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ほんとうでないことはバレる ー 土門蘭『ほんとうのことを書く練習』と出会って

    今日、なんとなく本屋さんへ行きました。
    たまの空き時間に見るYouTubeで
    最近見た中野信子さんが気になっていたので、
    中野信子さんの本を買ってみようかと思ったのですが、
    探しても見つからず。

    きっと今はそのタイミングじゃないんだなと思い、
    代わりに気になった本を購入することに。
    早速読み始めました。

    読み手は、書かれていることが書き手にとってほんとうか、ほんとうでないかを察知する力を持っている。それは感覚的で、読めば瞬時にわかる類のものだ。そして「いい文章」「おもしろい文章」と言われるのは、往々にして「ほんとうのこと」が書かれている文章なのだ。

    『ほんとうのことを書く練習』土門蘭著 ダイヤモンド社

    そうそう!そうなのよ!
    やっぱりそうなんだ!
    と、納得。

    どれだけ耳心地のいい言葉を並べても、
    ほんとうでないことはすぐにバレる。
    それも感覚的に、なんか嘘っぽいと感じる。


    じゃあ写真はどうだろうって考えると、
    同じなんじゃないかと思うのです。
    (ここでいう写真というのは、お仕事で撮る写真ではなくて、あくまでも作品としての写真のことです)


    なんかよくわからないけど伝わってくる写真ってあるんです。
    (この「なんか」の部分、正直まだ言葉にしきれてないんですが、なんかもっと見ていたい、なんか気になるだったり)


    逆に、すごく美しいし、
    構図も完璧、光も完璧、
    何もかも完璧なのに
    伝わってこない写真もあります。

    この差って何なんだろうと考えてみると、
    たぶん、写真の中に撮影者自身がいるかどうかなんじゃないかと思うのです。

    これが写真で言うところの、
    ほんとうでないこと、なのではないかなと。

    作品としての写真が「表現」なのだとしたら、
    前者は撮影者の意図や伝えたいことが
    写真の中にしっかりと表現として現れている
    =「ほんとうのこと」だけれど、
    後者は技術のみで撮影したもの
    =「ほんとうでないこと」になるのじゃないだろうか?

    さらに追い討ちをかけるように、もっともらしいステートメントが加わるとインチキ臭さが鼻をつくようになる。


    そんなことを「はじめに」だけを読んで考えていました。
    面白い本を見つけたかもしれません(笑)

     
     
    東京の下町在住の建築・インテリアフォトグラファー。 ストリートを起点するフォトグラファーグループ写道-shado-のメンバーでもある。 ストリートフォトや建築写真ことを中心に、概念としてのsmall worldについて、考察していきます。 光と気配を手がかりに。

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