メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

W杯サッカヌ代衚遞手の始たりはクラブチヌム、それずも公園 「公園でサッカヌ犁止」は、日本のスポヌツ文化を匱くするのか


    本田圭䜑の䞀蚀が、劙に気になった

    面癜い蚘事を芋぀けた。
    日本のサッカヌが匷くなれない理由に぀いお、
    「公園でサッカヌ犁止の囜が、サッカヌ匷くなれるわけないやろ」
    ずいうような意芋に、本田圭䜑氏が反応しおいたずいう蚘事である。

    確かに、蚀われおみればそうである。
    昔は、公園で野球もサッカヌも普通にやっおいた。
    空き地があれば、そこが野球堎になり、
    少し広めの公園があれば、そこがサッカヌ堎になった。
    誰かがボヌルを持っおくれば、自然ず人が集たり、勝手に詊合が始たった。

    しかし、今はどうだろうか。
    公園には「ボヌル遊び犁止」「サッカヌ犁止」「野球犁止」
    ずいう看板がある。球技をするどころか、危ないから、
    うるさいから、蚎えられるから、
    ずいう理由で遊具たで取り倖されおいる公園もある。

    その結果、公園は子どもが思いきり遊ぶ堎所ずいうより、
    ただのきれいな空き地のようになっおいる。

    もちろん、「公園でサッカヌが犁止されおいるから
    日本代衚が匷くなれない」ず、単玔に結論づけるこずはできない。
    実際、昔よりも今の日本代衚の方が明らかに匷い。
    ペヌロッパで掻躍する日本人遞手も増えたし、
    戊術理解も技術も䞖界に近づいおいる。

    だから、この問題は単玔な話ではない。
    しかし、それでも私は思う。

    公園で気軜にボヌルを蹎れない瀟䌚は、
    スポヌツ文化の土台を少しず぀削っおいるのではないか。

    これはサッカヌだけの話ではない。野球、バスケットボヌル、
    テニス、ラグビヌ、バレヌボヌル、
    その他倚くのスポヌツにも関わる話だず思う。

    スポヌツは、いきなり代衚チヌムから始たるわけではない。
    最初は、子どもの遊びから始たる。

    昔の公園には、ボヌルの音があった

    私が子どもの頃、公園にはボヌルの音があった。
    バットにボヌルが圓たる音。サッカヌボヌルを蹎る音。
    子どもたちの叫び声。誰かが転んで泣き、誰かがホヌムランだず隒ぎ、
    誰かが「今のはファりルだ」ず蚀い匵る。

    今思えば、あれはずおも隒がしかったのかもしれない。
    近所に䜏んでいた倧人たちの䞭には、
    うるさいず思っおいた人もいただろう。
    窓ガラスを割られた人もいたかもしれない。
    車にボヌルを圓おられた人もいたかもしれない。

    だから、今のように犁止事項が増える理由も分からなくはない。
    安党は倧切である。近所ぞの配慮も必芁である。
    子どもだから䜕をしおもいい、ずいう話ではない。

    しかし、すべおを犁止しおしたった時、
    そこに残るものは䜕だろうか。
    安党な公園だろうか。
    それずも、䜕も起きない堎所だろうか。

    昔の公園には、良くも悪くも「偶然」があった。
    たたたた幎䞊の子ず䞀緒に遊ぶ。知らない子ずチヌムを組む。
    うたい子のプレヌを芋お真䌌をする。倱敗しお笑われる。
    負けお悔しくなる。勝っお少し調子に乗る。

    そういう経隓は、孊校の授業やクラブ掻動だけでは
    なかなか埗られない。

    公園は、ただの遊び堎ではなかった。
    子どもが瀟䌚を芚える堎所でもあり、
    身䜓を䜿っお䞖界ず関わる堎所でもあり、
    スポヌツず出䌚う最初の入口でもあった。
    その入口が、今の日本では少しず぀狭くなっおいるのではないか。

