
「 幸福の王子(と俺) 」 第19話 最終話
第19話
王子は枯れた噴水の淵でとんとんとん、と
ステップを踏む代わりに、
器用にスケートボードを乗りこなして、
不可解な歌を口ずさんでいる。
「カラオケ、カラアゲ、ヤンニョム、あざっす!」
いまだに俺のモノマネにハマっている。
なかなかブームが去らない。
子供ってしつこい。
「カラオケは関係ないだろ、」
「カラオケ、カラアゲ、」
サーキットみたいにぐるぐると周回している。
時々チックタックを入れたりして、テクニックが上がっている。
きっと一日中、公園内を滑っているのだろう。
あとほぼ確でテクニック系のショート動画観てる。
髪にも服にも揚げ油のにおいが
こびりついている。
バイト終わり、残されても困る、と
母親みたいな理屈を言われて、
まだ冷い新規スプライトを相方に持たされた。
今それをありがたく飲んでいる。
空腹だが、気化した揚げ油を吸い続け、食欲はない。
とにかく疲れていて、
液体しか受け付けない。
富士登山後くらい足は痛いし
身体は重かったが(登ったことはない)
王子の噴水で休んでから帰宅しようと思い、
公園に寄った。
ここに来れば、決まって、「やあ!」とか
「やっほー」とか言って、王子が現れて、
今日あった色々を興味津々に聞いてくる。
俺はいつも思いつくままに、
時系列など無視して、結論もオチも気にせず
立て続けに喋った。
王子にとっては俺が話すこと全てが物珍しく、
発見の連続らしく、ケタケタと良く笑った。
その時間がいつも心地よくて、
俺は王子に会いに来ている。
王子は本日の俺の働きぶりを見学に来ていた。
「ヤンニョム」という単語を覚えていた。
店頭からは少し離れた位置から
唐揚げを調理する工程を観察していた。
その好奇心の割に控えめだったのは、
フライヤーの油が怖かったのからかもしれない。
俺は目が合うたびに、客と相方の目を盗んで
一瞬の変顔をして王子を笑わせた。面白かった。
「カラオケ、カラアゲ、ヤンニョム、あざっす!」
不可解なあの歌に追加するくらい
「ヤンニョム」が気に入ったらしい。
それはこの国の言葉ではなく隣国の外国語だ、
と説明しようかと思ったけど、
ややこしいからスルー。ついでに、あざっす!は
ありがとうございます、のスラングだという説明もスルー。
俺は保護者じゃないし、王子を清く正しく育てる義務はない。
王子の日本語は既に乱れまくっていて(俺のせい)
ここからの軌道修正は、申し訳ないけが、
年長者とは言え、ただの友達には荷が重い。
いつも通り、噴水の淵にトートバッグを置いて、
軽く払って座った。
腰掛けるにはちょうどいい。
この幸福の王子像の枯れた噴水は
ベンチとして利用されることが多かった。
夜の樹木たちが吐き出す酸素を
胸いっぱいに吸い込んで深呼吸したら、
身体中の関節がゆるんだ。
後ろ手をついて、空を見上げれば、
ゆるふわなひよこ色の月がぽっかりと浮かんでいる。
「ああ、いい夜だな」
淡い月明かり、ガス塔を模したLEDの常夜灯、
今日の午後に満開になった桜の大樹。
ピンク色が濃紺の薄闇に溶けている。
それは古い童話みたいな光景だった。
誰もが理想とするであろう完璧な春の夜だった。
「あのお月様を見て、」
「見てるよ」
「黄色い宝石の名前を知ってる?」
「知らない」
レイヤーになっていた薄い雲が流れたら、
ひよこ色は檸檬色に彩度を上げた。
「そういえば、王子の宝石って、」
その小さな身体には不釣り合いな、
頑丈なハーネスに施されていた装飾の数々。
あれ以来、確認していなかったけど、残りはどれくらいあるんだろう。
疑問に思って、背後に座って同じように月を見上げていた
王子を振り返った。
だけど薄闇の中では、ハーネスの装飾を確かめることができない。
俺が身体ごと向き合って、目を凝らすのと同時、
王子はその場に急に立ち上がって
脇に抱えていたスケボーをガタン、と
走行スタイルにセットして悪戯っぽく笑った。
「さっきノーコンプライができるようになった。見てて、」
助走距離を稼ぐためだろう、幸福の王子像を挟んだ
丁度俺の対面まで移動して、
「行くよ!見てて!」
声の感じから、ぶんぶん手を振って
合図しているみたいだ。
そちら側には街灯はなくて
闇が濃いから王子の金髪しか目視できない。
ところで、運動神経オバケだからと言って
視界の悪い中、噴水の淵の上で、
調子に乗りすぎじゃないだろうか。
難易度が増せば増すだけ面白い。
俺も何事においても
ギリギリを攻めるタイプの子供だったから
気持ちは分かるんだけど。
声をかけようかとも思ったが、
すでに走行音が公園内に反響している。
王子は俺に向かって
かなりのスピードで進撃している。
徐々に姿が大きくなって迫ってくる。
「見てて!」
王子は声を張り上げ減速せずに、
後ろ足を下ろす体勢に入った。
俺はスケボーを趣味としていたことがあって、
それなりにそれなりだったから、
その瞬間、嫌な予感がした。
ガコッと板を回転させる音が響いた。
できてるよ、回転した、
上手につま先で掬った。
だけど嫌な予感がしている。
「王子…!」
俺の声だった。俺の声?
どうしてスローモーションになっているんだろう?
俺は何を見ているんだろう?
あとは、180度回転させた板に、
再度両足を乗せる。
できるよ。
あとは、180度回転させた板に、
再度両足を乗せれば成功だ。
乗せるんだ。コツなんてない、
とにかく乗せればいい。
「王子!」
俺は咄嗟に腕を伸ばした。
目一杯胸をを開いて、手を差し伸べた。
王子は足元のスケボーを見ている。
前髪が顔を覆って、表情は分からない。
顔をあげろ、
俺を見て、
俺に手を伸ばせ。
王子の身体を、どこだっていい、
手を、指先をその身体に引っ掛けることができたなら、
とにかくどこだっていいんだ。
「王子!」
だけど俺の指先は、手のひらは、空を切った。
握ったのは自分の指だった。
王子はバランスを崩して、
噴水の淵を滑って落下した。
今、何が起きたのだろう。
俺は今見たことを確認しようと目を凝らした。
地面に飛び降りて、あたりを見渡し、
幸福の王子像を見上げた。
夜風に吹かれた薄紅の花びらが視界にちらつく。
王子はバランスを崩して、
噴水の淵を滑って落下した。
お気に入りのスケートボードと共に俺の前から居なくなった。
消えてしまった。
消えてしまった…?
夜風に吹かれた薄紅の花びらが視界にちらつく。
やみくもに払って、目を凝らした。
幸福の王子像、公園の木々、
街灯にぼんやりと浮かぶ大樹の桜、
再び薄雲に覆われていく満月。
枯れた噴水の中央、幸福の王子の像。
あれは彫像だ、王子ではない。
「…まさかな、」
消えてしまった。
王子はバランスを崩して、
噴水の淵を滑って落下した。
お気に入りのスケートボードと共に
俺の前から消えてしまった。
完