
共にいる時間
友達の犬を数日間預かることになった。
今これを書いているのは友達の家のベッドの上だけど、私の腕にはその犬のあごがのっている笑。
数日前まではたまに会う「友達の犬」だったはずなのに、気づけば家の中でいつも一緒にいる存在になっていた。
小さい頃、実家でも犬を飼っていた。
でも今振り返ると、私はあまりちゃんと向き合えていなかった気がする。散歩や世話を面倒に感じることもあったし、一緒にいることを当たり前に思っていた。
歳を重ねるにつれて、人間も動物の一部なんだという感覚が少しずつ戻ってきた。
それと同時に、生き物全般へのリスペクトも以前よりも増した。
私は昔から犬が好きだ。行く先々で犬がいれば写真を撮る。笑



カナダではたくさんの人が犬と暮らしていて、散歩をしているだけでも色んな犬に出会う。かわいくって、気づけばいつもニヤニヤしながら眺めている。
今回やっていることは、ご飯をあげたり、散歩に行ったり、庭でボールを投げたり、トイレの世話をしたり。それくらい。
不思議なことに、「世話をしている」という感覚がそこまでない。
どちらかというと、一緒に暮らしている感覚に近い。
彼はとても寂しがり屋で、私が家にいる間はずっと近くにいる。
散歩に行けば、ぴたっと横を歩く。
周りを気にしながらも、新しい匂いや景色を楽しんでいる。
家では隙あらば体をくっつけてくる。
言葉は通じないし、人間同士のコミュニケーションとは当然違う。
それでも彼のキャラクターが愛おしい。
たった数日しか一緒に過ごしていないのに、その仕草や表情を見ていると、少しずつ彼のことが分かるような気がしてくる。
そういえば、保育士になったばかりの頃も似たような感覚があった。
子どもたちは自分よりずっと年下だけど、一人の人間として接したいと思った。
大人と接する時とは違うけれど、どこかもっと自然体でいられる。
自分も飾らずにいられる。
そんな感覚だった。
今回の犬との時間にも、少し似たものを感じている。
最近よく思うことがある。
一人でいることが嫌いになったわけではない。
むしろ今でも好き。
でも以前のように、自分の世界だけに閉じこもることへの興味は少し薄れている気がする。
人や生き物と関わること。
誰かと時間を共有すること。
その中で相手を知り、自分のことも知っていくこと。
最近はそういうことに強く惹かれる。
今も犬は私の腕に顎を乗せたまま眠っている。

数日後にはこの時間は無くなる。
少し寂しいけど、だから愛おしい。
こうして誰かと同じ時間を過ごすことの豊かさを、今改めて感じている。