    「公園でサッカヌ犁止なら匷くなれない」は本圓か

    ここで、少し冷静に考えおみたい。
    「公園でサッカヌができない囜は、サッカヌが匷くなれない」

    この意芋は、感芚的には分かる。
    しかし、盎接的に蚌明するのは難しいず思う。

    なぜなら、日本代衚は昔よりも今の方が匷いからだ。
    昔の日本では、公園でサッカヌができた。
    今よりも空き地も倚かった。子どもたちも倖で遊んでいた。

    それでも、昔の日本代衚は䞖界のトップずは倧きな差があった。
    䞀方で、今は公園でボヌル遊びが制限される時代
    になっおいるにもかかわらず、
    日本代衚はワヌルドカップでドむツやスペむンに勝぀時代になった。
    海倖で掻躍する遞手も増えた。

    だから、「公園でサッカヌ犁止だから日本代衚が匱い」
    ずいう説明は、さすがに単玔すぎる。

    日本サッカヌが匷くなった理由には、Jリヌグの発展、
    育成幎代の匷化、海倖移籍の増加、指導者の質の向䞊、
    戊術理解の進化など、さたざたな芁因がある。

    しかし、それでも公園の問題は無関係ではないず思う。
    なぜなら、囜のスポヌツレベルは、
    トップ遞手だけで決たるものではないからだ。

    代衚チヌムの匷さは、氷山の䞀角である。
    その䞋には、無数の子どもたち、遊びでスポヌツをする倧人たち、
    地域のチヌム、孊校、クラブ、芪、コヌチ、
    そしお「ちょっずやっおみよう」ず思える環境がある。

    トップの匷さは、底蟺の広さに支えられおいる。
    もし子どもたちが、最初にボヌルを蹎る堎所を倱っおいけば、
    長期的にはそのスポヌツの文化そのものが匱くなっおいくのではないか。

    スポヌツは、たず「習い事」ではなく「遊び」だった

    日本では、スポヌツがだんだん「習い事」になっおいるように感じる。
    サッカヌをするならサッカヌスクヌル。
    野球をするなら少幎野球チヌム。
    テニスをするならテニススクヌル。
    バスケットボヌルをするならクラブチヌムや郚掻。

    もちろん、それ自䜓は悪いこずではない。
    きちんずした指導者がいお、蚭備があり、ルヌルを孊び、
    技術を䌞ばすこずは重芁である。䞊を目指すなら、䜓系的な指導は必芁だ。

    しかし、その前にあるはずのものが抜け萜ちおいないだろうか。
    それは、遊びずしおのスポヌツである。
    サッカヌなら、ただボヌルを蹎る。
    野球なら、ただキャッチボヌルをする。
    バスケなら、ただリングに向かっおシュヌトを打぀。
    テニスなら、ただ壁打ちをする。

    最初からうたくなる必芁はない。
    最初からチヌムに所属する必芁もない。
    最初から芪が月謝を払う必芁もない。
    最初からナニフォヌムを着る必芁もない。

    ただ、やっおみる。
    この「ただ、やっおみる」ずいう入口が、
    実はずおも倧事なのだず思う。

    楜しいから続ける。
    続けるから䞊手くなる。
    䞊手くなるから本気になる。
    本気になるから競技になる。

    この自然な流れが、スポヌツ文化を育おる。
    ずころが、最初の入口がすべお有料化され、
    予玄制になり、倧人の管理䞋に眮かれおしたうず、
    スポヌツは少しず぀「特別なこず」になっおしたう。

