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心が殴られ続けた10年間。私はオーストラリアで、言葉をなくしていた。

    伝えていいのだろうか。と迷っていた。

    心が殴られた。
    息が止まった。
    感情を凍らされた。

    暗闇にいる声を聞いてほしい。
    這いつくばっている苦悩を知って欲しい。
    ここから逃げるすべを導いて欲しい。
    心はずっと、叫んでいた。
    すぐに、声にはならなかった。
    言葉にすることを、憚られた。

    文字にして訴えたら、言葉にして叫んだら、涙にして泣き崩れたら、それを聞いた友人や、家族が悲しい思いもするのではないか、困ってしまうのではないか。

    言葉にして、発すること。それ自体にも悩んだ。

    見えない強圧的コントロール・強制支配に縛られた10年。
    葛藤に苦しんだ20年。

    毎日同じ家に住み、一番近い距離にいたパートナーは、
    一番遠い存在だった。
    生まれた国の距離、日本とヨーロッパ。
    伝え合う言葉の距離、日本語と英語。
    育った文化の距離、集団主義優先の東洋と個人主義評価の西洋。
    いくらでも違いはあった。
    それでも人として、価値が同じなら、人は繋がれる。
    そう思っていた。
    だが、違った。

    すれ違いは、境界を生み、
    狭間を生み、
    壁を作った。
    壁は、距離を広げ、
    いつしか、別空間となり、
    戻れない別世界を創生した。

    別空間を感じた時、一人ではどうしていいのか、途方に暮れた。
    今いる自分のこの国に、オーストラリアに、家族は居ない。
    親戚も居ない。
    妹分の従妹も居ない。
    幼馴染も居ない。
    高校からの親友も居ない。
    平日はフルタイムで働き、週末は自営業で働く身に、途方に暮れる時間的余裕は無い。
    小学生の子供には、母親の私と父親だけが家族である。

    どうする。
    どうすればいい。
    なにをすればいい。
    何をしなければ、いいんだろうか?

    頭の中は、思考回路の限界を超えていた。
    感情は、泣く余裕さえなかった。
    体は、機能するだけで精一杯だった。

    私が発する一言が、相手が罵倒するきっかけを作る。
    私が発しない言葉が、相手の不満を生み、追いかけられ、詰問される。

    「Yes」
    「Yes」
    「Yes」

    夫の指示にすべて、イエスと返答しなければ、
    批判の嵐が3時間続く。

    反発したわけではない。
    否定したわけでもない。
    事実を伝えてみただけだ。

    洋服棚が壊れたので、修復しようとした。
    ネジを回して、フックを取り付けようとした。
    ネジを止めるには、右回りである。
    左に回している夫に、右に回せば締められると伝えただけだ。
    それが大きな間違いだった。
    ネジが止まらないのは、ネジを止めるための道具であるドリルを買った私のせいになった。
    逆回しで無理に押し付けたために、ドリルの先端がつぶれた。
    つぶれたドリルの先端も、私のせいになった。
    ドリルは父親が日本からわざわざ持ってきたくれたものだ。

    私がする日常の小さな行動が、罵倒される理由になる。
    私がしない行動が、相手の不満を生み、追いかけられ、詰問される。

    換気をしようと、窓を開けた。
    窓を閉めろと、夫が指示してきた。
    私が閉めずにいると、「小学生でも俺の指示通りに窓を閉めるのに、お前はなぜ俺の言った通りにならないんだ。」と怒鳴ってきた。
    窓もまともに閉められない私は、役立たずだと罵られた。
    窓には蚊帳がついている。
    その夜、子供が蚊にさされた。
    蚊に刺されたのは、私のせいになった。

