
誰かに反発したくなるとき、人は大抵、別のことでイライラしている
自戒を込めて。
「わたしは犬が好き。犬って素晴らしい。犬がいれば人生は輝く」
と言っている人に、
「いや、猫のほうがずっと素晴らしい! 猫こそが至高の生き物だ!」
と反論したくなったとしよう。
したくなった、というだけで実際相手に言わなかったとしても、そう思うこと自体があまりにも不毛である。
だって犬が好きな人は「わたしは」犬がいれば嬉しいと言っているのであって、他人に対して「犬を讃えよ」と強要しているわけではない。
それでも何か反論したくてたまらない衝動に駆られるなら、それはきっと、タイミング悪く「自分が」何かに苛立っているだけなのだ。
その苛立ちは無意識下のことかもしれないし、何かむしゃくしゃすることがあった日にたまたま自分と少し意見の違うものを見てしまったのかもしれない。自分は猫派で、むしゃくしゃしていて、そんなときに犬派の人が楽しそうに幸せそうに犬を讃えているのが心のささくれに触れてしまったのかもしれない。
あるいは、自分だって本当は犬と触れ合いたいのにそうできない、という苦しさが裏返って反発心になっているのかもしれない。
違う! 猫こそ至高だ!!!
と、わずかでも攻撃性を伴って思ってしまったのなら、一度ページを閉じて犬派の人の話を読むのをやめたほうがいい。
誰も幸せにならないから。
自戒を込めて書いているのだから、つまりこれはわたしに覚えのある現象である。
「物を減らしすっきりした家で暮らすことが人生を豊かにする」
という趣旨の記事に対し、
「じゃあなんスか、物持ちで片付け下手のわたしの人生は豊かじゃないってことスか」
と、反射的に思った。ので、その記事を読むのを止めた。
しばらくもやもやしていたが、時間がたって冷静になると分かる。
わたしも、本当はもっとすっきりした部屋で暮らしたいのだ。
それが上手くできないから、論点をすり替えて斜め方向から相手に反発してしまった。もちろん心の中で、だ。
延髄反射でコメントしてはいけない。反論記事を書いてもいけない。
自分のむしゃくしゃした感情をすり替えてはいけない。
自分を理解することを放棄してはいけない。
そして、「ただ自分の喜びを発信している人」に対して反射的に感じた攻撃性をそのままにしてはいけない。それはおそらくほどんどの場合、自分の中に理由があるから。
アンガーマネジメントという言葉が一般的になって久しい。
腹が立ったら6秒待つ。
自分の苛立ちをコントロールする。
でも「記憶反芻型」のわたしのような人間は、6秒待っても苛立ちが落ち着くことはない。だって脳内で反芻するから。なんなら数日、数ヶ月、数十年単位で反芻するから。そして毎回同じように苛立ち、傷つき、苦しむ。
これが医師にASD気質があるのではと言われた所以であるのだが、自分ではなかなか反芻を止めることができない。
件の記事も、思い出しては「なんスか、自分は幸せじゃないってことスか」とモヤっていた。
あまりに不毛である。
でも、ゆっくり時間をかければ本音にちゃんと気づくことはできる。
わたしがもやもやしていたのは相手にではない。
自分に、なのだ。
だったら今からでもできることはある。
そう、片付け。
とてもとても下手で苦手だが、片付いた部屋に住みたいという自分の本音に気づいたのならやらねばならない。何もかも一気にはできないから、まず不要なチラシや郵便物、読んでいない雑誌を捨てるところから始めようと思う。
そして、勝手にもやもやして勝手に読むのを止めた記事の人に、心の中でそっと謝っておく。
なんでもない言葉に咄嗟に反発心が湧くとき、大抵人は自分の中に違う理由を持っている。
それにきちんと気づけたとき、たぶん、人は自分を前に進ませられるんだと思う。