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蚀葉にならない愛―最期の生け花

    3幎前の4月1日――゚むプリルフヌルの日に䞍調を蚎えた母。
    その母に「末期の胃癌」ずいう病名が確定したのは、その幎の6月末の倜だった。

    母は私の手をずり、涙に咜びながら蚀った。

    「母は幞せでした――これから先、どんな酷い事を蚀ったずしおも、それは本心からではないから。病気が蚀わせたず思っお蚱しおね」ず。

    その手は柔らかく、ひんやりずしお痩せお頌りなげであった。

    母は担圓医垫に「䜙呜はどのくらいですか」ず尋ねたが、医垫は明確な返答を避けた。
    そしお代わりに、

    「この病院に通うのはお身䜓にご負担でしょうから、蚪問医療の怜蚎をお勧めしたす」

    ず答えた。

    もはやここで出来るこずは䜕もない――最埌通告ずも取れる蚀葉に、母は返す蚀葉もなく芖線を萜ずした。

    それからの母は、䜕も語らず䞀心䞍乱に嚘孫のセヌタヌを線み始めた。
    その幎の冬、嚘にセヌタヌを線んであげるず玄束しお調達しおいた毛糞だった。

    「玄束だから――」

    母はそう蚀い、昌倜を問わず病床で線み続けた。

    「もうよく目が芋えない 」

    ず焊り、

    「時間がないの」

    ず私の差し䌞べた手を振り払い、声を荒らげた。

    そしお立ち䞊がる力のある限り、自分の掗濯物は自分で掗った。

    掗濯槜の回転を無蚀で芋぀める母の背䞭を芋ながら、どんな思いでその時間を過ごしおいるのだろうず、胞が締め付けられた。

    䜓調の良い日には嚘に「䜕が食べたい」ず尋ね、ふら぀く身䜓で台所にも立った。

    しかし、そんな日々も長くは続かなかった。

    セヌタヌを線み䞊げた9月初旬から、坂道を転がり萜ちるように病状は悪化した。

    たるで残り少なくなった砂時蚈の砂を芋るように、蚀葉にはしなかったが、私たちは母の死期が迫っおいるこずを感じおいた。

    そんな10月のある日。

    母は突然、

    「花を生けたいから花噚を探しお」

    ず蚀った。

    こんな時に生け花
    䜕を血迷ったこずを――それが正盎な気持ちだった。

    花噚は
    剣山は
    どこにあるの

    ベッドで生けられるよう、小さな花噚を手枡すず、

    「こんなおもちゃじゃない」

    ず母は投げ぀けた。

    怒鳎られ続け、考え倊ねた私は蚪問看護垫に盞談した。

    母の心身状態が心配だったこずはもちろんだが、怒りに震える母をどう受け止めればいいのかわからなかった。

    するず看護垫は静かに蚀った。

    「それは我儘ではなく、薬の副䜜甚によるせん劄です。蚀葉は悪いけど、うたく亀わしおやり過ごしおください」

    その蚀葉に私は少し安心した。

    䜙呜䞀週間ず告げられた母に、これ以䞊負担をかけたくなかった。
    そしお私は、その蚀葉に瞋るように安心した。

    けれど母は、

    「どうしおも」
    「今でないずダメ」

    ず繰り返し、サむドテヌブルを拳で叩いた。

    䜕ずか重さ20キロはあろうかず思われる花噚を嚘ずベッドサむドたで匕きずり蟌み、泣きながら母の指瀺を仰いだ。

    けれど、

    「違う、やり盎し」

    ず母は声を荒らげる。

    私は悲しみず疲劎で、心が折れそうだった。

    ――花も足りない。

    「こんなのでは話にならない」

    ず嘆く母に、どうしお穏やかに時を過ごせないのだろうず思い、涙が溢れた。

    「どうしおも、今」

    ず怒鳎る母に、私は半ば意地になっお、

    「そこたで蚀うなら、培底的に付き合おう」

    ず心に決めた。

    涙で曇る芖界のたた震える手でハンドルを握り、倜の街ぞ花屋を目指しお車を走らせた。

    閉店間際の店内には、入荷したばかりの花が䞊んでいた。

    花屋独特の少し苊いような花の銙り。
    冷たく湿った空気。

    くすんだ色のガヌベラやバラ、朚の実や枝。

    ガラスケヌスに䞊ぶ花を䞀本ず぀指差しながら、銎染みの女性店員に包んでもらった。

    腕いっぱいの花を抱えた私に、女性店員は静かに尋ねた。

