
私は今日も「とりあえず生」
「とりあえず生」
このセリフを聞く機会、ぐっと減ったなと思うわけです。
機会は減りましたが、やはりこの言葉が出る若者は、令和の時代になっても未だに一定数の支持を集めています。
「とりあえず生」この利点は、大人数で飲みに出かけた時に、ファーストドリンクのオーダー時間ないしは提供時間を短縮できるという、ただそれだけのこと。
朝から晩まで汗水垂らして働いてる企業戦士にとっては、干からびた身体に染み渡る聖水。
何人にも犯されていない自分だけのオアシス。
確かにそんな存在であった“生ビール”。
ですが、令和の時代にはナンセンスなようです。
上司と行く飲み会でも一杯目から好きなものを飲みたい。
なんなら、そもそも上司と会社外で会いたくない。
時代はいつの間にかそう変わっていました。
これが令和の飲みニケーション事情です。
わかる。めっちゃわかる。
私だって、ハラスメント大飽和時代である令和の世で8年間もお酒を飲んでいるわけですから、時代の流れにきちんと乗っているわけです。
ただ平成の世でもしこたま飲んできていますので、「とりあえず生」は実際便利なことも知っています。
そもそも私は一人でバーでも居酒屋でもビアホールでも行けちゃう“おひとり様謳歌しまくり30代女”なので、飲みに誘われればひょいひょいついていくタイプです。
そして生ビールは大好き。
正直瓶でも缶でも全然いい。
焼酎も好きだし、日本酒もいける口だし、ウイスキーもよくわからんリキュールも結構なんでも嗜みます。
先ほど令和の飲みニケーション事情がわかると書きましたが、“わかる”と“自分もそう”は別です。
全然「とりあえず生」派な私。
そんな私、先日興味深い話を聞きました。
とある企業の野球チームのメンバーが、チームを抜けたそうで。
その脱退理由が
“飲み会がないから”
同じ趣味を持つ大人たちの集まりでも、結局最終目的が違うと、方向性の違いというものが生まれてしまうんですね。
”野球そのものを楽しむ“のか”人とのコミュニケーションを楽しむ“のか、人それぞれだったというわけです。
そもそも”飲みニケーション“という言葉。
語源的には1970年代から1980年代ごろに普及したんだそう。
確かに、高度経済成長期だからこそ生まれた言葉という感じしますよね。
昨今の日本の経済事情からは絶対に生まれなさそうな言葉です。
メリットとしては
⚫︎親睦が深まる
⚫︎お酒の力を借りていつもより大胆になれる
デメリットとしては
⚫︎めんどうくさい
⚫︎金銭的、時間的な負担がある
こんなところでしょうか。
メリットもデメリットもわかりみが深すぎて、本当に良くも悪くもな文化だなと改めて思った次第です。
「どちらの心にも寄り添える」と言ったら聞こえはいいかもしれないけれど、どっち付かずとも取れてしまう存在。それが私です。
これからも時代はどんどん変わっていくけれど、私の一杯目はきっと変わらないんだろうな。
今日も明日も、とりあえず生で。
完。