
【エッセイ】何も考えていないようで、ずっと見ている
カフェで1人時間を過ごしていた。
せっかくだから、
やりたいこととか、
感じたこととか、
紙に書き出してみようと思った。
でも、不思議なくらい何も出てこなかった。
前の私なら、
「ちゃんと何か見つけなきゃ」
「意味ある時間にしなきゃ」
って、無理に掘りにいっていた気がする。
でも最近は、
自分を“製造”しようとしていないのかもしれない。
何かになろうとしたり、
価値に変えようとしたり、
言葉を生み出そうと必死になったり。
そういう力が、
少し抜けてきた。
だから、
何も出てこなかった時間も、
「空っぽ」ではなく、
ただ、その時間を味わっていた感じがした。
とはいえ、
いつも心は揺れている。
もっと家族に向き合う時間を
持った方がいいのかもしれない。
家事も、
ちゃんとやった方がいいはずなのに。
そう思いながらも、
なぜか進まない日がある。
でも最近は、
その“進まなさ”にも、
何か理由がある気がしている。
無理に動かそうとするより、
まずは、
「今の自分は、どこで止まっているんだろう」
を見てみたい。
今日は夕方、
次男の病院が2件ある。
皮膚科と整形外科。
どっちから行こうかな、と考えている。
最近、
学校、病院、送迎、
気づけば予定表は、
“誰かを連れて行く予定”で埋まりがちだ。
そんな毎日の中で、
「また病院かぁ」
と、少し遠い目になる日もある。
でもきっと、
身体だけじゃなく、
子どもの気持ちの揺れも一緒に見ているから、
実際の移動以上に、
どこか気を張っているのかもしれない。
今日も、
空が綺麗だなと思う。
道端に咲く花も、
少しずつ変わってきた。
工事中のおじさん達、
今は休憩中なんだな。
警備員さんは、
何を考えているんだろう。
あっ、
この足元の影、
なんだか雰囲気があって素敵だな。
よちよち歩きの子や、
ベビーカーを押す親子を見て、
そんな時代もあったなと思ったり。
店員さんの雰囲気で、
「あれ、どうしたんだろう」
と小さな違いに気づいたり。
学生の後ろ姿を見て、
なんとなく覇気を感じたり。
頭の中は、
いつも観察対象でいっぱいだ。
たぶん私は、
何も考えていないようで、
ずっと生活を見ている。
そして、
そんな時間の中で、
少しずつ自分を知っていくのかもしれない。
読んでくれてありがとうございます。
何かを頑張って考えようとしなくても、
生活の途中には、
ちゃんと自分が見ている景色があるんだなと思いました。
思い出した時に、
またふらっとどうぞ。