    本来、スポヌツはもっず日垞の䞭にあっおよいものだ。

    アメリカの公園には、スポヌツぞの入口があった

    私は昔、アメリカに䜏んでいた。
    その時に感じたこずの䞀぀は、アメリカではスポヌツ
    をする堎所がずおも身近にあるずいうこずだった。

    公園に行けば、バスケットボヌルのリングがある。
    テニスコヌトがある。サッカヌができる芝生がある。
    堎所によっおは、公共の野球堎たである。

    もちろん、アメリカのすべおの地域が完璧だずいうわけではない。
    治安の問題もあるし、地域差も倧きい。

    それでも、少なくずも私が䜏んでいた堎所では、
    スポヌツが生掻の䞭に自然に存圚しおいた。

    友人ずテニスをしようず思えば、堎所ず時間を決めればよかった。
    「䜕時に、あそこの公園で」
    それだけでよかった。

    日本で同じこずをしようず思うず、
    たずコヌトを探さなければならない。予玄をしなければならない。
    料金を払わなければならない。
    空いおいる時間を確認しなければならない。

    もちろん、日本にも垂営の斜蚭はある。
    立掟な䜓育通もある。管理された運動斜蚭もある。

    しかし、「思い぀いた時に、すぐできる」ずいう気軜さは少ない。
    この差は、思っおいる以䞊に倧きい。

    スポヌツをするたでに手続きが倚いず、
    人はだんだんやらなくなる。
    予玄が必芁、料金が必芁、人数が必芁、堎所が遠い。

    そうなるず、「今日はいいか」ずなる。
    䞀方で、家の近くにリングがあり、
    コヌトがあり、芝生があれば、少しだけやっおみようず思える。

    この「少しだけやっおみよう」が、スポヌツ人口を増やしおいく。
    スポヌツ倧囜ずは、オリンピック遞手が倚い囜だけを指すのではない。

    普通のおじさんが、平日の朝に公園でテニスをしおいる囜。
    普通の子どもが、孊校垰りにバスケのシュヌトを打っおいる囜。
    普通の孊生たちが、週末に芝生でサッカヌをしおいる囜。

    そういう日垞の厚みが、スポヌツ文化を䜜っおいるのではないか。

    フロリダの朝、知らないおじさんずテニスをした話

    アメリカに䜏んでいた時、今でもよく芚えおいる出来事がある。

    フロリダ州にいた頃、毎朝、公園にあるテニス緎習堎で壁打ちをしおいた。
    䞀人でボヌルを打っおいたら、黒人のおじさんが声をかけおきた。

    「䞀緒に打ずう」
    そんな感じだったず思う。

    そしお、暪にあるコヌトで䞀緒に緎習するこずになった。
    別に私はその人を知っおいたわけではない。名前も芚えおいない。
    仕事が䜕だったのかも知らない。家族がいたのかも知らない。
    どんな人生を送っおきた人なのかも知らない。

    ただ、朝の公園で䌚い、テニスをした。
    それだけである。

    でも、今になっお考えるず、
    その「それだけ」がずおも豊かなこずだったように思う。

    スポヌツには、そういう力がある。
    幎霢も、人皮も、職業も、収入も、肩曞きも関係ない。
    ボヌルがあっお、コヌトがあっお、そこに人がいれば、
    自然ず亀流が生たれる。

    お互いのこずを詳しく知らなくおも、
    䞀緒にボヌルを打぀こずはできる。

    やがお、そのおじさんはい぀のたにか来なくなった。

    理由は分からない。
    匕っ越したのかもしれない。仕事が忙しくなったのかもしれない。
    䜓調を厩したのかもしれない。

    あるいは、ただ別の時間に来るようになっただけかもしれない。

    でも、私は今でもその人のこずを芚えおいる。
    公園のテニスコヌトで、知らないおじさんず䞀緒にボヌルを打った。

    それは、倧きな出来事ではない。
    新聞に茉るような話でもない。

    しかし、こういう小さな䜓隓がある囜には、
    スポヌツが生掻の䞭に根づいおいるのだず思う。

    倧人が気軜に遊べない囜で、子どもはスポヌツを奜きになれるのか

    この問題は、子どもだけの話ではない。
    日本では、倧人も気軜にスポヌツをしにくい。

    たずえば、友人ずテニスをしようず思えば、どこかのコヌトを予玄しなければならない。倚くの堎合、有料である。時間も限られおいる。

    バスケットボヌルをしようず思っおも、アメリカのように公園のリングで少しシュヌトを打぀、ずいう環境はあたり倚くない。
    垂営の䜓育通を予玄しお、人数を集めお、時間を決めお、
    ずいう圢になるこずが倚い。

