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20代で得た知見

    私は自分の20代を振り返って「こんなはずじゃなかった」と思うことが多すぎる。

    1に仕事。私は正社員として働くことがほとんどできなかった。就職活動も上手くいかなくて、やっと勤めた念願の広告業界が全然思ってたのと違くて病んで、コロナで病んで、フリーターになった。正社員登用でなんとか合格したのにその後半年も働けずに幾度の休職を繰り返して、今日もなぜ自分はうまく働けないんだ?と考える日々だ。

    2にお金。恥ずかしいが万年貧乏で、1度も貯金できたことがない。(1番の内容を考えれば妥当だが)使う化粧品はいつもドラッグストアコスメ、エステになんか行ったことがないし、ネイルもできない。ヘアーサロンに行くのにもお金がかかるので本当はショートヘアが似合うけど、少し放置しても大丈夫に思えるロングヘアに仕方なくしている。好きなビール屋に行くと美味しい食事がたくさん誘惑してくるが私はそれを横目にビール2杯でお会計をする。未だにサイゼリアが財布の味方で無くなったら死活問題だ。

    3に恋愛。大恋愛だったと呼べる恋をしたけど結局は一緒になれなかったし、結婚を考えた彼氏もいたけど振られたし、過去に連絡先をブロックして終わったはずの恋愛を、寂しい夜に思い出してブロック解除して連絡してしまったりする。それをしてしまった時の次の日のやっちまった感といったらとてつもない。恋愛に対しては周りから下手だとお墨付きをもらっていて、自分でも自覚している。20代で結婚したい!と焦っていた心もどこかに消え今更受け身モードで気が抜けていて、姉に結婚相談所を勧められる始末。

    こんなはずじゃなかった。

    ついに30歳が目前になったが、30歳って、大人って、もっと何者かになっているのだと思っていた。夢を抱いて何者かになりたかったハタチの私が遠い過去で泣いていて、情けなくて目を合わせられない。

    もう「まだ若いね」がそろそろ言われなくなる。若いから仕方ないも通用しなくなる。ちゃんとした大人が世の中に果たしているのかは分からないし、きっとみんな同じような理想を思い浮かべながら今の自分と比較して悲しくなったりしているのだろうが、私も漏れなくその中の1人だ。

    でも、私は確かに20代を生きた。

    苦しくても必死に、考えて、立ち止まって、1歩進んで3歩下がりながら、それでも前を向いて生き延びた。

    いつくたばってもおかしくなかったのに、ちゃんと20代を生き延びた記念に、こんな何者でもない私が、自分の足で、頭で、心で、必死に学んだことを記してみようと思った。


    好きな人との心の繋がりを蔑ろにしては一緒にいられない

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    すごく好きだった人がいた。4年間以上恋をしていて、まだ20歳そこそこの私には眩しいくらいかっこよかった。音楽をやっていて、服は古着やオシャレなブランドの服を完璧に着こなしていた。芸術に触れるのが好きで、子供の頃から劇団で演技をやっていたというエピソードも私は大好きだった。

    彼はいつも夜更かししていて、寝る前に自分の家の鍵をこっそり開けておくと、夜中に彼が家に入ってきて寝ているふりをしている私の布団をめくってキスしてくれた。タバコ臭くてちょっと甘くて、忘れられない味の一つだ。憧れの人と一緒にいられることだけで満たされている気がしていた。

    でも、彼は浮気性で実際に私も浮気相手の1人だった。彼がそんな人だから何度も離れようとして、でもできなくて、一度別れた時に歌を作って聞かされたこともある。そんなの当時の私には刺さりまくって気がついたらまた彼のもとに戻っているのだ。

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    彼が東京に行って、私も上京した。彼を追いかけたというわけじゃないけど彼の存在が大きかったことは確かだ。東京でしばらく一緒に過ごすうちに正式に付き合うことになった。でも、これが私を苦しめた。

    彼と私は長い間一緒に時間は過ごしていたけれど、本当の意味で分かり合える存在ではなかった。彼に会う時私はいつも背伸びしていたし、彼に本音で話すこともなかった。恋人でないうちはそれでも成り立っていたけれど、そのなんとも言えない曖昧な関係性のまま恋人になったところで、これは偽りの関係なのではないかと悩むようになった。

