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忘れてたのは、明日のぼく

    スマホのアラームが鳴っている。

    朝だ、起きないと。

    あれ?

    なんでだ?

    体が動かない…

    今日は、月曜日だ。

    大事なミーティングがある。

    仕事に行かなくちゃ。

    でも、体が動かない。


    先週、上司に言われたことを思い出した。

    「来週の月曜日は、新しい特集ページの大切なミーティングだからな。プレゼンしっかりやってくれよ」

    分かってる、分かってるよ。

    この週末、それにかかりっきりだったんだ。

    だから会社に行きたいけど、起きれないんだよ。


    ミーティングは午後からだから、会社に連絡をして病院に行くことにした。

    やっとの思いでここまで来たのに、待ち時間が長い。

    「まだかな…」

    ぼくは、どこも悪くないのに。

    「特に悪いところはなさそうですね。心療内科に行ってみてはどうでしょう?」

    内科の先生に、そう言われた。

    よく分からないまま、病院をあとにした。

    「なんだよ、心療内科って」

    少しイラついてたし、混乱していた。

    何か飲んで、クールダウンしよう。


    自販機があった。

    いつもは通らない道だったけど、ちょうどよかった。

    スマホ決済できるかな?

    そう思って近づいたけど、思わず二度見してしまった。

    なぜって?

    見たこともない自販機だったから。

    上部には猫の形のサインボード。

    白や黒、茶トラ、キジトラ…いろんな猫のイラストが目を引く。

    そして、大きく【エニャジードリンク】の文字。

    「…なんだこれ。新商品かな?」

    缶には、それぞれ違う猫が描かれている。

    ラインナップは、ほっこり・シャッキリ・気まぐれ・元気に・猫キックなどなど…

    「猫キック味って、どんなだ!?でもま、試しに買ってみるか」

    よく見てみると、案内が書いてあった。

    【お一人様につき、エニャジードリンク一本のみとなります】

    「え、なんで?」

    一人一本の限定販売とは、かなり不思議な自販機だ。

    「ま、いっか。えっと、何味にしよう」

    今の気分は、ほっこり、だな。

    スマホ決済をして、ボタンを押す。

    自販機から「ニャア」と聞こえた。

    奥の方から、缶がコロコロ転がってくるような音がした。

    いつものガタンという音じゃない。

    「変なの」

    不思議に思いながらも、アクリルの蓋を押し上げ、缶を手に取った。

    【エニャジードリンク・シャッキリ味】

    「あ、間違えた」

    出てきたのは、ほっこりではなく、シャッキリ味だった。

    諦めて飲むしかないか。

    でもなんだろう、この違和感――

    缶が、妙に温かい。

    COLDじゃないのか?