    窓は開けておきたかった。
    近所の誰かが、罵声に気付いてくれないかと、
    警察に通報してくれないか、と、
    私の心が叫んでいた。

    家の中で、落ち着ける空間はなかった。

    日常の食材は、車で15分のショッピングセンターにあるスーパーで、
    1週間分をまとめて買いしていた。
    ここ、オーストラリアで牛乳一本は2リットルサイズが主である。
    1週間分なので、6本まとめ買いとなる。
    ちなみに、私は飲まない。
    平日フルタイム勤務している私の会社は、バスと電車を利用して45分のところにあった。
    勤務中、SMSとEmailが立て続けに届いた。
    夫から緊急のメッセージだ。
    「牛乳が冷蔵庫に無い。」と。
    スクールホリデー中なので、私以外の夫と子供は休暇中である。
    家のガレージには、車がある。
    平日の5時前であれば、スーパーマーケットまで車で15分で着く。
    私のいる会社は街中のビジネス街なので、ショッピングセンターは無い。
    夫と子供が飲む牛乳が終わり、冷蔵庫に無い。
    足りなくなったのは、それを察しなかった私のせいと罵られた。
    牛乳がない、私のせいだというemailを書く時間の代わりに、
    スーパーマーケットに牛乳を買いに行こうとは、思わないらしい。
    批判する機会があれば、2時間でも、3時間でもかけて批判の為に時間を費やす。

    日々普通に起こりえる日常の一つ一つ、すべてが批判の対象であった。

    家の外にいても、落ち着ける余裕はなかった。

    SMSとEmailが毎日、20件近く送られてきた。

    子供は、スイミングクラスに通っていた。
    ここオーストラリアでは、多くの子供が赤ちゃんの時から水泳のスキルを身に着ける。
    スイミングクラスの後は、そのままプール遊びができる。
    14歳以下は、大人の付き添いが必要だ。
    私もプールの水の中で、子供と一緒に潜って遊んでいた。

    その間、夫が電話をしてきたらしい。
    「帰りにパンを買ってこい。」と。
    私の携帯電話は、カバンの中だ。
    潜っているプールの水の中では、携帯の音は聞こえない。
    プールから出て、シャワーの浴び、子供の着替えを手伝い、
    髪を乾かし、カバンのあるベンチに戻ったのはほんの30分後だ。
    それでも鳴った時に電話に出なかった私は、役立たず扱いで非難轟轟である。
    泳がない夫に、水の中では電話に出ることがどれだけ不便かを説明しても、伝わらない。

    どこにいても、落ち着ける場所はなかった。

    仕事が終わり、子供がいる家に、早く帰りたかった。
    毎回、家のドアを開けるのには、勇気が必要だった。
    家に入るのが怖かった。

    そんな毎日が続いた。

    一人だけでは、前にも後ろにも進めない。
    自分だけでは、選択肢さえも思いつかない。
    決断することなんて、考えつくこともできない。

    どうやって這い上がったのだろう。

    声を出さなくては。
    言葉にしてきいてもらわなくては。

    ”Hi, How are you?”
    "I am not good" "Pretty bad' 

    以前だったら、返事はいつも"I am good, thanks!”だった。
    大丈夫ではなかった。
    返答は "I am doing pretty tough at the moment"になった。

    これが、最初の一歩だった。

    ’聞いてもらう’
    ただそれだけ。
    たったそれだけだ。
    それだけでも、大きな一歩だった。

    家族が寝た後の夜中、友人に電話した。
    帰宅時間を合わせて、同僚にも話を聞いてもらった。
    ガーデニングを手伝って、隣人にも気づいてもらった。

    自分が自由に話せる時間と、場所と、空間が極端に限られていた。

    仕事、通勤、食事の準備、子どもの宿題の手伝い、気づけば夜はあっという間に10時近い。
    夫の勤務時間は私の半分であるため、
    私が家で一人になる時間は皆無であった。
    私が友人とキャッチアップする時は、監視を兼ねてであろう。
    夫もついてきた。
    よって当たり障りのない会話しかできない。

    日本にいる家族に電話をすると、音響スピーカーを最大ボリュームに上げて、会話を妨害された。
    部屋の中では、電話口の親の声が聞こえない。
    外に出るしかなかった。
    裏庭にでて、電話をした。
    ドアを開けて、外に出た瞬間、鍵をロックされ、締め出された。

    15分の時間を工面し、一人で話ができる環境を作ること。
    限られた時間に、友人、同僚、近所の人にも可能な時間を見つけること。
    泣き崩れすに、状況を説明すること。
    感情や苦悩を知ってもらうには、決断と計画が必要だった。

    "You never truly know what someone is going through behind the door." 
    (You can't see a person's private struggles just by looking at their public life.)