    彼のことはどうしても信用できない。恋愛面でも、心のつながりでも、信頼関係を築く段階をすっ飛ばして気づかないふりをしてあまりにも長い時間一緒に居すぎてしまった。それが苦しくて私は好きだった彼から逃げるようにして別れた。

    こんなに好きだった人と、こんなに一緒にいた人との最後を逃げるように拒否してしまったことは少し後悔している。でもあの頃の私にはそうすることしかできなかった。いくらどれだけ体を重ねても心のつながりをつくらないうちはいつか一緒にいられなくなる。

    友達に対する違和感は必ず確信に変わる

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    学生時代にいつも一緒にいた友人がいた。学科も同じでサークルも同じ、遊び仲間も全部同じだった。話をしていて楽しいし過ごす時間のほとんどにいつも隣にいた。しかし私は彼女と一度もちゃんと2人で遊んだことがなかった。なぜか遊ぼうと思わなかったし、なんとなく2人でいるイメージが湧かなかったのだ。それがどうしてなのか学生時代に随分悩んだこともある。特に彼女に嫌なところもないしとてもいい人なのになぜ一定の距離を保ってしまうのだろう。そんな自分が変ではないかと思って考え込んでしまうこともあった。

    卒業して彼女が結婚した時にその違和感が確信に変わった。彼女が結婚相手にした対応(詳しく書くことは控えておく)で彼女自身が得意げ話してくれた内容に私はかなり驚いてしまった。

    彼女はとても論理的で感情論で解決が難しそうな結婚に関する問題をあらかじめ推定しておくという徹底ぶりで、なんとなくその話を聞いた時に私とは根本的な価値観が違っていたから本当の意味で関係を深められなかったのだろうと思った。

    彼女の考え方を否定はできないし、そういった合理的な方法を用いることで夫婦関係が円滑に進むこともなきにしもあらずなのかもしれないが、私にはどうしても理解できなかったし、私との友情も利害関係を考えられていたのではないかとさえ思えてしまい彼女と一気に心の距離が離れてしまった気がした。

    私は一度相手との関係を疑問に思うとその人との距離を徹底的に遠ざけてしまう短所がある。小学校でも中学校でも高校でも何人もそれで友達を傷つけてしまったと思う。自分で理解しているのだけどどうしても自分を守るためにそうするしか思いつかないのだ。自分の未熟さを嘆くばかり。

    もしこの文章を彼女が目にしたら、私が距離を置いていることに対して謝罪したいなと思う。もし傷つけてしまったらごめんなさい。

    ガムシャラな20代前半が宝物に思える

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    私の20代前半といえばフリーターで勤務しながら毎日のように安い酒を飲んで、たまに朝まで飲んでそのままカフェのオープン作業をしに行って、表では偽りの笑顔、裏ではポカリとしじみ汁で死に物狂いという、とんでもない生活を送っていた。その仕事帰りに帰り道歩いたまま寝てしまって電柱に頭を大激突して巨大タンコブを作った事件もある。

    当時付き合っていた彼氏も同じように遊ぶ体力の有り余っている人だったので、飲みに行って、カラオケして、深夜までダーツして、ラーメン食べて帰る。とかもよくしていた。ああ、今思うとあの時の体力はどこへやら。

    その時に住んでいたのは知らん国籍の外国人と共同生活のシェアハウスで、自室はくつろぎとはほど遠い4畳にも満たない空間だった。ほとんど家にいない生活を送っていたので帰ってシャワー浴びて寝るだけな空間としては十分な環境だった。

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    この頃私はビールのウェブメディアのライターも始めた。きっかけは読者だったことで、ライター募集の記事が目に止まり勢いで応募をして採用してもらった。その時採用したライターで今も続けている人は少ないとかで私はもう5年目に突入している。

    週5でカフェのフルタイムの仕事、日曜日は住宅展示場のコンパニオン、休みの日や仕事の前後でライターの仕事をするという、ほぼ休みなしの日々の中でそれでも遊びに行くことも諦めなかった。本当に文字通りガムシャラすぎる。

    体力も気力的にも2度とあの生活はできないのだろうと思うと、あの時の目まぐるしくセカセカと過ごしていた日々がたまらなく愛おしく感じる。あの時に必死でやりたいことを全部やっていた自分はすごくキラキラ輝いていたと思う。

