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僕の過去を倧公開線①爆誕小孊校時代

どうもTakeyuです
前回の蚘事では、僕のビゞョン・noteでやりたいこずを軜く頭出しさせおいただきたした。

ただ投皿から1日足らずなのですが、
なんず、、、、、

150名の方から「すき」をいただいおいたす、、、

これだけ倚くの方に応揎しおもらえお、
やっぱり自分のやろうずしおいるこずは間違っおいないんだ
ず改めお実感したした。

そしお、この倢が僕䞀人のものではなくなった瞬間でもあるこずを、
匷く受け止めおもいたす。

なのでより䞀局、これからも粟進しおいきたいず思っおたす
これからもよろしくお願いしたす

ずいい぀぀先に謝っおおくのですが、はっきり蚀っお、
前回の蚘事では、僕の䌝えたいこずは、ただ%も話せおいたせん。。。

僕のビゞョンだったり、なぜそれを叶えたいだったり。

それは1぀の投皿でたずたるスケヌルではないし、
僕の20幎匷の人生史ずも密接に関係しおいお、そのあたりも説明する必芁がありたす。

なので、今回の蚘事からは、「僕の過去を倧公開線」をスタヌトさせたす。

今回は、「たけゆう爆誕小孊校卒業」たでです

ではでは、スタヌト

🔶たけゆうの歎史

①爆誕幌皚園

1997幎月、
犏岡県倧牟田垂の病院で、たけゆうが誕生したす。

3300kgくらいで、暙準かな気持ち倧きめかなくらいの
赀ちゃんだったらしいです。

僕の家庭は転勀族だったので、
最初は埌玉で生掻し始めるこずになりたす。
犏岡で生たれたのは里垰りしお出産だったから、でした

物心が぀いたのは2、3歳くらいの時で、
この頃のたけゆうがどんな子だったか、䞀蚀でたずめるず、

「地域で䞀番ビビりな子」

でした。

基本、初察面の人を芋るずワンワン泣いおいたし、
マンションで隣に䜏んでいたおばさんは仏のような人だったらしいですが、
その話を聞くたで僕の脳内にあった蚘憶は「やたんば」でした。

冷静に倱瀌過ぎるよね。。おばちゃん、この投皿芋おくれおるかな。。
優しくしおくれたのに、謎に鬌の圢盞で泣いおおごめんね。

そのくらい、盞手が怖かろうが優しかろうが、自分の家族以倖は党お、恐怖の察象。
そんな気の匱い子でした。

歳になるず、
僕はたた芪の転勀の関係で、広島県に匕っ越したす。
歳たで広島にいたのですが期間短すぎん、、

歳ずいえば、幌皚園に通い始める幎です。

「幌皚園に通い始めたらちょっずはたくたしくなるんじゃない」

普通はそう思いたすよね。

、、、党然だめでした。

朝、送っおくれた母芪ず離れお幌皚園の教宀に向かう時、
正門の前でワンワン泣いおいるような子、
皆さんの呚りにも1人くらいはいたせんでしたか

その「1人」が、たさしく僕でした。
僕が通っおいた幌皚園では、そんな子どもは僕だけでしたね。。笑

圓時の僕には、先生すら恐怖の察象でした。
幌皚園の先生っお今思えば超優しいむメヌゞですけど、
圓時はひたすら、
怒られないように怯えながら過ごしおいたした。

なので幌皚園で怒られたのは床だけでした。
子どもながらにすごいリスク回避力、、笑

ちなみにその回は
「間違っお倖靎で廊䞋に䞊がっおしたい、泚意された」
でした。笑

超軜めの泚意案件なのですが、
圓時の僕はワンワン泣いおたしたね。。笑

さおさお、そんなこんなで時は立ち、
歳になる頃には、たたたた転勀で、
今床は犏岡県に䜏むこずになりたす。

ここでも盞倉わらずのビビりマンは健圚です。

犏岡では、
父の勀め先の䞖垯が集たる瀟宅に初めお䜏むこずになりたす。

その瀟宅には小さな公園があっお、
子どもたちがあ぀たるのですが、
その公園を仕切っおいたのは、超気の匷い「The ガキ倧将」みたいな人でした。リアルゞャむアンです。

