
如月
「君は英語を学ぶ時、何に力を入れてる? 読めるようになりたい? もっと話せるようになりたい?」
Sから初めて送られてきた英語のチャットは、こんな内容のものだった。
鹿児島でひっそりと暮らし始めて、ちょうど2ヶ月。
休職中の「カショクオウター」には、永遠に感じられる地獄の自由時間だった。
「カショクオウター」は私が考えた造語で、過食嘔 吐をする人を指す言葉。英語の「-er」(writer など) にならって作った、 私なりのジャパングリッシュだ。
食べて吐くこと以外に、夢中になれるものがない。そんな中で、かつて唯一夢中になれた英会話を思い出した。
そしてふと、世界中の人とチャットで言語を学べるアプリをインストールした。
「読み書きには慣れてるから、リスニングやスピーキングに集中したいかな」
私がそう返信すると、Sはしばらくボイスメッセージでやりとりをしてくれた。
Sは8歳年上で、メルボルン在住のCEOだ。聞いたわけでもないのに、そういう肩書きを自分から名乗る人はこれまでにも何人も見てきた。
シンガポールに本社を構え、Sも5年ほど前まで、10 年以上シンガポールに住んでいたという。趣味は旅 行で、毎年世界各国を旅しており、日本にも年に一 度は必ず訪れているらしい。
彼の社交的でポジティブな人柄は、チャットやボイスコールで充分に伝わった。交際経験も豊富で、日本人女性はもちろん、その他フィリピンに欧米諸国等、国際性には通ずるものがあった。
私も過去に海外の男性と交際していたことを話すと、Sは私にこう尋ねた。
「海外の人とデートするのは、日本人と比べてどう違う? ちゃんと自分を表現できる?」
私はこう答えた。
「お互いを知るのに、言語や会話に頼りすぎると、 少し難しい気もする。でも、そばにいるときのフィーリングを大切にすれば、国籍なんて関係ないんじゃないかな」
その言葉にSは感動したらしい。
「僕が今まで聞いた中で最も美しい解釈だ! メモしておかないと」
2月1日。チャットを始めて2日しか経っていなかったが、Sの勢いに何か起こる気がしたし、なるようになれとも思った。
Sは電話を好んだが、私は過食嘔吐に伴って気分の上 がり下がりが激しく、それが声に如実に表れるのを 恐れていた。
ある日、約束の時間に電話を受けたは良いが、気分が乗らず黙り込んでしまった。その日はチャットで謝り電話を切り、後に文面で神経性過食症のことを打ち明けた。
Sは写真で見る限りかなりふくよかな体型で、僕は大きなお尻が好きだよ、とか何とか言っていた。元気づけようとしてくれたのだろう。
こうして、Sの「トラスト・ミー・プロジェクト」が始動したのだった。
Sは驚くほど行動的で、かつ財力がある。
私はSに対し、自分から何かを要求することは一度も無かった。病気の克服に協力してほしいとも。何が欲しいとも。どこへ行きたいとも。
摂食障害の自助仲間が欲しければ他を当たっているし、N医院の初診を控え、不安はあれど「餅は餅屋」。ただ、嘘や誤魔化しは苦手な性格ゆえ、病気の実情を漏らしたことが、結果Sの野心を掻き立てた。
「ただ僕を信じて、全て僕の言うとおりにしてくれれば、絶対に君の病気は治るから」
あの時感じた違和感が、彼がビジネスで成功を重ねてきた、その奥にも通じるものだったと気付いたのは、それからまた先のことである。
数日後、1冊の自己啓発書を皮切りに、Sから様々な贈り物が届くようになった。
一方で、Sは突然「カーニボア(肉食生活)」を勧めてくることもあり、それが野菜や蕎麦の届いた直後だったため、どこか一貫性に欠けるようにも思えた。それでも彼を信じ、できることから従っていった。
Sは、彼の計画の外側で私の症状が改善することに、全く興味を示さなかった。