    家の中は、夫と子供と私だけだ。
    公共の場所でみれば、一般的な家族に見えたであろう。
    ただし、家の中では別だ。
    ドアの後ろで起こってることは、
    誰も知らない。気づかない。

    オーストラリアに家族はいない。
    親戚も居ない。
    ドアの中の葛藤は、言葉にしないと気づいてもらえない。

    少しずつ言葉にしてみた。
    葛藤をSOS発信した。
    大きく立ちはだかっていた壁は、一人で立ち向かわなくてもいいんだと、
    思えるようになった。

    ここオーストラリアでは、カウンセリングという文化が浸透している。
    話を聞いてもらう、相談に乗ってもらう、専門家に方向性を導いてもらう、次のstepはどこの専門医にいけばいいか、案内してくれる。
    人生で初めて、カウンセリングを受けた。
    新しいことで、緊張した。
    そこは、オージーである。
    どんな内容であれ、重たすぎる雰囲気にせずに、
    自分の側にたって話を聞いてくれる。
    「コーヒー飲む? それとも紅茶がいい?」
    リビングのソファがある個室で、暖かい飲み物を片手に、
    話が始まる。

    まず、自分一人でカウンセリングを受診。
    次に夫婦二人で受診。
    後に一人ずつ受診

    カウンセリングの言葉で、人生の岐路に立たされた。

    私は、壊れた家族を、非日常化の生活を、どうやって戻せるか。
    と相談した。
    カウンセリングの言葉は優しい口調で、冷水を浴びせられた。

    「なぜ、一緒にいるの?」

    なぜ。
    母親だから?
    夫婦という形態で、両親という体裁でいなければいけないと、
    縛り付けられているから?
    何に固執しているだろう。

    東洋のコミュニティ文化(集団主義)、欧米のセルフセンター文化(個人主義)をまず指摘された。

    アジア(日本、韓国、中国、東南アジアなど)では、「個人よりも、家族・会社・社会などの『集団』が優先」される傾向が強い。

    調和(ハーモニー)、全体の安定、協力関係の維持。
    「私(I)」よりも「私たち(We)」。
    自分のアイデンティティは、集団の中での役割(良い息子・娘、忠実な社員など)によって定義されることが多い。

    もう一つ、アドバイスされた。

    「自己愛性パーソナリティーの場合、考え方や態度が変わることは考えられません。
    あなたが指摘すれば、関係は悪化します。」

    その言葉を聞いた瞬間、目の前のシャッターがガシャンと閉まった。すがっていた希望の光が消え、目の前が真っ暗になった。救いの手が完全にシャットアウトされたような衝撃だった。

    パートナーからの提案は不可。
    パートナーからの指摘で、必ず状況は悪化すると。

    ゆえに、この質問だったのだ。

    「一緒にいるのは何故?」

    自分の為だろうか。
    子供の為だろうか。

    それでも、’もしかして’。
    改善するチャンスがあるかもしれない。
    もう一度二人の時間を作ってみた。

    そんな簡単なものではなかった。
    批判というものは、建設的なフィードバックであれば、前に進む。
    それが毎日3時間も批判されつづけていると、心がすり減る。脳が疲弊する。
    しかも批判される理由が、説明できない。
    癇癪を起した夫が蹴り飛ばした家具が私に当たった。
    その理由は、’家具をそこに置いた私のせいである。
    家具は使うために、そこにある。

    どんな反論も、虚無である。
    反論できるエネルギーは枯渇した。
    心は空っぽになった。

    私の言動、行動への批判だけには留まらなかった。
    私の友人、日本にいる家族、私の働く会社、日本製品、私の存在そのものを否定された。

    カウンセラーから勧められたソーシャルワーカーは、非通知番号で電話をしてきてくれる。私の安全のためである。

    ソーシャルワーカーからの言葉も、雷を落とした。

    「Coercive Control (強圧的コントロール・強制支配)は大抵のケースでエスカレートします。自分の身を守る手段を準備して下さい。」

    ここオーストラリアには、逃げ込めるように、緊急シェルターやsafe houseという家が何か所か設置されている。
    電話して問い合わせた。
    すでに満室である。
    ただ、このシェルターに入ってしまうと、子供が学校に行けなくなってしまう。

    他の手段が必要だった。

    「あなたが我慢して夫婦という形態を維持しても、子供は望みません。
    我慢してる母親をみて育った娘は、同じように自己犠牲が当然と考える女性になるでしょう。
    罵声を吐き続ける父親を見て育った息子は、同じように女性に怒鳴り散らす男性になるでしょう。」

