
鏡につく嘘
「あなたは、嘘つきだろう」
ある人が言った。
「そんなことはない」そう言い返しそうになったのは、いつも顔を見れば「嬉しい」も「嫌だ」も書いてある、本当に単純だと笑われる自分が、嘘つきなはずがないと思ったからだ。
けれど、本当にそうだろうか。
私は、自分に大嘘をついていたことを思い出した。
けれど、それは“嘘”だとわかっていたことだから、嘘つきとはいえないのではないか。いや、それでも嘘は嘘だから、やはり私は嘘つきなのだろうか。
いまから十年近く前のこと、私は、鏡に映る自分に向かって言った。
「いいね。今日も元気そう」
朝に夕に、鏡を覗き込んでは、そこに映る自分に向けて、そんな言葉を投げかける。
「昨日より顔色いいみたい」
鏡の中の私は、満面の笑みを浮かべ、その言葉を聞いていた。
一体なんの茶番だと思われることだろう。
やっている私自身でさえそうなのだから、そう思われたとしても不思議はない。それでも私には、そうしなければならない理由があったのだ。
私は、このときがんの診断を受けていた。
診断自体は、いたし方のないことだけれど、問題は生検の結果が一向に出ないことだった。確定診断は出た。増殖スピードは速い。
「だけどね。結果がはっきり出ないのがあるんだよ」
医師の説明に、私は言葉もなかった。
頼みの綱の西洋医学に、そんな曖昧なことをいわれて、まるで裏切られたような気分になった私は、腹いせに「西洋医学に頼らず、がんが消えた!」という類の本を、片っ端から読み漁った。
その中に、こんな記述があった。
「脳は見たものに騙される。だから鏡の中の自分が元気そうに笑っていれば、病気があることとの整合性が取れなくなり、病巣が消える」
正確には覚えてないけれど、大体こういう意味合いだったと思う。
治療もはじまらないことだし、「これで腫瘍がなくなれば、ラッキー」なんて、軽い気持ちではじめたと言いたいところだけれど、実際はそうではなかった。
何でもよかった。
けれど、どんなに馬鹿馬鹿しいことであったとしても、私には「やれること」が必要だった。自分の心が、少しずつ均衡を失っていく。その感覚は、体の中で病巣が広がることよりも、恐ろしいことのように思えた。
実際、このしばらく後には、怪しいご祈祷やら何やらに、お金をつぎ込んでいる。
被害が10万程度ですんだのは、私の自由になるお金がそのくらいしかなかったからだ。でも、もしあの時、高価な壺や石を売りつけられていたら、「きっと買っちゃってたよね」と、いまも私の中の私が笑う。
どれだけ口角を上げ、笑顔を作っても、不安に慄く心を消し去ることはできなかった。
それでも笑顔を映し続けた。
やめてしまえば不安の沼に沈み込み、2度と這い上がれないと知っていたからだ。
ようやく治療が始まった。
とはいえ、結果がはっきり出ないままの見切り発車だった。
「もし薬で増殖が早まるようなら、治療を打ち切るから」
医師の言葉に、「そしたら、どうなるんですか」と聞き返すと、「それ、聞いちゃう」とでも言いたげな顔で見返された。
隣を見やれば、正面を向いたまま微動だにしない夫の横顔。私は、誰にも顔を見られたくなくて、黙って診察室を後にした。
鏡を前に笑顔を作ることは習慣になっていたものの、髪が抜けはじめると、さすがに「今日もいい感じ」と口にするのは、憚られるようになる。
どうせ抜ける髪なら、「いっそ剃り上げてしまえ」と思ったのだが、そう考える人は結構いるらしく「剃り上げたら、頭皮の下、毛根と数ミリの髪が抜け落ちるんです。これが本当に厄介で。寝具や衣服に刺さって不快だし、おまけに掃除もしにくい。いまの長さのままがいいですよ」と忠告された。なるほどである。
毛根付きのゴマ粒みたいなのをぱらぱらと家中にまき散らすくらいなら、お風呂の排水溝のごみ受けの中で、真っ黒にとぐろを巻いててくれる方がましというものだ。
肩より少し長いくらいの髪がざんばらに残るようになると、鏡の中には「死にもの狂いで逃げてきた」臨場感たっぷりの落ち武者が現れた。
その顔がニタリと笑う。
やぶれかぶれの最期の瞬間を、カメラがぐうっと寄って映し出したみたいだった。
「すげぇな、おい」
まるで石原良純みたいな感嘆が口をついて出た。
こうなるともう、哀しさよりも可笑しさが勝った。
笑って笑っているうちに、髪は残らず抜け落ちた。
この日も、白ちゃけた顔が「大丈夫だよ」と鏡の中で微笑んだ。
眉毛も、まつ毛もない、のっぺりと間延びした顔は、驚くほど穏やかで、晴れやかにさえ見えた。
ふと違和感に、目を凝らす。
男でも女でもない、白々とした得体の知れない生き物が、鏡の中で口を開いた。
「もうお前とは一緒にいられない」
頭に響いたのは、私に引導を渡す私自身の声。
それは体の声…
何も求めず、ただひたすらに私を生かすため働いてきた体。
辛さに呻く私が、意識を手放したあとも、痛みと不快を引き受けて、私を生かし続けた、この体。
その体が、自ら作り出した病でもって、私を終わらせようとしている。
すでに答えは出ていた。あの穏やかさは、諦めきった人のそれだった。
すべてを失う絶望に、わなわなと震え出す。
視界が揺れた。
胸が、喉が痛かった。
千切れそうに痛むのは、心か体か。
無くなってしまうことへの、混じりっけない純粋な悲しみ。
体を貫くぎりぎりとした痛みが、体こそ、私そのものなのだと告げていた。
冷たい床に座り込み声を上げる体を、私はただ抱きしめた。
それから私は、鏡に映る瞳のその奥に「気分はいかが」と問いかけるようになった。目には映らない、体に向かって。
そして最後には必ず「大丈夫。ありがとう」と笑ってみせた。
全然、そうではなかったし、全くの嘘だったけれど、それでも何度でも、そう伝えていこうと決めたのだ。
そしていま、生きることの悦びを、体と分かち合ういまも、私は鏡につく嘘を手放してはいない。 それは嘘を本当にするために、私が体とかわす合言葉だから。