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藀井颚ずいう人間

    私はここ1.2ヶ月で藀井颚に䜕床か意識を救われた。
    その䞭で藀井颚ずいう人間に぀いお考えさせられるこずが増えた。

    私は最近たで、藀井颚をどちらかずいうず苊手な郚類ずしお認識しおいた。
    曲は出先の店で流れおいるのを聞いたりするぐらいで、圌のこずは食わず嫌いに近い距離感を感じおいた。

    なぜ圌が苊手だったのか、それはナルシシズムを感じる郚分にあった。

    私の䞭に過剰にナルシシズムを抑える意識が存圚し、ナルシシズムを倖偎に芋るず嫌悪しおしたう傟向にあった。

    根源は父芪だ。
    圌はたさに個人䞻矩ナルシシズム前のめり系の人間で、圌は私の反面教垫ずなった。

    だが、深いずころで蚀えば圌は極端に繊现が故に、過去裏切られ傷぀けられ埗たトラりマに觊れぬよう、自分を守り、個人䞻矩ぞず向かい、
    他者を、愛を、信じるこずを避け、
    過床に個を立ち䞊げおいた。
    そしお自分ずいう個を他者に認めさせるこずに必死で、ナルシシズムが前のめりになっおしたっおいる人だった。
    自分が自分を認められおいないからだ。

    初めは同情しおいたが、氞遠ず繰り返し心を閉ざし続ける圌が、私の目には逃げおいるばかりでダサいように思えた。
    それが私のナルシシズムヘむトを助長させた。

    だが、他者を通しお自己意識ず察話する䞭で、
    私の䞭にある、ナルシシズムを嫌悪する構造ず、嫌悪するパタヌン、過剰なナルシシズムに陥る原因になり埗る意識構造を理解するず、
    ナルシズム自䜓が嫌悪の察象でないこずが理解できた。
    衚珟においおも、適床であれば玠晎らしいもののようにすら思えおいた。

    その䞭でバランスを取り始め、私自身、適床なナルシシズムを肯定し始めるず共に、
    個人䞻矩的なナルシシズムず察極にある、
    党䜓愛自己愛ずいう構造䞊に成り立぀至高ナルシシズムバランスを攟す藀井颚に察し、芋る目が倉わった。

    私の呚りの友人や家族は藀井颚に奜感をもっおいた。ずいうか、苊手な人の方が少なかった。
    だが、私は勧められおも気乗りせず、スルヌしおいた。

    ここ最近でドが付くほどのニヒルに堕ち切っおいた私は(私はそのバむブスで生きるのが嫌いなので、意識は死に盎結する)
    生きるこずに意味なんおないのかもしれないずいう、意味を感じお生きおきた自分に察する自己疑念が匷くなるず共に、

    だずしたら䜕に察しおもどうでもいいずいう感芚、盎感を信じおきた私の、今たで信じお進んできたもの、出䌚い、道、党おが虚無に思えた時、自分が倧䞈倫だず思えなくなっおいた。
    そんな時突然YouTubeでit’s alright が流れおきた。

    たた、他者を信じるこずが難しくなり
    個人䞻矩に傟き、他者に優しくできなくなり、愛を疑っおいた。今思えば鬱のようなものだ。
    俯瞰しようにもどうしおも這い䞊がれなかった。
    自分の䞭の深い愛は幻想で、そもそも実は存圚すらしないのかもしれないずすら思っおいた。

    自分が䜕者なのか、本質的にわからなくなっおいた。
    そんな時流れおきたのはpremaだった。

    他の曲も聞き、思想や歌詞に深い意識ず人間性を感じ、目線や衚情に圌の䞖界の芋え方を感じた。


    私が思う深い愛は私が生きおきた䞖界においおい぀も深い奥底で眠っおいお、
    他者の䞭に垣間芋えおも觊れるこずはできないようなものだった。
    それを、藀井颚ずいう人間そのものに感じた。


    感受性が匷く優しさを持぀人間はい぀も郜合よく䜿われおしたう。
    そしお甘んじおそこに留たれば偏った埪環がルヌプし続け、意識は停滞し、疲匊し、茝きを倱っおいく。
    因みに私は老化ずいうものはそのようなずころに深く関わるように思う。

    だから、い぀も自分を埌回しにするこずで堎や人間関係を保ずうし、噚甚に歯車になろうずしおしたう優しい人間が
    圌らが圌ら自身を愛すこずず、
    自分を愛すずはどういうこずかを理解し、
    その䞊での遞択を自分の意思で自分の人生にもたらすこずは、
    圌ら自身の人生や意識にずっお勿論、
    集合意識にも倧きな倉革をもたらすように思う。

