メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bychari_lele

妻にはもう少しわがままでいてほしい

    家族で外食に行くと、息子はあれもこれも食べたいと言いだす。だいたい2択まで収まるが、そうすると妻は「どっちも頼みなよ」と言う。そして自分で頼んだ小皿を適当につまんだ後に息子が残したご飯を食べて、お腹いっぱいだと呟く。

    私たちが息子に甘いことは一旦脇に置いておくとして、妻が好きなものを好きなように食べないことに強い違和感があった。

    妻がメニューを見ながら悩むところや、美味しいと喜んで食べるところ、思っていた味と違ったと渋い顔をするところを見るのが楽しかったはずなのに。
    みんながそれぞれ食べたいものを食べて、他に食べたいものがあればまた来たらいいのに。

    誰かの自己犠牲のうえにみんなで囲むテーブルが成り立っていると思うと、心から楽しい時間だとはあまり思えなかった。

    それを妻に伝えると、「わかったけど、別に私はかまわないよ。」と答えた。
    本当にそうなのかもしれない。でも付き合っていた頃の妻はもっとわがままで、それこそ息子のようにあれもこれもと言っていた。

    外食に限らず、「妻」や「母」といった役割のために自分を後回しにしてほしくないと思っている。子どものために尽くすことが自分の生きがいだという人もいてその気持ちもよくわかるのだが、自分が自分のために自分の人生を生きているという実感は子どもに費やす時間からは得ることが難しいような気がする。

    そう考えているので、妻には専業主婦にはなってほしくないと思っている。働いている間だけはそうした自分の役割から離れて一人の人間としていられるからだ。当然だがそう思うからには共働きでも家庭が回るように家事・育児や突発的な休みなどはうまく調整している。

    自分の価値観を妻に押し付けるつもりはないし、専業主婦になりたいと言うのであればそれに強く反対することもないが、ちゃんと自分の人生を生きてほしいと思っている。

    しかしながら、かくいう自分は仕事に野心はそれほどなく、自分の人生で成し遂げたいことも特にないし、自己実現の欲求は少しずつ枯れてきたような気がする。暇なら息子のために野球の教え方や足が速くなる練習法をYouTubeで見て、平日の夕方はそれの実践に使う。土日の草野球は辞めて息子の少年野球を手伝うようになった。

    これこそ自分の人生を生きていないような気がするが、「父」という役割を子どもが与えてくれて日々が楽しいし、満足している。

    それでもどこかで、このままだと自分らしさが消えてつまらない人間になっていく感じがしている。飲み会で話したいことが子どものことばかりになってきていて、どこかで不安になる。

    ときどき考える。
    父親である前の自分は、どんな人間だっただろうかと。

    ただ、こういう葛藤こそが「親」という役割を自分が受け入れる過程なのかもしれない。まだ親であることにどこかで抗っているような気がしてきた。

    妻には、息子の残り物ではなく自分が食べたいものを頼んでほしい。
    母親だからではなく、一人の人間として。

    妻にはもう少しわがままでいてほしい。
    できることなら自分も。

     
     
    東京で夜景を作る30代。托卵で生まれた子。平民なりに考えることを書き残していこうと思います。

    あなたへのおすすめ