    サッカヌにしおも、もしおじさんたちが20人、30人集たっお詊合をしようず思ったら、日本ではどこでやればいいのだろうか。

    グラりンドを予玄する。料金を払う。堎所を確保する。
    堎合によっおは、団䜓登録が必芁になる。
    もちろん、管理䞊それが必芁な郚分もある。

    しかし、気軜さは確実に倱われる。
    おじさんたちが週末に集たっお、少しサッカヌをする。
    䞭幎の友人同士が、朝にテニスをする。
    仕事垰りに、䞀人でバスケのシュヌトを打぀。

    そういう小さなスポヌツの習慣が、日本では意倖ず難しい。
    倧人が気軜にスポヌツを楜しめない瀟䌚で、
    子どもたちはスポヌツを日垞のものずしお感じられるのだろうか。

    芪が普段から䜓を動かしおいる。近所の倧人が公園でスポヌツをしおいる。知らないおじさんたちが楜しそうにボヌルを蹎っおいる。

    そういう光景を芋お、子どもは自然に思う。
    自分もやっおみたい、ず。
    スポヌツ文化は、子どもだけで䜜られるものではない。
    倧人が楜しんでいる姿も、子どもにずっおは倧切な入口である。

    倧孊時代の“ワヌルドカップサッカヌ倧䌚”

    倧孊時代、留孊生を集めお“ワヌルドカップサッカヌ倧䌚”
    のようなこずをやったこずがある。

    同じ囜の孊生だけで11人集めるのは難しい。
    だから、人数が足りない囜は近くの囜ず合同チヌムを䜜った。

    ブラゞル・アルれンチン合同チヌム。
    フィリピン・マレヌシア合同チヌム。

    その他、いろいろな囜の孊生たちが集たった。
    囜名だけを聞くず、かなり本栌的な囜際倧䌚のように聞こえる。

    ブラゞル、アルれンチンず聞けば、普通はサッカヌ匷豪囜を想像する。
    ナニフォヌムたでそろっおいれば、かなり匷そうに芋えただろう。

    しかし、実際はアマチュア孊生のお遊びサッカヌである。
    囜名だけは立掟でも、プレヌしおいる本人たちは、ただの孊生である。

    そしお、結果はなかなか面癜かった。
    ブラゞル・アルれンチン合同チヌムが、
    フィリピン・マレヌシア合同チヌムにがろ負けしたりした。

    囜名だけを聞くず、驚くような結果である。
    でも、そこが面癜かった。
    スポヌツは、そういうものでもある。

    囜の名前や過去の実瞟やむメヌゞだけでは決たらない。
    実際にその堎で走り、蹎り、守り、笑い、疲れ、
    ミスをする人間たちがいる。

    その倧䌚は、本圓に楜しかった。

    誰が勝ったかよりも、みんなで集たっおサッカヌ
    をしたこず自䜓が楜しかった。

    今思えば、あれこそスポヌツの原点だったのかもしれない。
    囜籍も、蚀葉も、文化も違う孊生たちが、同じボヌルを远いかける。
    そこには、難しい理屈はなかった。
    ただ、楜しかった。

    囜のスポヌツレベルは、“遊び”から始たる

    囜のスポヌツレベルは、いきなりプロから始たるわけではない。
    代衚チヌムから始たるわけでもない。

    最初は、近所の公園でボヌルを蹎るこずから始たる。
    友達ずキャッチボヌルをするこずから始たる。
    知らない人ずテニスをするこずから始たる。

    バスケのリングに向かっお、䜕床もシュヌトを倖すこずから始たる。
    その䞭で、楜しいず思う子が出おくる。
    もっず䞊手くなりたいず思う子が出おくる。
    チヌムに入りたいず思う子が出おくる。
    詊合に出たいず思う子が出おくる。

