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三人だけの国

    気が狂ったように何かにハマるという経験をしたことはあるだろうか。私の場合はそれが三国志だった。

    小学校の中で一番お気に入りの場所が図書室だった。図書室に行くと紙の匂いに溺れることができた。今よりも知らないことが多かった私にとって、新しい知識を得ることはある種の快楽だったように思う。

    私の学年には狂ったように本を読む人間が三人いた。友人SとT、そして私だ。毎年貸し出し冊数ランキングの表彰台を独占するほどで、大学生になった今でも、同じ小学校を卒業した友人とご飯にいくと「本当にあの三人はずっと本読んでたよね」と高確率で言われる。名実ともに学年の読書家と言えば私たちだった。

    おそらく小学四年か五年のとき、私たち三人は同じクラスになった。周りの同級生が鬼ごっこやかくれんぼに夢中になっているとき、私たちにとってのそれは三国志だった。推しの武将、軍師の策略について語り合った昼休みはまるで軍議だった。「史実通りではなくこっちを攻めればよかったのに」と歴史を疑い、ダメ出しをしていたあの時、私たちは無敵だった。

    「次何巻借りる?」
    「今二巻読んでるけど次は四巻読みたい気分」
    「私今四巻借りてるからそのまま貸すわ」
    「俺次二巻借りるからそのまま貸して」
    私たちがハマっていた三国志は四巻構成で、一巻あたり四百ページほどの文量だ。各々が一日、早ければ半日で読み終わり、次の巻へ進んでいた。仕組み上図書室の返却、貸出機能を通さなければいけなかったが、実質三人の間で各巻が動いているだけだった。休み時間になると三人で図書室に行き、常連の顔つきで司書さんにバーコードを通してもらっていたことを思い出し、顔が熱くなる。

    同級生がデュエマやポケモンに夢中だった時、私たちは「出師の表」を丸暗記しようとしていた。出師の表とは、劉備の息子で蜀の皇帝となった劉禅に向け、軍師である諸葛亮が魏への出陣を前に上奏した文章のことだ。三国志を知らない読者の方は「つまりどういうこと?」と眉と眉の間の溝が深くなっているだろう。そういった皆様には好きなアニメのセリフや推しの新曲の歌詞を何度も聞いて覚えようとしているのと同じことだと思ってほしい。ただ、二~三世紀の古代中国の文章を書き下し分とはいえ丸暗記しようとした我々の疑いようのない純粋な三国志への愛は賞賛に値すると我ながら思う。何を引き金にしてこれを暗記しようという流れに至ったのかは全く覚えていないのだが、友人Tがノートの切れ端に見えるか見えないかの大きさの文字で書き写していたことだけは鮮明に覚えている。結果として誰が暗記できて誰が暗記できなかったのかさえ分からない。私がどうだったかも覚えていないということはきっと私は覚えられなかったのだろう。愛と努力は比例しないらしい。

    皆さんお気づきのように私たちは狂っていた。他を寄せ付けなかった。もちろん悪い意味で。三国志をあれほど読み込んでいたのは学年どころか学校を見ても私たちだけだった。この経験が私の人生に影響を与えたかと言えばそうでもない。ほとんど意味を持っていないとさえ思う。しかし、だからこそ愛おしい。今、私は成果や意味をもたないことをする気にはなれない。意味がないからだ。それをしたところで、何も生まれないからだ。「好き」という一時の感情だけで言動が決まっていたあの頃がたまらなく懐かしく、尊いものだと実感した。あれから長い時が経ったが、いまだに私の人生の中で塗り替えられることのない輝かしい日々だった。

    効率化の森に迷い込んだ時、私は三人だけの国を思い出す。三国志が好きな私たちだけの、三人だけの国だ。結果主義に深く沈み込んでしまう時、私は出師の表を思い出す。意味はないと分かっていながら、かすかに覚えている冒頭を口ずさむ。たまには意味のないことも全力で愛して良い。何もリターンがなくても一つのことに熱中できていたあの頃の私がうらやましい。

    今度、友人TとSをご飯にでも誘おうと思う。三人だけの国の続きがしたい。

     
     
    書いたり読んだり。自分のペースでやっています。

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