    これが一番衝撃的な落雷となった。
    我慢は、逆効果なのかもしれないと、思えるようになった。
    無言の忍耐は、自分だけでなく子供も苦しめると、ようやく悟った。

    多分、同じように感じてはいたのに、思考回路は長い間停止していた、
    環境を変えるのが、恐かった。
    自分から別居を言い出せば、夫がどう反応するのかが怖かった。

    自分ひとりでは、弱い。
    家族は日本だ、遠い。
    でも、ここには友人がいる。
    隣人がいる。

    かけがいのない友人たちが、ここにはいる。
    ただの茶飲み友達ではない。
    一人じゃない。
    声にだして、助けを求めた。

    インドネシア出身の友人は、「家ごといつでも使って。」と家の鍵を渡してくれた。
    助かる。ここなら、子供と一緒にいられる。逃げられる場所がある。

    マレーシア出身の友人は、「子供の送り迎えは毎日は任せて。どこにいても、大丈夫よ。」と。言ってくれた。
    子供の親友の家族である。子供が学校に行き続けられる。できるだけ子供が、子供らしくいられる時間を確保したかった。

    シリア出身の友人は、法廷での’接近禁止命令の手続き方法の全部のstepを、教えてくれた。必要なら、一緒に出廷するわよ、と言ってくれた。
    実体験を元にした貴重な情報だ。何をすればいいか途方に暮れているときだったので、不安が少し減った。

    シンガポール出身の友人は、「電話できないなら、私があなたの買い物に一緒に行くから。」とスーパーの買い物に同行してくた。
    自由に外に行く出る時間が限られていたので、唯一一人になる買い物中に会って話せる機会は貴重だった。

    オージーの隣人は、開口一番、「弁護士雇ったの?知り合いが最近弁護士使ったから、連絡先を聞いてくるわ。待ってなさい。」といって、翌日電話番号を教えてくれた。
    大変ね、かわいそうに。などど慰めの言葉はやってこない。私が必要なアドバイスを、実務レベルで与えてくれる。頼もしい。

    フィリピン出身の友人は、「弁護士に依頼するの?私が英語の下書き手伝うわよ。」 と言って、1時間後には、英語の依頼文章のがemailされてきた。
    明確で、適格な英語のメッセージが短時間で作成され、助かった。

    韓国出身の友人は、「弁護士費用は出費じゃなくて、あなたと子供の人生を取り戻す将来への投資金よ。足りなくなったら利子なしで貸すわよ。」と。
    その通りである。弁護士など依頼したことがなく、怯んでいた私の肩を一押しされた。

    日本出身の友人は、夜中の1時であろうが、2時であろうが電話してきてくれた。
    思考回路が崩壊していた毎日だったので、正気な友人のガイダンスをもらえるのは、大事な拠り所だった。

    泣いてる暇はなかった。
    サポートネットワークがそこにはあった。
    なんて恵まれているんだろう。
    この時の友人たちがいなかったら、今ここでエッセイを書けていない。


    別居を切り出すのは、大きなハードルだった。
    夫がどう反応するか不明だったので、準備が必要だった。
    切り出す日と場所を、友人に事前に連絡し、live location sharingを設定した。
    自分と子供用の宿泊一式を小さめのバッグに用意した。
    車の鍵はポケットに入れておいた。
    避難できるように。

    強圧的コントロールは、エスカレートした。

    友人からのあいさつの一言目は、「元気にしてる?」ではなく、
    「生きてる?」になっていた。

    それだけ、逼迫した状況だった。

    弁護士と、警察からFamily Violence Restraining Orders (法廷発行の’接近禁止命令) を申請するように、促された。
    彼らは、強圧的コントロールは、エスカレートする事例を多く見ているからだ。

    COVID-19の発症がオーストラリアでも確認された頃だった。
    弁護士と、警察から接近禁止命令を申し立てるように、毎週説得された。
    State of Emergecnyの環境下で、家庭裁判所も。警察も、コミュニティーサービスもどう機能するのか、誰にも分らなかったから、余計にだ。

    頭はパンク寸前だった。

    接近禁止命令はいつ、発行される?
    接近禁止命令はどうやって効力が発行される?
    そのタイミングに子供がいたら、どうする?
    接近禁止命令は一生有効なわけではない。
    有効期間終了後は、どうなる?