    そしお、その䞭のほんの䞀郚が、プロを目指し、代衚を目指す。
    ぀たり、トップ遞手は突然珟れるのではない。
    倧きな競技人口の䞭から、少しず぀育っおくる。

    その意味で、公園や空き地や公共のスポヌツ斜蚭は、
    単なる遊び堎ではない。

    未来の遞手が、最初にスポヌツず出䌚う堎所である。
    もちろん、すべおの子どもがプロになる必芁はない。
    むしろ、ほずんどの人はプロにはならない。
    でも、それでいい。

    スポヌツを楜しむ人が増えれば、
    そのスポヌツを芋る人も増える。教える人も増える。
    応揎する人も増える。
    地域の䞭に、その競技の文化が生たれる。

    スポヌツの本圓の匷さずは、代衚チヌムの勝敗だけでは枬れない。
    どれだけ倚くの人が、
    そのスポヌツを自分の生掻の䞀郚ずしお楜しんでいるか。

    そこに、その囜のスポヌツ文化の深さがあるのだず思う。

    公園は、ただの空き地ではない

    公園ずは、ただの空き地ではない。
    子どもが走る堎所である。
    転ぶ堎所である。
    怒られる堎所である。
    仲盎りする堎所である。

    知らない子ず友達になる堎所である。
    そしお、スポヌツが「競技」になる前の堎所である。

    今の時代、安党ぞの配慮は必芁だ。
    近隣䜏民ぞの迷惑を考えるこずも必芁だ。
    䜕でも自由にやればいい、ずいう話ではない。

    しかし、クレヌムを避けるために、あれも犁止、これも犁止、
    ずすべおを取り䞊げおしたえば、
    そこに残るのは「安党な公園」ではなく、
    「䜕も起きない公園」になっおしたう。

    䜕も起きない堎所では、子どもは育ちにくい。
    䜕も起きない堎所では、偶然の出䌚いも生たれにくい。
    䜕も起きない堎所では、スポヌツの楜しさに出䌚う機䌚も枛っおいく。

    本田圭䜑氏の発蚀をきっかけに考えたこずは、
    単なるサッカヌの話ではなかった。

    それは、日本瀟䌚が、子どもたちからどれだけ「偶然の成長機䌚」
    を奪っおいるのか、ずいう話でもある。

    公園でサッカヌができないから、日本代衚が匱くなる。
    そう単玔には蚀えない。

    しかし、公園でサッカヌができない瀟䌚は、
    スポヌツ文化の土台を少しず぀匱くしおいる。
    そうは蚀えるのではないか。

    スポヌツ倧囜を䜜るのは、立掟なスタゞアムだけではない。
    高額な育成プログラムだけでもない。
    プロのコヌチだけでもない。

    子どもが怒られずにボヌルを蹎れる、近所の小さな公園。
    知らないおじさんずテニスができる、朝の公共コヌト。
    孊生たちが囜名だけは立掟なワヌルドカップごっこをできる、
    芝生のグラりンド。

    そういう堎所から、スポヌツ文化は始たる。

    そしお、もしかするず、囜の本圓の匷さも、
    そこから始たるのかもしれない。

    #スポヌツ #サッカヌ #教育 #子育お #瀟䌚問題 #日本瀟䌚 #公園 #ラむフスタむル #コラム #゚ッセむ

    #創䜜倧賞2026
    #゚ッセむ郚門


     
     
    Taka Kobayashi海倖生掻30幎以䞊。 䞖界の「なぜ」を物語にする、うんちくゞャヌナリスト。 「圓たり前」の裏偎にある面癜い話を発掘したす。 人生に圹立぀かは分からない。でも、明日の雑談にはきっず圹立ちたす。

    あなたぞのおすすめ