    自分の好きなものを自覚していることの大切さ

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    大人になると、想像以上に自分の趣味や好きなことを自覚していることの大切さを感じる。それは、時に自分の心を救ってくれる救世主のようなものだからだ。

    わたしの好きなものはビールとコーヒーとヨガだと思っている。

    この3つの趣味に共通していえることは、私はこれと向き合うときに自分の心に意識を向けられるということだ。

    私は常に色々と余分なことを考えて悩んでしまう性分で、「頭の中がうるさい」と思うことが一日の中で何度もあるし、生きてきてこの頭の中のごちゃごちゃと戦う時間があまりにも多すぎる。

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    例えば私がビールを飲んでいるときに考えることは、このビールはどんな作り方でこの味わいを生み出しているのだろう。ブルワーの方はどうやってこの味わいを引き出しているのだろう。このホップの香り好きだな、なんのホップを使用しているのだろう。麦の味わいも程よく引き出されているけれどこの麦とホップの味わいのバランスは天才的ではないか。やはり作り手さんはすごいな…。といった具合だ。

    コーヒーもヨガも、それに接している時はそのことで頭がいっぱいになる。それまで考えていた自分の解決しない問題や悩んでも答えの出ない問いたちは一回フェードアウトしてくれるのだ。それが心地よいし、その時間がなければ私はパンクしてしまう。

    大人になると無駄に考える時間がさらに増えていってしまった。そうやって疲れてしまう私を一旦その問題から離脱させてくれるのが趣味や好きなことだったりする。

    住む街は愛する街であること

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    あなたは自分の住む街をどうやって選んだのだろうか。私は今住む場所を選んだ理由は「好きなビール屋があったから」だ。

    私の出身は静岡県で、就職を機に東京へ引っ越してきた。それまで住んでいた地元にはもちろん愛着があって、思い出や過ごしてきた大切な場所がたくさんあった。

    スターバックスが昔「サードプレイス」という言葉を作り出したが、私はその考え方にとても共感している。学校や職場や家でもない第三の居場所。これが私たちにとってはすごく大切なものだと思うのだ。思い思いの過ごし方ができて、周りに知っている人がちょっといて、考えを整理したりちょっとした話を聞いてもらったりする。そういうのって家でも職場でも代替できないような気がするのだ。

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    東京に引っ越してきてから数年、私はそういった居場所をうまく見つけられなかった。だから自分の住む街に対しても大した愛着が湧くわけでもなく、この街に住んでいる理由といったら、職場からアクセスが良くて家賃も安くて治安がいいから。といった無難な理由だった。

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    私はその「好きなビール屋」がサードプレイスになった。その店に出会って街に足を運ぶようになってから、街の話をよく聞くようになったし近くに住んでいる常連仲間と出会って街に友達ができた。そうしていつしか“この街に住みたい”と思うようになり思い立ってすぐに引越しを決めた。

    今では“好きな街に住んでいる自分が好きだ”という感覚が私を救っていたりする。

    一度ひいた心の風邪は薬では治らない

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    私は数年精神疾患に悩ませれている。心の風邪というのはそれをやんわり言ってみた言葉。うつ病、適応障害、自律神経失調症、抑うつ神経症、これまでいろんな診断をもらったので自分が今なんなのかはわからないが、山あり谷ありで数年過ごしている。

    最初、自分がそれらになった時はいつか治るしちゃんと社会復帰できると思っていたし、周りの人もちゃんと復帰できているのでみんなちゃんと治ってるんだ!と思っていたが、きっと一度なってしまったものは、寛解したとしても付き合い続けなければいけないものなのかなと思い始めた。そのほうが、完全に直して元の元気な自分に戻らなきゃ!と思うよりも心が楽だったりする。

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    私がこれらの病気になってしまったのには、元の素質や幼少期からの問題が原因だと思っている。職場で受けたパワハラはそれを引き出した一個の引き金に過ぎない。だから、職場から離れても、いくら安全な環境にいても、症状が出るときは出てしまう。これらは薬では治らないし、時間が解決してくれる問題でもない。