    想像と違う感覚に、少しの気味悪さがあった。

    出てきた缶は、缶詰のような開け方のスタイルだった。

    そして、少し重い。

    恐る恐る、プルタブに指を通してみた。

    不思議な緊張感が走る。

    何か飲んで、クールダウンしたかっただけなのに…

    「何なんだ!?」


    プルタブを上げた。

    パカッといい音がして、ポワンとした温かい空気といっしょに猫が出てきた。

    まるで水に絵の具がふわぁっと広がるみたいに――

    白とグレーのそいつは、フワァーと大きく口を開けて、あくびをすると、ぴょんと肩に飛び乗ってきた。

    「え?…猫…なんで?」

    その猫は、何食わぬ顔でくつろいでいる。

    「お前、マシロか!?」

    猫の声が聞こえてきた。

    「ヤバ、いよいよ幻聴かも…やっぱり心療内科行かないと」

    慌てていると、猫が落ち着いた声で言った。

    「大丈夫じゃ。マシロは、まともじゃよ」

    「え、いや…でも」

    誰かに見られていないかと、肩の猫を気遣いながら辺りを見回した。

    「このエニャジードリンク・シャッキリ味のワシがそばにいるのじゃ。だから、安心しろ」

    「あ、はぁ」

    「なんだ、若者じゃろ。もっとシャッキリせぃ!」

    頭を搔きながら、もう一度エニャジードリンクの缶を見つめた。

    【あなたの人生のお供に―エニャジードリンク】

    キャッチコピーが、何かを伝えようとしている気がした。


    肩にシャッキリ味の猫を乗せたまま、家へ帰った。

    コンビニに寄りたかったけど、肩乗り猫を不審がられても嫌なので、直行するしかない。

    部屋に入ると、シャッキリ味の猫は自分から飛び降りた。

    猫は部屋の中をゆっくり見渡すと、机の上の資料の山と、壁に立てかけられた真っ白なキャンバスに目を留めた。

    「ほう…ライターってのは、字だけ書くもんかと思っておったが」

    「…一応、デザインまわりもちょっと担当してて…」

    猫は鼻をクンクンとさせて、資料の束に前足を乗せた。

    「“ターゲットに刺さる流行りのトーン”…“離脱防止の導線設計”?ほう、シャッキリしておるのぅ」

    「う、うるさいな…仕事なんだよ」

    「それにしては、このキャンバスが泣いておる」

    壁際に置かれた画材を、猫はじっと見つめた。

    うっすらと埃がかぶっている。

    (ってか、ぼくは、なんで言い訳してるんだ。相手は猫だぞ)

    「おい!お前!シャッキリ味とか言ってたけど、エニャジードリンクって何なんだよ!」

    さっきは気づかなかったが、こうして見るとシャッキリ味の猫は、長く生きてきた旅人のような目をしている。

    「ぼくは、ほっこり味がよかったんだ。どうしてシャッキリ味なんだよ」

    猫は、くるんと尻尾を巻いて、画材のそばに座った。

    「エニャジードリンク、それはな、買った人の人生に寄り添うドリンクじゃ。マシロの場合はな…シャッキリ味がオススメじゃな。なぜならば、おっほん、人生の忘れ物を取り返す時が来たからじゃよ」

    「人生の忘れ物?」

    「分からんか?お前、絵を描いておったろ。夢中になって、誰の目も気にせず、ただ描いておった。だが、忘れてしまった」

    立ったまま、右手を握りしめた。

    (なんで、そんなこと知ってるんだ)

    お構いなしに、猫は続けた。

    「ほれ、机の上にある紙束と、そこのキャンバス。どっちが、お前の心に近いんじゃ?」

    マシロは言葉に詰まった。

    机の上の資料には、企画書やインタビュー原稿のメモ、「バズるためのタイトル例」なんてプリントもあった。

    一方、壁のキャンバスは、真っ白なまま立てかけられている。

    「どっちが好きかなんて、分からないよ…好きだった、かもしれないけど。食べるためには仕事しないと…」

    猫はふう、とため息をついた。

    「好きがどうか分からなくても、描きたいと心がうずいたことがあったじゃろ?」

    ゆっくりとキャンバスの前に立った。

    埃を払うと、思ったよりもずっとまっさらだった。


    「マシロ、この間のコンテストの作品すごかったな」

    学生の頃、よく声をかけられた。

    自分でも自信があった。

    絵で食べていける、と…

    でも、人生思うようにはいかなかった。

    気づけば筆を置いて、生活のために今の出版社に入っていた。

    文章を書くことのハードルは、それほど高くなかった。

    今までの知識も活かせたし、画家やイラストレーターにも会えるのは純粋に嬉しかった。


    でも…


    「おい、マシロ、聞いとるのか!?」

    「あ…うん」

    「お前は、本当はどうしたいんじゃ?シャッキリせぃ!」

    「ぼくは…ぼくは…」

    まっさらなキャンバスと、机の上の資料が視界の中でぐるぐるしている。

    シャッキリ味の猫は、それ以上何も言わずに、部屋の真ん中で毛づくろいを始めた。

    (何なんだよ。ぼくに質問攻めしといて、のんびりしちゃってさぁ)

    目をぎゅっとつぶって、頭を勢いよく振った。


    「ぼくは、物書きじゃない。絵描きだ!」

    そう言った瞬間、肩の力が抜けた。

    シャッキリ味の猫は、のそのそと歩いてきて、ぼくの足元でふにゃとあくびをした。

    「それでこそ、マシロじゃ」

    猫の声が、さっきより少し優しく聞こえた気がした。



    いつぶりだろう、この木炭の手触り。

    気づくと、真っ白なキャンバスを前にしていた。

    まずは、シャッキリ味の猫をモデルにしよう。

    デッサンをする。

    色をのせる。

    シャッキリ味の猫が、隣でごろりと転がった。

    時間のことも、プレゼンのことも、今はどうでもよかった。

    ただ、描き続けた。

    夢中で作品と向き合うことの楽しさを思い出しながら。

    今日も明日も、きっとぼくは描き続ける――

    そのことが明日のぼくをつくる。

    その先の未来は少し、変わるかもしれない。


    #創作大賞2026
    #オールカテゴリ部門

     
     
    文字を紡ぐことが好き 2人のにゃんこと住んでいます 誰かの心に小さな灯りを届けられたら いつか、書くことを生業にするのが夢です 🖋️一部 以前のアカウントで公開していたものを再掲しています

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