その日、私はSにチャットでこう伝えた。
「実は最近、趣味で本を書いていて、そのことで少しずつ気持ちが整理できるようになったんだ。摂食障害のことや過去のトラウマとかも、書くことで案外、浄化されるというか、執筆に夢中になって過食の頻度も減ったんだよね」
それに対して、Sからの返信は来なかった。
「Sの企てたプランの中」でしか、治療は許されないのだろう。
単調な日がほんの数日続いた後、Sが私に、来月シンガポールに行くんだという話を持ちかけた。
「仕事のついでだけど、自由時間もたくさんある。気分転換に君もどうかな?」
「すごく楽しそうだけど、あいにく旅行するお金も無いし、あなただけで楽しんでおいでよ」
対するSの反応は、意表を突くものではあったが、あくまで予想の範囲内でもあった。
「今の君には必要な気晴らしだよ! お金のことなら気にしないで」
2月7日。チャットを始めて8日目。しばらくの間、生きること自体どうでもよくなっていた私は、自分の意思を手放し、流されるままにした。
1年余り前の暖かな冬の夜、私は一人、石垣島の人気のない海沿いを歩いていた。
絶望的に泳ぎが苦手な私は、夜の海に静かに身を落とせば、誰にも気付かれないまま人生を終えてしまえるだろうとさえ思ってい た。
夜の23時頃、観光地や住宅街から少し離れた海辺を、何度も行き来していた。ほんの一瞬、静かに落 ちて波に身を預ければ、それで済むはずだった。そ れだけのことだったのに。
それを実行できなかった自分を、ひどく恥じた。
その日を機に、自分が死にたくても死ぬ勇気のない「側」の人間であると理解した。苦しみ続けながらも生きていかねばならない将来に落胆し、同時に自殺者の勇気を称えた。
それから3日ほどして、Amazonから大きなスーツケースが届いた。シンガポール旅行がジョークではないことを、改めて実感した。
その現実味と裏腹に、財力が主導権を握ることを、私はどこかで恐れていた。
好意で成り立った関係であっても、歪みはどこかで生まれる。
程なく、私の危惧は現実となった。
「パイナップルジュースを飲むと、男女の“それ”も甘くなるらしいよ。旅先で試してみない?」
自暴自棄だった私は、Sの言葉で急に我に返った。
引き返せなくなる前に、自分でブレーキを踏まなくてはならないと悟った。
その頃から、二人の会話は次第に減っていった。
私はSに課されていた毎日の食事報告を自ら断ち、自己啓発書を送って以来、読書の進捗を欠かさず尋ねてきたSも、やがてそれを口にしなくなった。
私が彼からの最初の贈り物を読み終えることはなかった。
そして私たちは、お互いの同意のもとでシンガポール旅行のメンバーから私を除外した。
後半のチャットで彼は言っていた。
「僕は従順な女性を好む。君は独立心が強く男性的な部分があるから、何だか自分と会話してるみたいで、ロマンスを感じない」
Sが、私の病気を絶対に治すと宣言した当時、私たちは知り合ってまだ1週間程度だった。
一方で、私と摂食障害との付き合いは18年目を迎えていた。
なぜ、そんなに自信があるのだろう。
問題解決へのポジティブな働きかけにはとても感謝しているが、同時にすごくプレッシャーに感じた。
これだけ長い期間、努力し、もがき苦しみ、それでも克服できなかったものを、私は今、この自信家の男の面子を立てるためだけに、彼の前で「治ったよ」と偽りの笑顔を浮かべればいいのだろうか。
広い地球で、偶然知り合い、好奇心を刺激され合った2人。
何かが変わるかもと、何か変えられるかもと期待し合った2人。
互いに、その情熱を燃やし切るだけの覚悟は無かった。
2月は短い。すべては、ひと月にも満たない出来事だった。