    私はここ数年カウンセラーさんと自分のことについて話をしたりして、自分の中に根付いてしまっている問題と1ヶ月ごと一緒に真剣に向き合ってもらっている。

    いつか私の中で大丈夫だといえるその日まで私はそれと向き合うしかない。

    自分の作ったものはいずれ美味しいと思える

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    私は料理がめちゃくちゃ下手だった。

    一人暮らししてからもう10年経つけれど、作ったことのある料理は焼きそばと焼きうどんと親子丼のローテーション。たまにレシピをみて作ってみても焦がししまったり何故か変な味付けになったりして、もう自炊することを諦めていた。

    去年から本格的に料理と向き合うようになった。それまで住んでいたシェアハウスを引っ越してちゃんと自炊できるようなキッチンを手に入れたことと、健康を気にするようになったことが理由だった。

    最初は苦労したし今もたまに失敗したりするけれど、レシピを見ないでもなんとなく作れるようになった料理もあるし、得意料理だといえるようになったメニューも出てきたくらい、自炊力はかなり上がった。

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    決して料理が得意ではないし、特別うまいもんをつくる訳ではないけれど、今は自分の料理が好きだといえる。

    苦しいときに会える友達が何人かいれば生きていられる

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    苦しいとき、最終的には自分の心と話し合って解決するとしても、自分以外のひとの力は絶対必要になる気がする。

    わたしも大事な問題は最終的には自分の中で考えて考えて何か答えを見つけ出すことでしか心を救えないとは思っているけれど、その考える過程でいつも助けてくれたのは大切な友達だった。

    わたしにはふとした時に呼び出して寂しいとか苦しいとか泣き言を言える友達が何人かいる。ひとりでいるのが苦しい夜に何度助けられたか分からない。

    私の大切な友達たちは、いつも私のことを受け止めてくれる。私のまとまらない言葉を一生懸命聞いて、頑張ってるねと大丈夫だよと言ってくれる。そんな友達が何人かいる。これって最高に恵まれていることなんじゃないかと最近特に感じるようになった。

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    仕事に行けなくなってそのまま会いに行って泣きながらオムライスを食べる私を見守ってくれたあの子

    体調が不安定で自分に自信もなくて不安でたまらない日にマックを一緒に家で頬張ってくれたあの子

    私がここまで生きて来れたのもみんなのおかげだと思う。

    私はそんな友達を宝物に思う。ずっと大切にしていきたい宝物たち。

    20代のうちに死ぬ気で自分と向き合え

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    私は20代のうちに何度も自分と向き合ってきたと思う。

    最初は大学生の時。私は静岡県内の大学と高校全てに配布されているたいそうなフリーペーパーの編集部に所属していて、ありがたいことに編集長を務めたこともある。編集長がその号のテーマを決めるのだが、私のテーマは「旅」、副題が「大学生シンドローム」だった。大学生シンドロームとは、大学生だから今しかできないことをなんでもやってみたい!と色々と手を出してパンクしがちな自分のことを揶揄してつけた名前で、それとインスタントに出発できてしまう現代の旅の形を掛け合わせて考えてみたもの。難しい題材だったしやりがいもあった。21かそこらで自分の雑誌を作れるなんてなかなかない機会を与えられて、すごくありがたかったしすごく苦しんだ。人生で生まれて初めて自分をグサグサ刺しながら描いたエッセイは一生の思い出だ。

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    就活とか色々あるけれど2番目に自分と向き合ったと感じる機会は27の時の社員登用試験だった。

    2年間フリーターで勤めてきてやっと与えられた機会。私の会社の登用試験の面接のスタイルは、エリアの代表(めっちゃ偉い人)とマンツーマンで1時間話すというタイマンスタイル。自分の言葉で自分を理解して説明できたり、自分の気持ちややりたいことがどれだけ会社とマッチしているかと言うことをうまく表現するためには、自分をいかに深いところまで理解できているかと言うことが重要だった。だから就活の時以上に自分と真正面から向き合った時間だったと思う。

    なぜ20代のうちに自分を知る必要があるのか、それは「自分がどうしたら生きやすいのか」考えるためだと思う。

    自分を見つめないまま、自分のことを知らないまま社会に出ると、つまづいた時にすごく苦労することになる。自分のことをよく知っている人間ほど、ピンチに直面した時の対応力があると私は思う。