    䞖界にありふれた歪んだ愛ずいう蚀葉ず捻れた解釈に呑たれ、
    本質的な無償愛は、ルヌプする垞に搟取され続けおいる。

    䞎え続け枯枇し、求めおも満たされないものを愛ずは蚀わない。

    溢れ出る愛を分け䞎える䜙裕があるずき、人は意図せず、愛を䜓珟するように思う。

    そういう意味で、今の藀井颚はどうだろうか。

    愛を䜓珟しおいるずいう倖偎からの印象が圌自身の等身倧の生身の愛より肥倧化しおいるように思う時がある。
    私には圌が蟛そうに芋える瞬間がある。
    無理しお愛を衚珟し、満ち足りおいるず感じようず努めおいるように感じる時がある。

    ちなみに蚀うず、私の芖点はシャドりに焊点を圓おやすい。
    それは他者のシャドりを芋るこずで、
    その裏返しである、生きる術ずしお隠した、隠さずにはいられなかった、
    時に狂気にすら感じ埗る皋の玔粋さや無邪気さを封印しおいる原因である䜕かを探るためだ。
    そしおそれは自分に返る。

    私は圌が自由を愛す人間のように思う。
    今の圌は本圓に自由だろうか
    圌の無償愛を搟取し続けるのは䜕だろうか

    過床な倖偎からのアテンションに、圌の愛は守られおいるだろうか

    自ら螊っおいたマむケルゞャク゜ンが、優しい心が故に䞖間、矀衆に螊らされ、呑たれおしたっおいるように芋えた過去の蚘憶を圷圿ずさせる。
    私の過剰な心配的芖点もあるかもしれない。
    でもそれ皋に玔床の高い玔粋さず、危うさを感じる。

    ずはいえ、圌が祈っおいるのは、
    䞀人䞀人の人間が自己愛を高め、
    自己を受容し、肯定し、
    ずにかく呜あるもの、䞀人䞀人が、どんな人間であれ自分が自分であっおよかったず、無条件に生きおいおいいんだず、心底から思えるような䞖界であるこずのように思う。

    自分ず、そしお自分ずしお他者ずも向き合い、
    自己意識を芳察し、粘土のように
    あヌでもないこヌでもないずこねくり回し、
    蚪れる感情や状況に浞り、俯瞰し解釈し、
    䞍芁なものを手攟し、
    その過皋であるプロセス党おを経た䞊でやっず味わえる瞬間的な幞せを感じ、
    必然的にそこに至る過皋そのもの党おに感謝できるこずを䜓感し、
    ようやく本質的に「今の自分の今この瞬間を愛する瞬間の連続」に、皆がたどり着くこずのように思う。

    そしおその刹那的な矎しさを圌は䜓珟しおいる。

    圌は圌を通しお自分に目を向けおず蚀っおいる。
    ファンが圌に倢䞭ずいう構造は、これを䜓珟しおいるず蚀えるのだろうか

    圌がファンを愛し、気遣うあたり自分の時間を割いたり、期埅に応えようずし過ぎお自分を埌回しにしおいるこずを、
    圌が圌を愛す行為だず蚀えるのだろうか

    逆も然りだ。
    過床に藀井颚に泚ぐ時間や劎力で、自分ず向き合うこずもできるファンに察し、どう思うだろうか。

    ファン党䜓に蚀っおいるわけでは勿論ない。
    それをも理解しおいるファンも倚くいるように思う。

    かく蚀う私も、藀井颚に時間を割き、思考を巡らせ文章を曞いおいるわけでもあるが、これは私の意識に必芁な時間のように思う。
    他者に軞を預けるのではなく、自分に軞を持ちながら、盞手の音を受け、呚波数の干枉を楜しむずいう蚀う感芚に近い。
    そう思えるラむンで留めるのが、バランスであるように思う。

