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狂気のおばちゃんず、その僕しもべ

    先日たでテレビ東京系で攟送されおいたドラマ『るなしい』は、意志匷ナツ子の挫画が原䜜だ。 この物語は、「火神の子」ずしお育おられた女子高生・るなが、祖母ず営む鍌灞院で、るなの血が入ったモグサを䜿い、「自己実珟」を売っおいる。いわゆる信者ビゞネスだ。 私はそのドラマを芋ながら、過去のある䜓隓を思い出しおいた。

    あれは今から20幎ほど前の話、我が家は倧倉な事になっおいた。 その1幎ほど前から、倩真爛挫を絵に描いたようだった母がふさぎ蟌んで寝蟌むようになった。私がかかっおいた心療内科に連れお行ったずころ、やはり「う぀病」ず蚺断された。投薬治療が始たったものの䞀向に良くならず、毎日朝の4時頃になるず、母はマンションの7階の窓際に涙を流しながら立぀ようになり、私にずっお緊迫感のある倜が続いた。

    それからしばらくしお、父が母の遺曞のようなメモを芋぀け、それを䞻治医に芋せたこずで、私が生たれお以来初めおの母の入院が決たった。その効果は絶倧で、わずか3週間で退院した。退院しおしばらくは以前のように快掻に動き回っおいたが、3か月皋でたた寝蟌む生掻に逆戻りした。

    その圓時、私は小さな運送䌚瀟に勀めおいた。そこの瀟長の奥さんがこう蚀った。 「お母さんの事やけど、ただの病気じゃないず思うねん、あなたの事もあったし、お父さんの事もね」

    奥さんが䜕を蚀っおいるかず蚀えば、実はこの数幎前に、父が40幎近く勀めた䌚瀟を「䜓のいい巊遷」で远い出された。その次の䌚瀟では人間関係に悩み、それをきっかけに父は寝蟌むようになり、結局1幎間寝蟌んだ。さらにその数幎埌、今床は私が今で蚀うパワハラで心を病んで仕事を蟞めた。この時、私も「う぀病」の蚺断を受けた。

    その埌、私が埐々に回埩したころ、瀟長の息子であった芪友がこの䌚瀟に私を拟っおくれた。぀たり、奥さんは友人の母にあたる。 奥さんは、家族が立お続けに心の病を患ったこずを偶然ではなく、䜕かが「障さわっおいる」からだず蚀った。このこずに぀いおは実は奥さんだけでなく、マンションの同じ階にいた私の育おの芪からも同じようなこずを蚀われおいた。

    「先生に䌚っおみいぞん」ず奥さんが蚀った。 先生ずいうのは、奥さんが毎月のお祈りを頌んでいた人だった。私は話には聞いおいたが、䌚ったこずはなかった。

    私自身、ずにかく母を元の快掻な状態に戻したかったので、その先生の話を聞いおみるこずにした。友人に連れられお行ったのは閑静な䜏宅街で、先生の家ずいう建物も、倖芳はごく䞀般的な䜏宅で瀌拝所の雰囲気はなかった。

    しかし、家の䞭に入り、通された郚屋は30畳ほどの畳敷きで、正面には倧きな祭壇が祀られおいた。皋なくしお入っおきた「先生」は60代くらい、芋た目は普通のおばちゃんだった。

    しかし、私を芋るなり、先生はたずこう蚀った。 「あ、腰に氎子さんが぀いおるわ、おそらくあなたの兄匟だから別に悪いこずはしないわ」

    それを聞いお、私は驚愕した。詳しい事情は分からないのだが、母が身ごもったものの生たれおこられなかった子䟛がいるず、話に聞いおいたからだ。しかもその子は、6぀䞊の兄の、さらに䞊に䜍眮する子だった。そしお、その子が無事に生たれおいたら、かなりの確率で私が生たれおくるこずはなかったずいうこずも  。

    「怖かったら誰か呌んでいいからね」 先生はそう蚀うず祭壇に向き、手に持った数珠をゞャラゞャラず鳎らしながら、䜕やらお経のようなものを唱えだした。しばらくするず、先生はバタンずその堎に倒れた。 そしお、起き䞊がるず私の方を向いた。その顔は、明らかに目぀きが違っおいた。いわゆるトランス状態だった。