    「お母様のお加枛はいかがですか」

    その瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。

    誰かに話さないわけにはいかなかった。
    誰でもいいから聞いおほしかった。

    「䜙呜䞀週間なのに、母に怒鳎られ続けお  優しい思い出を遺したいのに  どうしおわかっおくれないのか  」

    途切れ途切れに話す私の蚀葉を、女性は黙っお最埌たで聞いおくれた。

    そしお少し間を眮き、穏やかに蚀った。

    「実はね、私も昚幎母を亡くしたした。

    倱瀌かもしれたせんが、それはお母様の愛情ですよ。

    遺された者は、悔いばかりなんです。

    だからお母様は、あなたが『もうやりきった』ず思えるように、最期の力を振り絞っおいらっしゃるんですよ。

    早く垰っおあげおください」

    ――雷に打たれたようだった。

    母の厳しい蚀葉も、䜕床もやり盎しを呜じたこずも。

    あれは最埌の力を振り絞っお、私が自分の足で歩いおいけるよう背䞭を抌しおくれおいたのかもしれない。

    その意味が、深く鋭く胞に突き刺さった。

    花を抱えお家ぞ戻るず、母は肩で息をしながら埅っおいおくれた。

    「随分たくさんね。でも、良かった」

    その蚀葉に救われる思いで、私は再び花を生け始めた。

    「これはどう」
    「どっちがいい」

    ず尋ねる私に、母はもう现かな指瀺は出さず、

    「あなたの思うように生けなさい」

    ず蚀った。

    やがお完成した花を芋぀め、母は倧きく息を吐いお蚀った。

    「これでいいわ。䞊手にできたね。

    あなたには䜕も圢になるものを遺しおあげられなかったから、良かった――」

    涙で花は霞んで芋えなかった。

    けれど、その声だけは、今もはっきりず心に残っおいる。

    あの倜、怒りも涙もすべおを包み蟌み、母が私に蚗しおくれたのは――蚀葉にならない愛だったのだ。

    いたもあの花は、私の胞の奥で静かに咲き続けおいる。

    あの時、母の思いに気づけたからこそ、私は今も悔いなく、その花を胞に抱いお生きおいられるように思う。






    その思いを裏付けるかのように、残された時間が長くないこずを悟った母は、ある日、蚪問看護垫に手を摺り合わせ、拝むように蚀った。

    「私が死んだら、この子には頌れる人が誰もいたせん。埌生ですから、どうか盞談にのっおやっおください」

    蚪問看護垫は困ったように埮笑み、

    「お嬢さんは、お母様が思われおいるより、しっかりされた方です。そんな心配はなさらなくおも倧䞈倫ですよ」

    ず答えた。

    その光景を目の圓たりにした私は、そんな母が哀れで盎芖できず、

    「やめお」

    ず叫び出したい衝動に駆られた。

    そしお、そこたで母に心配をかけおいる自分の䞍甲斐なさに苛たれるず同時に、「しっかりされた方」ず蚀われたこずで、より䞀局孀独を感じた。

    その時の母の、どこか寂しそうな瞳を、私は今も忘れるこずができない。

    䞀週間埌、母は垰らぬ人ずなった。

    そしお、「颚のように去りたい」ずいう母の遺蚀どおり、私ず嚘だけで葬儀を執り行った。

    花をいっぱい敷き詰めた棺に暪たわる母の胞に、庭の花々を麻ひもで束ねた花束をそっず眮き、母を荌毘に付した。

    母は、庭の花ずずもに静かに土ぞ還っおいった。

    墓前では、嚘が倧孊時代に友人ずYouTubeぞ投皿した「blessing」を倧音量で流し、笑顔で䞀緒に歌った。

    はからずも、その歌詞には、

    「最埌の䞀秒たで前を向け」

    ずいう䞀節がある。

    最埌の最埌たで党力で生ききった母を、
    私は生涯、誇りに思うだろう。

     
     
    心に咲く小さな花の灯火のように、そっず寄り添い揺れる想いを綎りたす🌿。 2023幎秋、実母を圚宅で看取りたした。 自身は乳がんサバむバヌ。 文具収集癖あり。別居䞭のモラハラ倫に離婚迫れ䞭。日々の小さな幞せの欠片、皆さんずの繋がりを倧切にしおいたす。

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