    強圧的コントロールは、更にエスカレートした。
    もう、私が対応できる許容範囲を超えた。
    明日、明後日、来週、1年後どうなるかの心配をする余裕はなかった。
    今日、今、対応しなければ取り返しがつかない。

    2020年2月、オーストラリアのクイーンズランド州 ブリスベンで母親と6歳、4歳、3歳の子供に起こった悲劇が、常に頭に残っていた。

    家庭裁判所に行く決断をした。
    接近禁止命令の申請を決めた。
    同日、法廷に呼ばれた。
    裁判官との審理となり、宣誓供述を行った。
    数時間後、接近禁止命令が発行された。
    3日後、警察官4人がやってきた。
    命令書は警察官によって直接送達され、効力が発生した。
    この時点から、夫だった人は、私の10メートル以内には近づけなくなった。

    その3日後、西オーストラリアはCOVID-19によるロックダウンに入った。
    家庭裁判所の窓口は閉鎖された。
    緊急案件の審理は遠隔システムでの対応となった。
    急を要さない審理は期日未定の延期対応だった。

    ロックダウンで「家から出られない」状況は、一緒に狭い空間に閉じ込められることを意味したため、オーストラリア全土で家庭裁判所への緊急申請が激増(約20%〜40%増)した。とニュースになった。

    The Guardian Australiaより

    家の全てのドアと窓の鍵を取り換えた。
    どんなに近い距離でも、常に車で移動した。
    一人で外を歩くのは避けた。

    ソーシャルサービスのサポートが、毎週様子を聞きにきてくれた。
    ある時、聞かれた。

    「オーストラリアが嫌いになったか?」と。

    嫌いにはならなかった。
    多くを助けてもらった。
    そのまま住むことしか、考えていなかった。
    オーストラリアを離れることは、選択していなかった。
    子供はオーストラリアで生まれ、ここで育ち、学校に行っている。
    その環境を変えることは、考えていなかった。

    オーストラリアにこのまま住む。

    極地に立たされた度に、その時どきで、最善だと信じて、
    決断してきた。
    学んだことも、ある。

    強圧的コントロール・強制支配の圧力は、「相手の自由を奪い、孤立させ、恐怖によって支配する(目に見えない暴力)」のが特徴だ。
    典型は、いくつかある。

    強圧的コントロール(Coercive Control)の典型例

    1.社会的孤立(友人や家族から引き離す)
    被害者が周囲に助けを求められないよう、
    人間関係をコントロールする
    友人や実家の家族と連絡をとるのを嫌がり、会わせないようにする。

    2.経済的支配(お金を自由に使わせない)
    被害者が経済的に自立して逃げ出せないようにする。

    3.精神的虐待・モラハラ(自信を奪う)
    「お前が悪い」「お前は無能だ」「生きていく価値がない」と洗脳し、被害者の尊厳を傷つける。
    何か問題が起きるとすべて「お前のせいだ」と責め立てる

    4.脅迫と恐怖の植え付け(逃げ道をふさぐ)
    直接殴らなくても、恐怖を感じる行動で相手を思い通りに動かす。
    「別れるなら子どもと二度と会わせない」と脅す。
    壁を殴る、物を壊す、などの行為で脅し、「次は自分かもしれない」と恐怖を与える。


    上記、すべてに当てはまった。
    その中で、一番苦悩し、葛藤したのは、子供を巻き込み、洗脳しようとしていたことだ。
    子供が眠れなければ、「母親が役ただずだからだ。」と子供の前で卑下された。
    道路名のスペルを1文字間違えたら、「こんなバカな人間に、母親の資格はない。」「母親は無能だ。」と、3時間子供の前で洗脳し続けた。
    「馬鹿な母親のせいで、お前たちは学校にもいけなくなる。」と、子供にも脅迫と恐怖を植え付けた。

    子供が利用されているのが、耐えられなかった。
    母であることを否定されていることは、悲しかった。


    日本人であること、日本語を使うこと、日本の文化、日本の慣習、日本の家族を子供の前で侮辱されることは、腹立たしかった。

    子供は今、日本の漫画を読み、アニメを見られるようになった。
    日本の家族と日本語で話せる機会が持てるようになった。
    家の中で、子供と日本語で会話ができるようになった。
    子供がユニクロの服を買いに行き、抹茶を立てている。
    日本を嫌いにはならなかった。