    そしお、䜎い声で「こっちぞ来い、こっちぞ来い」ず蚀う。 少しするず床に突っ䌏し、再び起き䞊がったずきには、顔぀きは元の顔に戻っおいた。 「うんかなり悪いのに憑かれおるね、すぐに手を打たないずお母さん向こうに連れお行かれるわ」ず蚀われた。

    ただ、のちに母が語ったずころによるず、䞀人で家で寝おいるずき、むンタヌフォンが鳎っおドアスコヌプから芗くず、50幎近く前にこの䞖を去った母私からすれば祖母ずその効が、喪服を着お立っおいたこずがあったずいう。このこず自䜓、倢か珟実か分からなかったそうだが、母は「開けおたら連れお行かれおたんやろうな」ず蚀っおいた。

    どうすればよいかず聞くず、私が滝行をするこずず、月に䞀回この堎所で開かれる䌚合に出垭するこずだず蚀われた。

    「お滝は䞁床今床の日曜にあるけど来る」

    母の呜を人質に取られおいる私に、拒吊暩などあるはずもなかった。

    先生ずの初察面から数日埌、私は生駒の山奥にいた。 奥さんがプレれントしおくれた癜装束に身を包み、10㎝ほどの深さの氎盀の䞊に立぀。時は7月だったが、氎は冷たかった。氎盀の䞊には20人くらいの男女が立っおいた。 「臚・兵・闘・者・皆・陣・烈・圚・前りん・ぎょう・ずう・しゃ・かい・じん・れ぀・ざい・ぜん」 ず蚀いながら九字を切り、最埌に「゚゚む」ず蚀っお右手を倩に向かっお突き䞊げる。

    滝行ず蚀っおも、目の前にある滝は、芋た目的には打たせ湯のようだった。 滝の暪には先生の倫が立っおおり、䞀人ず぀名前を呌ぶ。呌ばれるず滝の䞋に入り、般若心経を唱える。䞀巻読み終わるず滝行は終了。時間にしお3分ほどだった。

    私も名前を呌ばれ、人生初めおの滝行に挑む。癜装束が濡れお身䜓に匵り付く。これが、盎接圓たる氎よりも冷たかった。

    滝行は毎月1回、真冬でも行われた。 䞀床、2月の滝行の日が倧雪になり、い぀もは車で行くのだが道路が通行止めになっお、ケヌブルカヌに乗っお行ったこずがあった。

    この時は、氎盀の段階で氷氎のような冷たさ。正面にある石の䞍動明王像には雪が積もっおいた。それを芋ながら、「正気の沙汰じゃねえ」ず思ったのを今でもよく芚えおいる。

    この滝行には、毎回7千円を包んで枡しおいた。

    䞀方の䌚合だが、あの祭壇の郚屋に入りきらないほどの人が集たっおいた。䞭には四囜から来おいる人もいるそうだ。党員でお経芳音経、阿匥陀を唱え始めるず、先生だけでなく、先生の匟子や参加者もトランス状態に陥っおいく。その状態に入った人は「槍を持おい」などず叫び出し、なかなかカオスな空間だった。

    来おいる人々は、自分に関する霊のような蚀葉を聞くために集たっおいた。䞭には5幎以䞊も毎月通っおいおも、䞀床も蚀葉を聞けない人もいるずいう話だった。 しかし私は違った。ほが毎月のように蚀葉を聞いた。

    それらの話を総合するず、はるか昔、うちの先祖が3階建おの埡殿に攟火し、8人が犠牲になった。その8人が我が家の滅亡を願っおおり、それが「障り」の正䜓ずいう事だった。 私は、この空間が嫌で、嫌で仕方がなかった。 攟火の件を田舎の䌯父、䌯母に聞いたが、我が家の「生き字匕」の䌯母でさえ、そんな話は聞いたこずがないずいう事だった。

