
思いきって手放せば すべてが手の中に
さて
先日書いた"私のナゲキ"記事。
読んで下さった方、コメント下さった方ありがとうございます。負の気持ちを今引きずってはいませんが、まずはありがとうを伝えたくてこれを書いています。体調は薬と食べ物を見直し、良くない状態からは脱しました。
手放したことは多いけど、その分楽にもなった
まだ、これがやりたい。仕事ももっとがんばりたい。そんなモヤモヤを友として何年も併走し、ふと気がついたら、そんなにがんばらなくても良い年に到達していた、というのが現在地です。結果的には楽になったのかもしれません。
そして私は今55歳ですが、今後は小さく楽に生きていくと決めています。仕事上の自分のミッションを完了させるのに後5年欲しいと考えて、それまでは頑張りたいと方々にもすでに伝えてあります。(色々言ってますが、今問題の年金を払い終わるまで、というのが実はある…)
無理だ。ドタキャンするかもしれない。
長年のこんな自分が情けなくてすごく嫌でしたが、今は抗わないことに少し慣れました。いまでも嫌なことは嫌なので、時に爆発しながらも諦めは大切です。
定期で通院している病院の先生には何かと「加齢です」と言われるので、今の私はこうだけど、後10年もすれば一定数の人も何らかの不調をかかえるのだから、私はそれが少し早いだけ。などとブラックな心も顔を出すようになりました。
人との付き合いは変わる
私の場合、昔みたいに簡単に約束することが心の負担になってきてからは、付き合いの幅は狭くなったと思います。色んなお誘いや集まりを欠席するようにはなりましたが、現在周りを見れば、好きな人達は変わらずいてくれます。
一緒に楽しめなくなり、付き合えなくなった人はそこまでの人と考えているし、昔広く浅く付き合っていた人々の名前が、パッと出てこなくなったことが全て物語っているかもしれません。これも加齢ですね。
ワガママを言うと、実は私はアルコールが大好きなのでカンパーイ!が出来なくなった事は正直寂しい。今はアルコールは飲みません。
そして、ただ唯一強く願うとすれば、増員してきた家族と共に過ごす時間だけは、快調でありたいということでしょうか。
これは危険だったこと
ここで少し注意しなければいけないのが、自分がかなり負のオーラを放っていたかもしれないということ。当時なぜか面倒くさい人を引き寄せました。
オーラとか引き寄せとか言いましたが、私はスピリチュアル的なものには一切興味がありません。(スピリチュアル界隈の皆様すみません。否定の気持ちはありません)
実際体調を崩している間、まずい人々(1人じゃないってところがミソ)に取り憑かれがちになりました。 玄関を開けたらしゃがみ込んでる人がいたなんてこともありました。
パワー的には抗えなかったですが、しかし結界を貼るチカラが残っていたようで、ギリ取り憑かれることなく助かりました。
暇そうに見えるかもしれないけど、心は暇じゃないんですよ。そこまで親しくもない他人のことなんて考えられないんですよ。
ちなみにこのnoteに悩みや愚痴を書いている方々は、私の中ではもうすでに一歩踏み出している方。と思っています。書くために力も時間も必要です。他人に依存ばかりせず、自分ではきだすエネルギーをすでに消費しています。私自身も愚痴るのでそれを実感していますが、そんなエネルギーをも使わず、リアルに愚痴だけを他人に聞いてもらおうだなんていけません。
弱っている時に聞き役になるのは身体に良くないです。私は危うくゴミ箱になるところでした。その点noteは読む、読まないを自分で選べますから、ありがたいです。
何だかんだ言って、現在はそのあたりの気持ちのコントロールが前よりできるようになっただけでも成長していると思います。
親の介護が始まってから唐突に始めたnoteですが、記録したり書いたりすることが私には良いと思っています。不定期に書いていたことが、大切な自分の情報にもなっています。
かつて希少難病に罹患してしまった犬の介護を始めた時、獣医師に勧められてブログを始めたことが、書くことのきっかけになりました。7年の介護が続きましたが、その時にも自分の書いた情報に助けられたことは多かったです。
noteでは、これまで自分の体調には深く掘り下げることは少なかったのですが、母を看取るまでの様々な記事の中に、自分だけが分かる私の心身の変化が読み取れて、あの時はああだった。この時はこうだった。なんて、今読んで思うことがあります。
※タイトルですが、昔信心深い母にもらった晴佐久昌英神父様の書いた日めくりカレンダーの言葉です。
私は母をがっかりさせる程信心深くない人間ですが(神頼みだけはする)この言葉が心に沁みて、ずっと大切にしています。