
翠恋譚《すいれんたん》⑲
さいはての国 2
◇◆◇
「つまり、誰かここに来る度、いつもこうして勝負を挑むってわけか?」
大空ではなく荻が炎の頭に尋ねていた。
もう誰も護衛のフリなどしていない。炎の頭の部屋で一行は大きな卓を囲み、上等な椅子をあてがわれていた。室内に潜んでいた手下達は全て部屋の外に出され、いるのは炎の頭の護衛が二人と頭代理一人だけだった。
代理は、炎の頭の隣の席に、護衛は頭の後ろで、二人並んで立っていた。
「まあな。暇つぶしにな。不意を突かれた時の反応見て力量を推し量っていた、が…」
「が…?」
荻が続きを促す。炎の頭は意外に気さくな男のよう。相手が誰でも大して気にせず話をし合う人間だった。そういうところが大空に似ていると思った。
「が、まあ…腕を試すと言ったところで、旅人でここに辿り着く奴、滅多にいないもんだがな。これまで来たのだって本当に少ねえ。おれが裏世界に関わり始めて…知ってる限り、ざっと二十人ほどいるかどうかだ。例の黄房の連中にその仲間達、そんなもんだ。最初の黄房の男、三人連れだった。二番目の黄房の男らは四人連れで、三番目は、また三人連れ。そして四番目。おそらく、これが最後の黄房の男のおまえ…」
炎の頭が、楽しそうに肩を竦める。
「おまえは、これまでで一番多い六人連れ。おまけに、うち一人は女。さらに中の一人は…女のナリした男にして大陸一の凄腕代理。ばかデケエ巨体の大刀の男に紗庚の頭を祖父に持つ男。果ては海の向こうの別大陸の男ときて、最後に…おまえ。何と、おまえだ。〝おふれ書″一の重要人物。国の元締めときた上に、大陸総元締ときたあ」
炎の頭が実に面白そうに口笛を吹く。
「おまえは、あの黄房の男らの身内にして、この里に伝わる伝承の男ときてやがる。偶然にしちゃあ偶然過ぎる。こんな驚き、滅多にねえ。おお、そうだ!それに!」
炎の元締めが思い出したように拳でぽんと手を打った。
「〝知らせ書″の男ときたもんだあ!こりゃあ驚く。面白すぎるぜ!」
その瞬間、大空が大きく口をあけた。
「……な…にぃ――っ?!載っちまったのか――!!」
とてつもなく嫌そうに大きく叫ぶ。
「そりゃあ…載るでしょうねえ。あれだけ派手に騒ぎ起こして、何を根拠に、それには載らないと思ったんです?」
九月が代理として頭に呆れた目を向ける。
「は…無理だな。この男には無理な話だ。こいつに常識なんてもんありゃあ、俺達何にも苦労しねえ。もっと穏やかに旅してる」
荻があからさまに大空に非難の目を向ける。
「てめえ、何だ!おれがおまえに苦労かけたか?アホな冗談言ってんじゃねえ!」
大空が心底嫌そうに噛みつく勢いで荻に怒鳴る。
「かけてるよ。心配ばかりかけてるよ…」
思わず荻の肩を持ってしまう。
「その通り。心配ばかりで気が休まらない」
「そのとおりだあ~。うん。心配すんのも苦労のうちだあ~」
海京が思わず同意の言葉を吐き出すと大鷹も続けて強く頷く。
「お…まえら…珍しく、意見合わせて何言ってる!」
大空の不満に一同心から嘆息し、呆れ果てて目を逸らす。
「変わった、元締めだな。威厳がねえ。それでおまけに総元締めとは、もはや、笑いしか出ない…」
炎の頭が首を振りながら大空を見やる。
「おい…ちょっと待て…。元締めはともかく…何でおまえ、おれが総元締めだと知ってるんだ?!その正体は、よほどの事じゃなきゃ誰も知らねえって…言ってたなあ?九月!」
大空の疑問に炎の頭がおかしな顔をしてみせた。その顔をすぐに九月に向けて確かめる。
「おいおい…どうなってる?困ったもんだ、新しい総元締めは。まだ何も知らねえときてやがる。九月、おまえ頭に何も教えてねえのかよ。炎の国の生業を」
九月が大きく溜め息ついて肩落とす。
「これから、教える所だったのです。ですが、この通り。ことの展開がいきなり過ぎて、全く間に合いませんでした。なんせ私達、この国は素通りのつもりでいましたからね。まだ必要ないと思ったんです。頃合い見計らってお教えするつもりだったのですが…」
九月が困り果てた顔をする。