    家族だから全て理解し合えるわけではない

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    私の家庭環境は決して悪いものではないし、これまで育ててくれた自分の親を否定するつもりはない。むしろ感謝の気持ちをしっかりと持ってはいる。しかし、私は実際幼少期からの家庭環境で、過敏に気を遣いすぎたり自分の思っていることを親に伝えて来なかったせいで、大人になってから大変拗らせてしまっていることは事実だと思う。

    大人になってから自分がインナーチャイルドの問題ともっと向き合わなきゃ行けないということに気がついた。自分の持っている潜在意識の中に幼少期のトラウマが関わっていることは紛れもない事実だった。

    あるとき、私はその自分が抱えている問題について母親に話したことがある。
    でも母親の反応は私の求めているものではなく、もう分かり合えないんだということを思い知らされて、私の親に対する変な期待や執着がある意味消えて少し心が軽くなった気がする。

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    家族だからといって、それは血のつながりだけで私たちは全く別の人間である。だから分かり合えなくてもしょうがない。分かり合えないからこそ私たちは諦めずに対話を繰り返したり理解しようとお互いに歩み寄る必要があるが、それにも疲れてしまったのならもう無理して一緒に足並み合わせる必要もないのだと思う。

    グレたいからといってタバコを吸ってもあまり意味ない

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    30になる年、なんかやさぐれてグレたくなっていた。

    グレたい私の思考回路は安直で、タバコを吸ってみようと思った。
    最初はマルボロの3ミリ、これはちょっときつかったしあっという間に1本吸い終えてしまうのが寂しかった。
    そのためネットで検索したり友達に聞いて、長く吸えるタバコを探したらアメスピに行き着いた。

    アメスピの1ミリ、これが私の2ヶ月間吸ってみたタバコ。忘れないように記録しておこう。

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    タバコの味は昔から嫌いじゃなかった。でもなんとなく喫煙者になることはなかったけど今回思い切って(?)喫煙者になってみることにした。このタバコが値上がりしていて、紙タバコなんて吸えるところが全然ない世の中で喫煙者になる30手前の女は私しかいないのではないだろうか。

    タバコを吸っている時間は、ヨガをしている時間やビールやコーヒーを飲んでいる時間に似ていた。何も考えずにぼーっと空を眺めて街のおとを聴きながらタバコを吸う時間は心地よかった。

    嫌いじゃないし本当はずっと続けていきたいものなんだけど、健康のこととお金のことを考えて2ヶ月でキッパリ辞めさせてもらった。私の2ヶ月の半グレ期間おーわり。可愛すぎるもんだ。

    20代なんて外で泣きじゃくったっていい

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    20代になって外で大泣きしたことは何回ありますか?

    私は正直数えきれないほどある。すぐ泣くタチなので。
    なぜ泣くのか、それは悔しくて、悲しくて、やるせなくて、どうしようもないからだ。

    1番心に残っている大泣きの事件は、23のとき夜の日本橋の街で嗚咽を漏らしながら大泣きしたことである。
    そのとき私はどうしようもなく孤独で、自分が辛い状況に立っていて限界を迎えているのに誰にも頼ることができなかった。

    誰にも助けてと言えずに、このままどうにでもなってしまえと思い夜の道路で大泣きした。

    どれだけ泣き続けていたかはわからないが、泣き疲れて近くのカフェでハイボールを一杯飲んで
    家に帰って泥のように眠った。

    20代なんて自分で抱えきれない問題ばかり襲ってくる。そんなときは外で泣きじゃくっても良いのだ。30代になったらできるだけお家の中で泣きじゃくるように心がけたい。

    大人になるって傷ついて考えてやり過ごすこと

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    大人ってなんだろうって考えたことがある。

    30歳になって誰がどう見ても大人だといえる年齢になったけど、私の心持はハタチくらいの時からたいして変わってない。

    みんなそうなのではないだろうか、自分が思っていたよりも年齢に精神が追いついてないって感じる。これ、万人が思ってることだと信じている。

    となると、大人になるというのは乗り越える方法を覚えることなのかもしれないと思った。

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    大人になれば傷つくことが増えるしそれで悩むこともどんどん増えていく。傷ついて、悩んで、考えてどうやって乗り越えるのか試行錯誤する。そういう処世術が溜まっていくことが大人になるってことなのかもしれない。

    自分が傷ついて悩んだ分だけその時に大人に近づいてるって思ったら傷つくこともそんなに怖く無くなってくるかも。

    心を救ってくれる宝物の言葉にいくつか出会える

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    私はこれまで生きてきて、貰った瞬間心がジワっと温まって忘れられない言葉に何度か出会ったことがある。