    よかった。

    うれしい。

    この子たちは日本人を半分背負っている。
    日本人のおもてなし、心遣い、協調、優しさを強さに変えていければいい。
    ”日本”を否定されれば、逆にその価値を再認識した。


    強制的コントロール下で、自信は失った。
    今も、戦っている局面はある。
    まだ進行形である。

    失わなかったものもある。
    自分の信じていた価値は、消さなかった。
    子供に伝えていきたい。

    ”母であること’を否定されれば、母というタイトルに固執しなければいいと考えた。
    友人だろうが、同居人だろうが、兄弟だろうが、名前や形式はなんでもいい。
    ただ、子供が大好きで、いつでも、どこにいても愛してやまない、応援団でいたい。
    子供が’No'といえる、大人でいたい。
    子供が子供らしく過ごせる”家’を提供していたい。
    子供がいつでも友達を呼べる’場所’でありたい。
    子供が失敗しても「まーいっか、次は違うことやってみればいいし。」と間違えても構わない環境でいたい。
    子供が怖がらずに好きなことを言える’仲間”でいたい。
    子供が’安心して眠れる”部屋’を、与えたい。
    子供が’無条件で愛されている”と思える、家族でいたい。


    ”友人”を否定されれば、友情は深まった。

    Behind the doorでは日常的に、「お前は無能だ」「学校中がバカな母親だと知っている」「コミュニティー中がお前は不要だと言っている」と卑下され続け、そう自分で思い込みかけていた。
    そんな中で、友人はあっけらかんと、言い放った。
    「は?そんなこと言ってる人、聞いたことないし。」
    「そういってるのは、(旦那)一人だけ。他に誰も聞いてないよ。」と。

    「私は大好きだよ。それでよくない?」

    思考回路が弱っている自分には、心にささった。
    しかも夜の1時の会話なので、余計に感情が揺さぶられる。

    「母親失格だ」「子供は母親なんて不要だと言っている」と毎晩3時間罵倒され続けていた。
    心がずたずたに張り裂けていた。

    友人は劇を飛ばした。
    「忘れるな。生んだのはあなた。」
    「両親いなくて、なんの助けもなくて、昼も夜も赤ちゃんの面倒をみていたのは、母親のあなた。」
    「子供は全てを覚えてなくても、知っている。」
    「母親はあなたしかいないの。」
    「誰もそれを奪えない。」
    「父親が、子供が欲しがるからって毎日チョコレートを与えて子供が喜んでいたとしても。それは愛情じゃない。子供は知ってる。」

    「子供が一番望んでるもの」
    「笑顔でいる、お母さんだよ。」

    感情がぼろぼろの自分には、心に染みた。
    失格だろうが、不完全だろうが、未完成な母親だろうが、それがなんだ。
    当たり前だ。
    母親が泣いていたら、子供は泣けない。
    母親が笑ってるから、子供は’何とかなるか’って家に帰って来られる。

    この母親は、
    よく転ぶ。
    よく失敗する。
    よく間違える。

    おかげで、子供は賢くなった。
    母親より、身長も高くなった。
    母親より、洋服のサイズが大きくなった。
    携帯の使い方は、子供から教えてもらうようになった。
    家のDIY も子供のほうが、早く完成する。
    料理も子供が作ったのほうが、本格的。
    お菓子も子供が作ったほうが、美味しい。

    この子供たちの母親でいられることは、なんてラッキーなんだと思う。
    一人でできない時は、友人が飛んできてくれる。
    わからない時は、子供が調べてくれる。
    まだまだ進行形。

    葛藤の10年、息をしていたかどうかの感覚さえ無かった。
    眠れていたのかどうかの記憶も無い。

    今はちゃんとベッドのある寝室で、眠っていられる。
    子供と日本のアニメを見ながら、手作りのカツカレーを、テーブルで食べられる平和な時間がある。

    当たり前の日常が、普通になった時。
    私も子供も、本当の自由を手にできる。
    もう少し。
    あと少し。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門


     
     
    日本とオーストラリアを“家”として生きる母であり、食の旅人。 移住、離婚、解雇、見えない支配で砕けたこころを取り戻し、 二つの文化がくれる“こころが軽くなる瞬間”を綴り、 そっと前に進む力を届けています。

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