃんに叱られるのは困るわね」

     星海女学院の屋上は、天の川第一中学と違って、芝生やベンチで彩られている。
     近年に入ってから安全のために封鎖らしいが、コフユは鍵をくすねてきたのだと言う。情報共有のためにも、ピヨは近頃コフユと昼食を共にしていた。

    「……もしレレちゃんに断られたら、どうするピヨ?」
    「その時は、諦めるしかないわね」

     コフユは遠くを見て微笑んだ。

    「でもわたし、レレちゃんと魔法少女やりたいな」

     ピヨたちはしばらくそのまま、屋上で風を浴びた。あいちゃんもハートのサンドイッチを喜んでくれていたらいいなと思った。

     次の日も、その次の日もレレからの連絡はなかった。ピヨは家で家事をし、あいちゃんに食事を運び、コフユは学校に通う。そうした日常が、何事もなく続いていく。レレがコフユに電話をしてきたのは、それから更に数日後のことだった。

    「レレちゃん……?」

     ピヨとコフユは薄暗い歌雨家にそっと足を踏み入れた。家の中は薄暗く、しんと静かだ。歌雨両親は仕事人間で、ルルとニニは元の家に戻ったからだろう。レレはあの日と同じリビングのソファに座り、項垂れていた。

     テーブルの上にマジカルコンパクトが置かれている。中央の宝石が輝きを失っている。ピヨでも初めて見る光景だった。

    「れ、レレちゃん、なにが――」
    「戦おうって、思ったの」

     レレの声はか細く、今にも消えてしまいそうだった。

    「私がやらなきゃって。やるべきだって。けど私……多分、またお姉ちゃんに押し付けようって思っちゃって……っ」
    「どういうこと?」

     眉を潜めるコフユに、レレはクシャリと泣き出しそうに顔を歪めた。

    「だって私の人生、全部お姉ちゃんから貰ったものじゃない……」

     ピヨは彼女に触れようとして、やめる。そんなことはないと否定するのは簡単なのに、言葉が出てこなかった。

     張り詰めた風船を見ているような気分だ。泣いている女の子を見るのは初めてではないのに、どうすればいいのかわからない。
     戸惑うピヨとは反対に、コフユはじっと真剣な目でレレを見つめている。

    「お姉ちゃんはあいさんのおかげだって言うけど、それだけじゃない。だって町を守ってくれた。すごく厳しかったお父さんとお母さんとぶつかってくれた。だから私は音大に通えてるの。平和に暮らせてるの。お姉ちゃんが全部、代わりに戦ってくれたから」

     レレは涙を堪えるように唇を嚙みしめたが、決壊する。ぼろぼろと零れる涙を、彼女は頻りに手のひらで拭った。

    「わ、私、それがずっと嫌だったはずなのにぃ……」

     レレはルルの魔法少女活動をずっと支えていた。まだ小学三年生で小さかったからできることは限られていたけれど、ルルが夜に家を抜け出す手伝いをしてくれたこともあった。
     二人はお互いに感謝しあっていて、対等だと思っていたのに、そんなに罪悪感を抱いていたなんて知らなかった。

    「別に、変身できなくてもいいんだけどね」

     コフユは放るように言うと、どさりとレレの隣に腰掛けた。ソファが軽く沈んで、レレが揺れる。コフユはその肩に頭を乗せた。

    「でも、そうね。もしできるようになったら、なにしましょうか。わたしは二人でネットニュースを飾りたい。わたし、レレちゃんが一緒ならなんだっていいの」

    レレが顔を覆う。泣きじゃくる声がピヨにも聞こえた。

    「特定されたら海外に逃げましょう。宇宙にも行きましょう。ねえ、レレちゃんはなにしたい?」

     賢いだけに周囲に馴染めない女の子だった。誰にでも当たりが強いし、興味もなかった。それが一人の女の子に一生懸命になっている。愛を持って接している。その姿がなんだか、かつてのあいちゃんに重なった。

    「ごめんね。コフユちゃん。ごめんねぇ……」
    「なんで謝るの。ほら、早く考えて。できなかった時のこと先に考える?」

     ピヨは二人を見守るうちに、コンパクトに輝きが戻っていることに気が付いた。ピヨは声を上げて立ち上がった。


     
    「ねえやるの?本当にあれやるの?やらなきゃいけないの?私も?」

     レレは真っ赤になって立ち尽くしていた。手にはマジカルコンパクトが握られているが、ポーズを決める様子が少しもない。
     トモエの喫茶店はくつろぎの空間であるはずなのに、彼女の身体は緊張と羞恥で凝り固まっていた。

    「レレちゃん、往生際が悪いよ」

     コフユがどこか楽しそうに口角を上げる。彼女もかつては、あいちゃんとルルが幼稚園時代に生み出した変身ポーズを嫌がっていた。けれどもう、慣れたものなのだろう。

    「そうそう。みんなやってるから恥ずかしくないピヨよ!」
    「私もう二十歳なんだってば!」
    「早くしてくれないか」

     カウンターの向こうで、トモエが腕を組んでいる。営業時間後に場所を借りたものだから、三人が出て行かないと、店が閉められない。レレはぐっと唇を噛み、コフユを見て少し笑った。

    「もう、笑われてもいいや」

     二人の手がハートを作る。コンパクトが光り輝く。ピヨはその懐かしい輝きを、目に焼き付けた。


    「「ラブラブチェンジ!」」

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