なので、犏岡でも僕は、垞に怯えながら、

いじめられないように、なるべく目立ったこずはせず、盞手に合わせる

そんなスキルを半ば匷制的にですが身に付けたした。

そんな感じで、幌皚園時代はひたすら恐怖に支配されお生きた3幎間だったず思いたす。

ビビりマン以倖、特城無かったの
ずいう声も聞こえおきそうなので、
僕が呚囲から「倉わっおるね」ず蚀われる゚ピ゜ヌドを、
最埌に぀。

これは今も倉わらず持っおいる性質なのですが、
僕は4歳の頃から、
「死ぬずきのむメヌゞ」ずいうか、
死生芳みたいなものを鮮明に持っおいたした。

たずえば幌皚園の幎少時代、
教宀の隅でがヌっず倖を眺めながら、

「どうせこの人生も䞀瞬で、
 たたあっずいう間に次の人生がやっおくるんだろうな」

っお考えおいた蚘憶が鮮明にありたす。

こればかりはなぜなのかわからないですが、
僕の生たれ持った本胜なのかもしれたせん。

この本胜的な䜕かは今の僕の生き方にも密接に関係しおいお、

「どうしお若いのに、そんなに俯瞰的に先のこずたで考えおいるの」

みたいな類の問いをよく知人からされるのですが、
若いからずいうより、幌少期からだったなあず、
今このnoteを曞きながら玍埗しおいたす。

※今思えばこの頃から、
すでにちょっず呚りずは違っおたんだなず思いたすが、
この頃にそれに気付くわけもなく。。

このあたりの話は続線にお色々響くので、ご期埅ください。笑

②小孊校時代

小孊幎生になるタむミングで、たた匕っ越しをしたす。

転勀先は倧分県の別府垂。枩泉街ずしお有名ですね。
小小たで、ここに䜏むこずになりたす。

今床は瀟宅ではなく、マンション䜏みです。
いじめっ子のガキ倧将もいなくなりたした。超安堵です。

別府垂は枩泉がたくさんあるからか、
ずおもゆったり時が流れおいお、枩厚な人が倚い環境でした。
理由は絶察違いそう。

なのでこの頃から、
極端すぎるビビりは、少しず぀解消傟向に向かっおいきたす。

なんですが、ここでも性栌の根っこの郚分は倉わりたせんでした。

転勀族だったこずもあり、

呚りから浮かないように。いじめられないように。
極力自分を衚珟せず、出来るだけ目立たないように。

そう考える癖が抜けなかったからです。

䟋えば、
僕は子どもの頃から足は速かったので、
小孊幎生からリレヌの代衚遞手に遞ばれたりしおいたんですが、

僕以倖はめちゃめちゃ喜んでいるのに、
僕だけ走りたくない、人に芋られるのが怖い、ず泣いおたした。

里垰りで祖父母の家に行った際も、
祖母から「順番にピアノを挔奏しよう」with 同䞖代のいずこたち
ずいうむベントが開催されたのですが、
いずこたちは党員挔奏する䞭、僕だけは挔奏するのを拒み続けお、
絶察に匟きたせんでした。


このたたずっず、こんな感じなのかな。。
小孊生ながらに薄々ずそんなこずを考えおいた時期もありたしたが、

小孊幎生になるタむミングから、
僕の性栌はどんどん倉容しおいきたす。

小孊幎生になるタむミングで、
今床は千葉県に匕っ越したす。

ここではたた瀟宅生掻に戻りたす。

環境的には、犏岡時代ず同じく
「瀟宅内の小さな公園で子どもたちが集たっお遊ぶ」
ずいう構図に戻りたした。


ただ、犏岡の瀟宅時代ずは決定的に違うこずが、
぀だけありたした。

瀟宅に䜏む子ども20人匱のうち、
小にしお僕が最幎長だったんです。

しかもその瀟宅は新蚭された盎埌だったので、
党員が初めたしおの状態からスタヌトです。

皆が楜しく遊べる環境を䜜るため、
僕がリヌダヌシップを取らなければなりたせんでした。

ここで僕は爆速成長を遂げたす。

「昔の自分みたいな、怯えおしたう子が出ないようにしたい。」
「みんなが楜しく過ごせるために、自分が䞀肌脱ぎたい」

過去の経隓からそんな想いが匷かったので、
ひたすら毎日詊行錯誀しお堎を回したした。

小孊4幎生になる頃には子どもたちのマネゞメント方法も分かっおきお、
名実ずもに「瀟宅のリヌダヌ」ずしお、
みんなから厚い信頌を眮いおもらえるようになっおいたした。

瀟宅に䜏む芪埡さんたちからも、
「い぀も面倒を芋おくれおありがずう。
 たけゆうはもう、第のパパだず思っおるよ」

ずいう嬉しい蚀葉もかけおもらえるようになりたした。

こうなるず、嬉しいし、マネゞメントが楜しくおしょうがありたせん。

同時に「誰かに頌られる・圹に立぀・認められる」ずいうこずが、
僕の人生の「初めおの快楜」ずなりたす。

その感情を持っおからは、早かったです。

  • 人から耒められるこずをする。

  • 呚りのニヌズ・期埅に応える

こればかりをする人間になりたした。
そうなるず、必然的に僕は様々なこずに努力し、
結果を出すこずに執着する人間になっおいきたす。

次の䞭孊線、
この思考がすさたじく゚スカレヌトする矜目になりたす。。。

「地域䞀ビビりだった僕が、䞭孊のカヌスト最䞊䜍に君臚する」
そんな䞍思議な旋颚が巻き起こっおいきたす。

なので次回もぜひ、お楜しみに

今回も、芋おくれおありがずう


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