
私として認識されるのが怖い。常連になれないわたし
最近、「蛙化」という言葉をよく聞く。
蛙化現象とは、もともとは、好きだった相手が自分に好意を向けてきた途端に、急に気持ちが冷めたり、嫌悪感が出たりする現象のことらしい。
最近では、相手のちょっとした言動で急に冷めることにも使われているらしい。
これが蛙化なのか。
私が昔から抱えているこのモヤモヤを、最近の言葉が少しだけ説明してくれた気がした。
でも、私の場合は恋愛に限らない。
馴染みの客になることが苦手だ。
お得意様のように扱われると、そのお店に行きづらくなる。
惣菜屋さんで、
「つむぎさん、これ好きだったよね!」
と言われる。
通っていた個人経営のエステが閉店する時に、
「最終日にぜひ来てください。つむぎさんに最後のお客様になって欲しくて」
と言われる。
久々に行ったコワーキングスペースで、
「お久しぶりです。最近お忙しいですか?」
と言われる。
どれも、悪意なんてない。
むしろ、好意だ。
覚えていてくれたということだ。
普通なら、うれしいことなのだと思う。
実際、その瞬間は少しうれしい。
でも、同時に、逃げたくなる。
あ、覚えられている。
あ、私はこの人の中で、もう「つむぎさん」になっている。
あ、次も同じように振る舞わなきゃいけないのかな。
あ、私はもう、ただの通りすがりではいられないんだ。
そんなふうに感じてしまう。
たったそれだけの、何気ない関係性だけで、私は逃げたくなる。
そのくせ私は、その場のノリでせんべろに行ける友達が欲しいと思っている。
仕事帰りに、
「ちょっと一杯行く?」
みたいに誘える人。
大した話をするわけでもなく、安いおつまみをつつきながら、今日あったくだらないことを話せる人。
予約もいらない。
深い説明もいらない。
人生を背負い合うほど重くもない。
でも、ひとりではない。
そんな関係に、私はずっと憧れている。
近づかれると逃げたくなるのに、
軽やかにつながれる人は欲しい。
覚えられると怖いのに、誰にも覚えられていないのは寂しい。
特別扱いされると居心地が悪いのに、蔑ろにされると、
それはそれで傷つく。
ああ、やっぱり私なんて。
大事にされない側の人間なんだ。
そんな気持ちになる。
本当にややこしい。
大人の思春期か。
いや、昔からある。
面倒くさい性格だな、とずっと思っていた。
でも、最近は少し違う気もしている。
これは、面倒くさいというより、怖いのだと思う。
「つむぎさん」と認識された瞬間に、ただの通りすがりではいられなくなる。
きちんとしなきゃいけない。
すっぴんでは行けない。
部屋着では行けない。
疲れた顔をしてはいけない。
不機嫌そうに見えてはいけない。
感じよく笑わなきゃいけない。
前と同じような私でいなきゃいけない。
ああ、私はこの人の中で「私」として認識されたんだ。
そう思った瞬間に、急に体が固くなる。
ただ覚えていてくれただけ。
ただ声をかけてくれただけ。
ただ親しみを込めて接してくれただけ。
誰もそこまで気にしていないし、求めてもいない。
それはわかっている。
でも、私の中では、その瞬間にスイッチが入ってしまう。
ちゃんとしなきゃ。
期待を裏切っちゃいけない。
変に思われちゃいけない。
そうやって、たった一つの何気ない関係性が、私の中で急に“役割”になる。
常連さんらしく。
お得意様らしく。
感じのいい人らしく。
元気そうな人らしく。
ちゃんとしている人らしく。
そんなもの、誰にも頼まれていないのに。
それでも私は勝手に背負ってしまう。
だから、逃げたくなるのだと思う。
その店が嫌いになったわけではない。
その人が嫌になったわけでもない。
むしろ、好意を向けられたことはわかっている。
でも、私として認識された場所に、もう一度行くのが怖い。
次に行く時、私はまた“ちゃんとした私”でいなければならない気がするから。
もしかすると私は、誰かに覚えられることそのものが怖いのではないのかもしれない。
誰かの中にできた「私」を、壊してしまうことが怖いのだ。
元気な私。
感じのいい私。
きちんとしている私。
ちゃんと仕事をしている私。
きれいに整えている私。
そういう私として認識されたら、次もその私で行かなければいけない気がする。
でも、実際の私は、毎日そんなに整っていない。
すっぴんの日もある。
部屋着で外に出たい日もある。
疲れている日もある。
笑顔を作る余力がない日もある。
誰とも話したくない日もある。
それでも、何者でもない客なら、まだ行ける。
知らない人の中なら、少し気が楽だ。
でも、一度「つむぎさん」になってしまうと、そこにはもう関係性がある。
ほんの少しの関係性。
私にはその少しが重く感じる。
私は、人との関係を欲しがっていないわけではない。
むしろ、欲しい。
その場のノリでせんべろに行ける友達が欲しい。
くだらない話をして、笑って、じゃあまたね、と軽く別れられる人が欲しい。
深く説明しなくても、でも完全にひとりでもない関係が欲しい。
ただ、関係性が急に濃くなることが怖い。
私の中にある準備よりも早く、
相手の中に私の居場所ができてしまうことが怖い。
「常連さん」
「お得意様」
「大切なお客様」
「久しぶりに来てくれた人」
そういう名前がついた瞬間に、少し息苦しくなる。
私は、誰かの中に残りたい。
でも、残り方を自分で選びたい。
たぶん、そんな面倒なことを思っている。
いや、面倒というより、やっぱり怖いのだ。
私として認識されることが。
そして、その私を保てなくなることが。
それでも本当は、誰かに覚えていてほしい。
この矛盾を抱えたまま、今日も私は、
「常連さん」になることを諦められないでいる。