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嫌ならやめればいい、は冷たい言葉? | HSP・悩み・仕事・休職

    元同職場の同僚や友人と会って、仕事の話になると
    必ずと言っていいほど出てくるのが
    「相変わらず残業が多くて大変」
    「振り回されてばかり」という愚痴の数々。

    話を聞きながら、私は心の中で、違和感と、強い疑問を抱いてしまう。

    そんなに嫌なら、どうしてやめない?

    こう言うと、きっと冷たい人だと思われるかもしれないけど、突き放しているわけでも、相手の苦しみを無視しているわけでもない。

    むしろ、その苦しみに共感し、自分自身が「現状を変えるための痛みを伴う選択」をしてきたからこそ、強く思う。

    「理不尽な仕事はやりません!」
    そう口では強く宣言しているのに、結局は翌日も同じように残業を引き受けている。

    正直「何がしたいんだろう?」と思ってしまう

    組織や上司に対して、私にはあれだけ強気で愚痴を言えるのに、なぜ組織にはその声を届けないのか。

    「言えなくて、やらざるを得ない」という状況の、あの押しつぶされそうな空気感は、私だってよく分かる。

    だけど、厳しい現実を言えば、「文句を言いながらも引き受ける」という態度を見せている以上、組織側から見れば「まだやれる余裕がある人」になってしまう。

    不満を口にしながらも行動で従っているなら、それは周囲から見れば「嘘」と変わらない。

    どんなに環境のせいにしたとしても、最終的に「今日もその職場に残り、その理不尽を受け入れる」と決めて行動しているのは、あなただよね…?

    私は、自分が変わらない環境に対して延々と愚痴を言い続けるのが嫌だった。
    他人のマインドや、硬直した組織のシステムを変えることは、個人の力ではほぼ不可能。

    だから私は、自分を救うために「自分が動く」という選択をした。

    退職を選び、自分の足で新しい人生の一歩を踏み出した。

    だけど、この選択は「簡単で、スマートなもの」ではない。

    転職活動は思った以上にエネルギーが必要で、長引けば長引くほど、生活を保つことへの不安が押し寄せてくる。

    夜、ふとした瞬間に将来への恐怖で押しつぶされそうになって後悔したこともあった。

    もし私が、あのままあの場所に残り続ける『強気さ』を持っていたら、今頃あそこでうまくやれていたんじゃないかと、たらればの幻影を追いかけてしまうことも…

    前の職場で愚痴を言いながら残っている人たちは、ある意味で「強い」

    どれだけ文句を言おうとも、あの理不尽な環境に耐え、そこにしがみつき続けるタフさを持っている。彼らは彼らなりに「まだやれるから」を選択している。

    一方で、私はそこまでのタフさはなかった。
    だから環境を変えるという、別の痛みを伴う道を選んだ。

    どちらの選択が正しいかは分からないけど

    私は自分の意思で「不安な今」を選んだ。

    転職活動の不安も、生活への焦りも、すべて自分が「自分の人生の主導権を握った証拠」

    だから、前の職場の愚痴にモヤモヤしてしまうのは、私が冷酷だからではない。

    私が自分の人生の選択から逃げずに、必死に不安と戦っているからこそ、

    「相手のせいにしたまま、自分の選択から目を背けている姿」に違和感を覚えてしまう。

    「嫌ならやめればいい」
    この言葉は、決して冷たい突き放しではない。

    あなたには、自分の人生を選ぶ権利も、環境を変える力も、本当はあるんだよ

    と、相手の可能性を信じるからこその言葉

    誰かのせいにしながらすり減っていく苦しみより、自分の選択の結果として怯える苦しみのほうが、ずっと健全で、未来がある。

     
     
    昔から深く考える性格で、空気を読むのが得意。田舎で育ち、噂や人間関係に疲れながら生きてきました。HSPのこと、職場のしんどさ、忘れられない出来事(人)を書いていきます。同じように生きづらさを抱えてる人に届いたらうれしいです。

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