「この方、いつも何でもいきなり過ぎて…頃合いがうまく掴めません。代理泣かせの頭です。こんな困り者の頭いません。頭の切れは相当ですが、女の気持ちにめっぽう疎く、なのに女には誰より優しい。酒と武の腕、天下一。問題は……えぇ…問題は…常識がおかしいという事です。変です。変わり者過ぎて扱いに困り果てています。やる事いつも、大きく派手過ぎて困ります。私達はいつも、助けられつつ振り回され、本当に、苦労しています。まったく、困ったもんです」
炎の頭も大空も、一同、無言でそのぼやきを聞く。
「代理に影で愚痴られる頭は、そりゃあわんさといるがよお…目の前で、こうも堂々とぼやかれる頭、おれは初めてお目にかかった。九月。おれはおまえが気の毒に思えてきた」
炎の頭が九月に同情の顔を見せる。
「おいおーい…失敬だ!本人を前に、何て失礼な奴らだよ!」
この抗議に、誰も、賛同する者はいなかった。
「炎の裏の生業は、どこよりも優れた情報の売り買い。頼まれれば、どんな情報も必ず仕入れて差し出せる。但し、おれがその依頼主を気に入れば、の話だがな」
淡々と話し始める炎の頭の話に、一同静かに聞き入った。
「おれは、できれば悪事に手を染めたくない。これは、おれに元締めの座を譲ってくれた前頭の主義でもあるが、おれの譲れない主義でもある。おれも前頭も、タチのよくない連中は嫌いだ。というわけで、おれは蘭秋の前元締め、本当に、嫌いだった」
炎の頭が軽蔑の眼差しで顏を顰める。
「人買いなんて最低の生業。反吐が出るばかりな思いだった。だが、奴は知っての通り腕の立つ男。護衛も全員、軍隊並みの精鋭ぞろい。討とうにも誰も歯がたたねえ。仕方なく大人しく様子を見ながら、情報を集め、いつか必ず、奴を失脚させるつもりだった。そこにだ、おまえが、現れた。あの頭どもを、何とたった一人、たった一晩で討ちとって、裏の世界をガラリと変えた。そして、ほんの数ヶ月で生業正しをやり遂げた。誰があの頭を討ったのか、大陸で重要な二つの銅章、一体誰が奪ったのか。蘭秋に潜ませていた手下達がすぐに情報を持ってきた。娘達にも話を聞けば…その者何と、″おふれ書″一の重要人物。最も危険視されている男。何より、あの黄房の男達の身内と知った…」
炎の頭が言葉を切り、奇妙な顔で黙り込む。なぜか怒っているような、寂しそうな、悔しそうな顔でもある。
「あいつらの言っていた男が、来た。とうとう、来やがった…。そして、手に入れた事を知った。あいつらの命、護れたかもしれねえ重要な物。知ってか知らずか、そいつは、いとも容易く手に入れた。それを知り、何とも複雑な気分だった…」
炎の頭の寂しそうな声に大空が目を伏せ、ふっと笑う。
「生きてて欲しいと願ってくれたの、おまえで何人目だろうな。父様達、村でもどこでも人に愛され、今でも変わらず人気者だ。揚燕の頭代理も香蘭の代理も、あの沙蘭の頭と代理達まで…なぜか皆、父様達の事を知っていた。まぁ、あんないい男らが集まって歩いてりゃ目立つがな。父様達、どこ行っても、いるだけで派手に目立ってた。だが、九月は何も知らねえみてえだ。おまえからは何も聞かねえ」
「ええ…そのようです。私もそれが不思議です。私はあなたに会うまで、お兄様達の事は何も、全く噂すら知りません。それが本当に不思議なんです」
九月が首を捻る横で、大空が静かに炎の頭に目を移す。
「ここが情報の売り買いを生業としてる地というなら…おまえ、ひょっとして、知っているか?おれがなぜ、沙蘭の頭を討ったのか。本当の理由、知ってるな?」
大空が皮肉を込めた目で笑う。どこか苦々しい笑いだった。
「どういう、意味ですか?」
九月が探るように大空に問う。
「元締め章を奪うのが理由…では?」
九月の戸惑いと同じ思いで一同は大空の横顔を見る。大空が俯いて苦笑う。
「知ってんだろ、情報屋。一のユウ兄が沙蘭の都でやった事」
炎の元締めは瞬間、笑顔で大きく息をつく。
「もちろん。だが、知ってて奴らを討ったとは。恐れ入った。巷じゃ噂すら流れてねえ。前元締めが必死になり、そこにいる九月にも隠した事。おまえがなぜ、知っている?″おふれ書″一、危険な男か…。どうやらおまえ、本当に、あの男らの言う通りらしい。おまえの父親も兄達も、口を揃えて言ってやがった。『全てが失敗に終わっても、おまえに橋渡し出来れば上等。後はそいつがやってくれる』…とな」
炎の元締めがそこで笑う。
「『残念ながら、武の腕はからっきしなダメ男だが、頭のキレで乗り切れる。あいつは相当の切れ者だ』って、ふざけた「嘘」、真顔でついでに残したがなー!」
