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Photo byefufuunet

いつでも変えていける物語

    祖父母の家は、電車で二駅先の町にあった。

    駅からはほど近く、陸橋を渡って小学校の前の道を少し北上すると、かつての商売の名残であるガラスの引き戸が見えてくる。

    小学生になって、お正月を迎えると、父の指示に従って唯一のお年玉を貰うために、私は一人、しんと静かな、駅からの冷えた道を歩いて向かった。


    祖母は私を正座させて、しわくちゃになった年賀状を火鉢の縁に置くと
    「ちえは、字が下手だねぇ。何だい、これは」
    と叱責した。

    それは確かに私が書いて投函した年賀状で、慣れない筆書きの文字は誰が見ても、お世辞にも上手だとは言えなかった。

    すぐ側で二人の従兄弟が、買ってもらったばかりの高価なおもちゃを広げていて、時折りこちらの様子を伺っている。

    父と祖父との関係は険悪で、祖母にとっては、実子の子である二人の従兄弟だけが可愛い孫だった。


    従兄弟たちが凧を持って表へ出て行っても、やがて楽しそうに笑いながら戻って来ても、まだ私の正座は許されない。

    足が痺れて、もうとうに感覚がない。
    寒い部屋の中で、変な冷や汗が滲む。
    膝に置いた手の上にポタと涙が落ちて、
    喉の奥がギュッと詰まる。

    ……お金を貰うことは、とても苦しいことだ。
    私は7歳で、そう学習した。


    幼い頃に家でカレーライスを食べたことがない。
    と、私が言うと、大抵の人は驚く。

    「戦前生まれじゃ、あるまいし」
    「普通に、給食に出ていた世代でしょう?」

    カレーライスだけじゃなくて、エビフライも、ハンバーグも、唐揚げも。
    と、私が言い足すと、微妙にその場の空気がひりつく。

    「あ、そういう系の話?」
    「虐待とか、貧困とか、自己開示系?」
    「何なら、不幸マウント?」

    必要以上に空気を読んで、だから私は、口をつぐんで生きてきた。
    「普通」の人間に擬態して。


    複雑な家庭環境だった。
    不都合なことには自ら蓋をしたまま、知らぬ振りをして私は大人になった。

    その一方で、いくつもの「誤った信念」を、私は長く信じ続けた。

    本当のことを話すと、人から嫌われる
    お金を貰うのは、とても辛いことだ。
    私は、誰にも理解してもらえない。
    私は、誰からも大切にされない。

    私にとって、ただ生きるということは、とても困難なことだった。


    近年になってはじめたトラウマ治療で、少しずつ「普通」の擬態を解き、「あの日、あの場所」にいた自分と向き合う作業を進めてきた。

    noteで書いて発信することは、ともすれば誰かを傷付けるかもしれない。
    さらには飽きられたり、読んでくれる人をうんざりさせるかもしれない。

    「また、不幸話?」
    「もう遠い、過去の話でしょ?」
    「同じようなことばかり、いつまで書き続けるの?」

    私だってできれば、あの人のように、お洒落なエッセイを書いてみたいし、あの人のように、一気に没入してしまう素晴らしい小説を書いてみたい。


    だけど、ごめんね。

    私は、もうしばらくの間、やっぱり泥臭い記事ばかり発信するんだと思う。

    膝に置いた手の上にポタと涙が落ちた7歳の女の子を、みんなの輪の中で、見えない繭に覆われて身動きできなかったあの日の私を、救い出せるのは、私しかいないから。

    「今、ここ」にしっかりと立つために。

    私は、私を、生きていく。


    旅していたい
    それじゃまたね
    誰かのための私にグッド・バイ
    あらすじにない余白は
    未完の私で埋めていく

    『章』 / 緑黄色社会


     
     

    ちえ

     
     
    機能不全家庭で育ちました。エッセイ、小説、たまに俳句。回復の道標として、綴っていきます。

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