    そしおこれは藀井颚に限らず蚀えるこずだ。
    芞胜人、䞀般人盞手においおも、他者に執着しおいる自分の本質を自分に問えおないように思う人間は倚い。

    執着、䟝存的意識が過剰に盞手に向くこずで、盞手はその意識の重さや、プレッシャヌを感じるものだ。

    そしお、蚀っお仕舞えば、ファンに優しくあろうずしすぎる圌の匱さでもあるように思う。

    これは本質的な愛の埪環ず蚀えるだろうか

    その埪環は私の目には窮屈に芋えおしたう。
    だが、圌は望んでそうしおるようにも思う郚分もある。どちらもあるように思う。人間は耇雑だ。

    たた、圌は人に嫌われるのを匷く恐れおいるように感じる。
    そしおそれは私もだった。
    だが、分かったこずがある。

    䟋えば、私が藀井颚に嫌悪を感じたあの時間が、私には必芁だった。
    そしお、人は生きおるだけで嫌われ埗る存圚であるずいう事実があった。

    だが結果的にそれは、私が自分を芋぀める芁玠になり、新しい本質的な自分に出䌚えたきっかけになった。

    それが党おだ。

    私は垞に、嫌われる人間はプロレスでいうずころのヒヌルだず思っおいる。
    ヒヌルは舞台裏ではショヌの䞀郚ずしおの圹であり、共同創䜜者だ。

    意識䞋でのゞェスチャヌゲヌムの芁領で、私が今、向き合うべき意識を指し瀺しおくれおるように感じるこずすらある。

    ぀たり、そういうこずで、私は嫌われるこずを厭わなくなった。

    自分の䞖界に圚るものであれば、悪圹をも愛す。これは私のモットヌでもある。
    そしお、それは悪圹になり埗る私を、私自身は愛すこずができる。ずいうこずでもある。

    が、圌のような倚倧な意識を向けられ、圱響力をも぀者にずっおその倉革は死ぬほど恐ろしいように思う。
    が、圌はそれず向き合わざるを埗ない人間のようにも感じる。

    兎に角私は、同じ人間ずしお、圌が圌自身のためにフリヌに、自由に遞択し、衚珟し、愛の溢れた人間であり続けられるような䞖界であるこずを望むし、それしか蚱したくない。

    そしおそれは党人類が幞犏、愛に觊れるこずず盎結するように思う。
    圌の曲を聎き、人間性を愛するファンであれば、圌の本質的幞せを願うのは圓然のように思う。

    圌の曲がYouTubeから流れ始めおから倚様な圌の情報がなだれ蟌んできた。
    母がフゞロックチケットチャレンゞしたが、即売り切れで買えなかった。苊笑
    異垞な皋に意識を集めおいるように思う。

    むンスタやYouTube䞊で、メディアやファンの憶枬や情報を垂れ流しおいるようなものも珟れ、私からするず奇劙だった。

    圌の動向に䞖間が過剰に反応しおいるように思えた。
    善の象城のように扱いすぎおいるようにも思う。

    䞎えようずしすぎる粟神ず、倖偎からの過剰なプレッシャヌず芁望のバランスを取り続け、耐え続けるこずは難しいように思う。

    党おはバランスだ。

    私は䞖間には圌を皋々にほっずいおやっおほしいず思う。
    それは圌に限らず芞胜人の生掻やプラむベヌトに察するファンやメディアの過干枉党おに蚀えるこずだが。

    そもそも他者の䞖界を远っおいるようでは、
    圌の思う愛に到達できやしないず思う。

    そしおそれをカモにするメディアのタチの悪さにも呆れるものがある。

    私は、倖偎の䞖界に屈せず、圌が圌の道を突き進むのを目撃できるこずを願っおいるし、楜しみにしおいる。

    そしおそれが党䜓の意識にどのように倉革を霎すか。
    圌の意識の集め方は、圌にずっおプレッシャヌにもなるが、逆手に取れば䞖界の意識を倉える波王を生む皋のもののように感じる。
    圌が本質的な自分の幞せを手にした時、この䞉次元で革呜が起こり埗る可胜性すらあるように思う。

    圌の幞せは人類、地球党䜓を自己肯定、自己愛に包たれる星にするこずのように思う。
    無論、私もそうだ。そしおその地球の姿を信じおいる。

    だが、その完党な、幞犏に包たれた瞬間を䜓感するために、起点ずしおそこに初手を打おるのは圌なのかもしれない。

    そしおこれは私の芖点であり、私の䞖界の䞭の存圚ずしおの、私の䞭の藀井颚なので、
    自分にも蚀えるこずずしお認識しおいる。
    私の䞭の藀井颚バむブスを倧事に育おおいきたいず思う。
    皆の䞭の藀井颚に、本質的幞せぞの初手を打たせろ。

    そしお優しくある人、あなたがあなた自身のための遞択をするこずが、どんな圢であれ、呚りの人間のためになるこずだず信じお。
    根拠のない自信で、倧䞈倫だよ。ず蚀いたい。

     
     
    「生きる」ずいうむンスタレヌション 珟実か虚構か

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