炎の元締めの最後の言葉に大空が心底苦笑う。
「兄ぃ達…天性の“騙し口“だったからなぁ…。みんな詐欺師の才能あったぜ」
炎の元締めはふっと笑い、静かに真顔で一呼吸ついた。
「二番目にやってきた黄房の男ら。おまえの、父親達。おまえのふざけたキザな兄貴が、沙蘭の都で何やらかしたか、ちょっとした余興で話してやったら…みんな、こう言ったぞ。『さすがは一のユウ』。そう言って、笑ってやがった。おまえの一番上の兄貴。蘭秋を抜けてここに来た時、ここの生業知るなり聞いた。沙蘭の都の状況を。教えてやったら…あいつ――」
炎の頭が呆れたように笑みを浮かべて首を振る。
「あいつ…何と沙蘭に戻ろうとした!そんな奴、見た事ねえ!」
大空が寂しそうに笑いをこぼした。それを受け、炎の頭も笑みをもらす。
「ことの発端は何だったか。何か探して裏街道を歩いてた、とか…。そこに、裸足で服もぼろぼろの娘がぶつかってきて…。それを保護したのがきっかけだそうだ。娘は、沙蘭の頭の潜伏先から何とか運良く逃げてきた者。その娘通じて人買いの事を知ったあいつは、仲間二人と共に三人で、他の娘達を助け出した。だが、ここに来て、一度は助けた娘達がまた攫われたと知ってよお…」
炎の頭がふっと悲しそうに笑う。
「大事な旅の途中ゆえ、派手な騒ぎは起こせないと考えたのが間違いだった。頭見逃さず殺っとけばよかったと心の底から悔やんでた。えらく後悔してた。そして、戻ろうと、しやがった!ここまで来て戻ろうとする奴、おれは初めて見た。おれはもちろん、当時の頭も驚いた。そんなバカなあり得ねえ男、見た事なんかねえからなあ」
大空が肩を揺らして笑う。
「一のユウ兄はなあ、どこまでも女に優しいんだ。ここまで来て…戻ろうとしたか。さすがだな。敵わねえ。一の兄ぃには敵わねえ」
大空は天井を見上げて笑ったが、やがて、真剣な目を頭に向ける。
「娘達、どうなった?沙蘭の頭ども聞いても最後まで教えなかった。よほどの屈辱味わったか…九月にさえも隠したほどだ。一の兄ぃ、何をしたのか…」
大空が笑うと頭がにやりと笑いを浮かべた。
「おまえの兄貴、仲間の説得も頑として聞かず、沙蘭に戻ると言い張った。戻って今度こそ頭討つと。今度は、小汚いあの体に、屈辱の烙印じゃ済まさねえ…ってよ」
大空が静かに笑って俯く。炎の元締めも楽しそうに笑う。
「まあ…。体のどこに、どんな傷をつけられたのでしょう」
九月がくすっと俯いて笑う。その様子からつくづく思う。
「余程…嫌われていたと、見えるなあ…」
荻が呆れて吐き出すことで大高の思いを代弁した。
「その足を止めたのは、当時の、頭だった。娘達の事は任せろと前の頭が請け負った」
炎の元締めが寂しそうに言葉を続けた。
「沙蘭の頭は手強すぎて、とても討つ事は出来ねえが、売られた娘ら助ける事なら必ずできる、そう請け負った。協力する者がいるからと、そしたら、あいつ…心の底から安心して…ここを笑って旅立った」
炎の元締めは思い返しながら遠くを見る。
「最高の笑顔で旅立って行ったぞ。背中と腰の黄房の揺れ。今も目に鮮やかに焼き付いてる。国中の女、虜にして、虜にしたまま去って行った。おれの女も夢中にさせて、心奪って行っちまった。嫌な野郎で、いい男で…むかつくほどに面白いっ…いい…人間だったっ…」
炎の頭は歯を食い縛り、拳を握って涙を落とす。
「あの時、もしも私が止めなければ、あの男は、生きて帰ったかもしれんなあ」
背後から威厳のある女性の声がした。
「あ、あんた…!?」
荻の驚きの声に振り返る。
そこにいたのは、社の森で子供達といた、あの子守りの老婆だった。
哀しそうな目で、老婆が大空を見ていた。
「あの男は…あんたの優しい兄さんは、元締め章を知らんようだった。それでも頭を討っていたなら、偶然にでも手に入れたろう。そうすれば、おまえさんのようにもっと楽に、もっと簡単に都を抜け、もっと安全な旅ができたはずだ。それを手に入れておったなら、この先、おまえさん方が成そうとしていることに、大いに役立ち、男らの命、護る事になったかもしれん。だが、私が…おまえの兄を戻らせなんだ」
老婆は、後悔の滲む悲痛な顔で、心から悔しそうに告げていた────。