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Photo bypiyobloger

介護士だった僕が、絵に辿り着くまで

    以前、僕は介護士として働いていた。

    特別養護老人ホーム。朝から晩まで、やることは山ほどあった。

    食事介助、排泄介助、移乗、記録、職員同士の申し送り。予定通りに進まないことも多く、現場はいつも慌ただしい。

    誰かがナースコールを押せば走り、別の誰かが転びそうになれば駆け寄る。気づけば一日が終わっている。そんな仕事だった。

    その中で、今も忘れられない光景がある。

    利用者さんたちは、思い出を話す時だけ、ふっと表情が変わるのだ。

    家族旅行に行った話。若い頃に働いていた仕事の話。友達と買い物へ行った話。昔住んでいた家のこと。祭りの日の賑わい。

    さっきまでぼんやりと窓の外を見ていた人が、その話になると笑う。声に張りが出る。少し小さくなっていた背中に、目に見えない芯が戻るようだった。

    特に忘れられない人がいる。

    まだ若くして全身麻痺になった男性だった。動かせるのは首から上だけ。身体の自由はほとんどなかった。けれど会話はしっかりしていて、冗談も言う人だった。

    ある日、何気なく若い頃の話を聞いた。

    すると、それまで静かだった目が急に輝いた。

    仕事で走り回っていた頃の話。仲間と笑った話。休日に競馬場へ行き、歓声の中で胸が高鳴った話。

    身体はベッドの上にあっても、その時たしかにそこへ戻っていた。

    競馬場の熱気の中へ。若かった自分のいる時間へ。

    僕はその横で、ただ話を聞いていた。

    人を支えているものは何だろうと、その時思った。

    身体の自由だろうか。お金だろうか。肩書きだろうか。

    もちろん、それらも大切だ。

    けれど、それだけではない気がした。

    誰かと笑った記憶。夢中になって働いた日々。胸を躍らせた時間。愛されたこと。愛したこと。

    そういう思い出が、人の内側で静かに灯り続けているのではないかと思った。

    一方で、自分自身の中には別の葛藤もあった。

    平社員の頃は、利用者さん一人ひとりと向き合う時間があった。けれど主任になると、勤務調整、職員同士の人間関係、現場全体の管理に追われるようになった。

    気づけば、利用者さんの顔より、職員の顔色を見る時間が増えていた。

    それも必要な仕事だ。誰かがやらなければ現場は回らない。

    それでも、どこかで問いが残った。

    自分が本当にしたいことは何だろう。

    そんな時、同僚に勧められ、終末期ケアについて学ぶ機会があった。

    人の最期に近い時間。何を大切にし、何を残したいと思うのか。

    学びながら、僕の中でひとつの答えが形になっていった。

    生活を支えることも尊い。けれど自分は、思い出や人生の時間に関わることがしたい。

    そして辿り着いたのが、絵だった。

    家族との時間。今しかない姿。大切なペットと過ごした日々。誰かに贈りたい気持ち。

    言葉にしきれないものを、形にして残すことができる。

    介護士だった時間は、遠回りだったのかもしれない。けれど今は、必要な道だったと思っている。

    あの場所で、僕は教わったのだ。

    人は、思い出を話す時にいちばんいい顔をする。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
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