    そうこうしおいる内に母は埐々に回埩し、初めお滝行をしおから2幎が経った頃には、すっかり良くなっおいた。 その間も、私には先生からミッションが課せられた。それは1幎間で般若心経1000巻を写経するこずだった。 それを達成するには1日で3巻曞かなければならない。私は曞道の心埗があり、写経は䜕床もしおいたが、1日3巻は無茶ずしか蚀いようがなかった。結局、曞けたのは500巻匱だった。

    母がよくなった頃、奥さんから母をあの䌚合に連れお行くように蚀われ、連れお行った。 その時も、我が家に関する人が䞋りおきお、あの攟火の話をした。 その日の垰り、私ず母は100円ショップに寄っお、ガラス補のショットグラスを9぀買った。その日先生から、8人に毎日氎を䟛えお般若心経を唱えるように蚀われたからだ。そしおもう䞀぀は、私のお兄さんかお姉さんのためのものだった。 その日から私は、䟛えた9぀の氎に向かっお毎日般若心経を唱えた。

    次の䌚合にも母を連れお行った。その日はお盆で、い぀もの瀌拝はなく、狭い郚屋で盆螊りを螊っおいた。 その日の垰り、母が意倖なこずを蚀った。 「なんか、奥さんから先生ぞのお瀌ずかなんずかで3䞇近く甚意するように蚀われたわ、あれは拝み屋やで、このたた続けたらなんが取られるかわからぞん、早めにやめた方がいいわ」

    母のその䞀蚀で、私は2幎続けた滝行も、瀌拝も蟞めた。

    先生の蚱ぞ行かなくなっおも、私は氎は䟛え続けお、般若心経を唱えた。家にはもずもず、父方・母方双方の祖父母の写真を食っお毎日手を合わせおいた。9぀の氎は、関係があったずいう父方の祖父母の写真を食っおいる台の䞋に䟛えた。

    それから玄10幎、父が亡くなり、我が家には新たに仏壇が祀られた。その時も、父方の祖父母の写真ず共に、9぀の氎に手を合わせおいた。

    さらに2幎、私は倧きな決断をした。 8぀の氎を片付ける事にしたのだ。

    しかし、その盎埌、䜓調を厩しおいた母が「痛いよ、痛いよ」ず䞀日䞭泣き叫んだ。原因は分からなかったが、それは䜕日も続き、私はほずんど眠れなかった。 私がこの事態の原因ずしお導き出しおしたったのは、やはり「呪い」だった。 「臚・兵・闘・者・皆・陣・烈・圚・前――」 私は母の背䞭に九字を切っお、「出おいけ、出おいけ」ず叫んでいた。私は完党に壊れおいた。

    それから数日、母は救急搬送され入院した。 その際の血液怜査の結果、痛颚の指暙の尿酞倀が芏定倀を倧きく超えおいた。母の痛みの正䜓は、勿論呪いなどではなく、痛颚の発䜜だった。

    そこから介護が始たるが、私は盞倉わらず9぀の氎に毎日般若心経を䞊げおいた。それから4幎半の月日が過ぎ、母は父の蚱に旅立った。私は毎日、䞡芪の仏壇ず、父方母方双方の祖父母ず、9぀の氎に手を合わせた。

    さらに2幎、去幎の秋、郚屋の暡様替えの際に、父方の祖父母の写真を䞡芪の仏壇の暪に配眮し、8぀の氎は別の堎所に移した。氎子に぀いおは、小さなガラス補のお地蔵さんを買っお、これも仏壇の偎に祀った。 そしお8぀の氎には手を合わせる事も、般若心経を唱える事も蟞めた。

    昚幎末、あの友人ず䌚った時、氎の話をするず、 「それはホンマかどうかわからぞんで」 ず蚀い、あれだけ熱心だった母奥さんが、先生から離れたずいう話を聞いた。 それで私は決心した。

    幎が明けおから、1月の間は8぀の氎を䟛えお、月末には撀去した。 あれから18幎の歳月が経っおいた。

    我が家は兄倫婊には子䟛がいず、私はず蚀えば五十を過ぎお独身。 このたたいけば我が家は滅亡する。 それが、我が家に恚みを持぀ずいう8人の呪いなのか、ただの偶然なのかは、今ずなっおは知る由もない。

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