
ブランコ
最近反対向きにブランコを漕ぐことに少しハマっている。
反対向き、について補足すると、ブランコに腰を掛けて両手にロープを握り、そのまま首を後ろに垂れるようにして漕ぐ。
ただそれだけの漕ぎ方。その漕ぎ方を反対向きに漕ぐとは言うのかは不明だが、わたしはそう呼んでいる。
むすこを笑わせるためだけにちょっとやってみた。案の定、反対向きになったわたしの顔を見てケラケラ笑っていて嬉しかったが、それ以上に視界の景色の三分のニが空になることが当たり前なようで新しかった。
一気に頭にのぼっていた血が足元へ降りていくことで、全身の巡りがよくなるような感覚に、わたしはちょっとハマってしまった。
わたしは幼稚園児だった頃から運動が苦手だった。
当時の遊びの記憶といえば、泥だんごをいかにかちかちに固められるかということや、植木鉢を避けて裏にうじゃうじゃいるダンゴムシを集めてはプリンの空きカップに入れて飼ってみたり。
おゆうぎ会ではあやとりの「とんぼ」を披露した。
「とんぼ」は、両手で羽根を作り、最後は尾のところを自分の口でくわえて完成する。
先生にマイクをむけられそれぞれ作ったものを発表する必要があるのだが、自分でとんぼを選んだばっかりに口がふさがっているわたしは全く言葉になっておらず、会場には笑いが起きていた。
竹馬や縄跳びも一応していたけれど、あまり覚えていない。きっと、そんなに楽しくはやっていなかったのだろう。
そういう幼稚園児だったが、園庭のブランコは好きでよく漕いでいた記憶がある。ブランコの周りに植えられていた花の種類まで覚えている。特に立ち漕ぎが好きで、できるだけ風をきってぐんぐん、空高く上に上に漕ぎたかった。
わたしはいつだって出来るだけ早く家に帰りたかったから、勢いよく立ち漕ぎをすることで園の外の景色が見えるのもよかったのかもしれないと思う。
当たり前だが、首をうしろに傾ければ帽子は地面に落ちる。
思わず楽しそうな声が出てしまう。
「ぼうし、もっといてあげるねー」
むすこが、すかさず拾ってくれる。
反対向きのまま、ふたりでケラケラ笑いながら、(わたしの顔、いまどんな風になっている?)と一瞬冷静になったところで、車で帰宅した隣の家のお父さんと反対向きのまま目が合う。
お父さんはマスクをつけてメガネをかけていて見えているのは目だけだが、ちょっと笑っているのが目元だけでわかる。
アゴの方から「こんにちはー」
頭を上げるとちいさなおかっぱあたまがふたつのぞく。
小学生の兄弟が、珍しいものを見るようにこちらを見ていた。手を振ってみるとびっくりした様子で「おかあさーん!」と言って部屋に入っていった。
どんな風に見えていたのだろうか。
生活をしていると、特に相手がいることほど、考えても仕方のないことや、相手にたしかめることもできないようなことをいつまでも気にしてしまう出来ごとは度々やってくる。
反対向きに漕ぐブランコは、相手側から見たらへんなはずだがこちらは気にならない不思議。
理由が「反対向いているから」と明確だからかな。
頭にのぼりつめた取り留めのないことを、反対向きのブランコは一気に全身から流してくれるような気がした。
反対向き。新しい漕ぎ方。
いまのむすこといたから出来たたのしみ方。
そうでもなければ反対向きにブランコを漕ごうとしてみなかったかもしれないな。
何年後かのブランコは、誰とどんな風に漕ぐだろう。
頭にのぼりつめそうな時、これからもわたしは首をぐーっと地面にちかつけて、反対向きにブランコを漕ぎたい。