    私が必死に頑張ってきたことを認めてもらえたとか、気づいてくれたことが嬉しかったとかそういう言葉ではなくて、わたしが心に残っている言葉のほとんどは「私がありのままでいることを認めてもらえた」言葉だったと思う。

    私は自分に自信がずっとない方なので、そうやってこのままいていいんだとかありのまま過ごしていていいんだと思わせてもらえる言葉を貰うとすごく安心するし、自分のことを肯定できる。

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    LINEでもらった言葉はスクショしておいたり、言われた言葉はどこかに記したりして、辛いことがあった時に何度も見返している。私のことを認めてくれた言葉の数々に何度救われたのか分からない。

    そんな言葉を投げかけるのはちょっぴり恥ずかしいだろうし勇気がいることだと思うけど、それでも私に素敵な言葉をくれる人たち、私のことを救ってくれる人たち。本当にありがとう。

    自信を持つって、自分を愛すること

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    「自分に自信がない」
    幼少期からずっと悩んできたことだった。

    勉強も運動も卒なくこなすし、絵や文章を書くのも得意で何度も入賞してきたし、過去の同級生が言うには私は「憧れの人」だったという。

    そんなに周りから見たらなんでもできた私でも、今日まで自信を持ったことは一度もない。自分を認めてあげることが苦手でもっと頑張りたい、ここが私の課題だ、そういうことを考える方が得意だったりする。

    自信を持つためには何かをチャレンジして乗り越えることが必要だと考えていた時期があった。その時は何にでも挑戦してみたり、ちょっと無理めなことでも飛び込んでみたりとにかく自分自身に課題を与えることが大事だと思っていた。

    それで私はもっと自信を失う経験もした。色々なことに挑戦しすぎてパンクしてしてしまったり、自分に向いてないことまで挑戦したことで後悔をしたことも何度もある。その経験から、とりあえずで挑戦をすることが自信を持つことにはつながらないということがよく分かった。

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    今は、自信を持つことがどういうことなのかについては、「自分を認めてあげること」だと思っている。

    人間、少しづつ成長することはあるけれど、大きく私という人間の枠を超えて立派になることなんてない。結局はこの体とこの顔とこの脳みそとこの心のまま、生きていくことになる。

    そうなったら私という人間に自信を持つためには変わろうとするのではなく今持っている自分の良さや持ち味を愛してあげるしかないのではないかと結局思う。

    30歳の自分へ

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    カッコつけて「こんな30歳になったよ」って言いたかった。

    でも実際悔しいって思う。
    これは綺麗事じゃないのだ。

    私はもっと優秀でもっと輝けてもっと社会で活躍している。
    そんな私になると10年前の私は思ってた。
    そんな若い頃の自分に顔向けできない今の自分がいる。

    でも私の現実はこうだ。
    社会性がない自分を恥ずかしいって思う。
    これが30歳の私のリアルだ。

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    これまで人生のさまざまなステージで死ぬほど答えの出ない問いに対して悩んできた人生だった。
    辛いことはたくさんあった。自分で自分を苦しめてきた。

    でもここまで生きて来れたこと、
    それは周りの人が助けてくれたり
    辛い時にそばにいてくれる友達がいたり
    泣きながら一緒に飲める人がいたり理解しようと一緒に考えてくれる人がいたり

    そうやって人間関係を作ってこれたことが大きかった。

    周りに恵まれていた。

    それはそうなんだけど、この周りにいてくれる人たちと関係を作ってこれたことは、私の力だったのかもしれない。

    そう思ったら自分のことも認められる気がする。

    30歳になって、これからの自分には
    もっとありのままの自分を愛してあげろよって言う。

    どんなに辛くて壁の多い日々だったとしてもあんたは生きられてよかったし、あんたはそのままでも大丈夫なんだよ。

    あんたはカッコよくないし理想の自分にはなれなかったけど、あんたはあんたで十分良い感じなんだよ。

    そのままの自分で、これからも生きていこうよ。

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    日ごろ思ったことを吐き出しています。よくコケますがめげずに立ち上がっています。ビールのウェブメディアのライターをやっています。 https://beergirl.net/author/ntashiro/

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