
カツカレーを考えた人はわがままだ
人生とは、選択と選択が線で繋がった連続体である。ある事柄を選択するということは同時に、その他を選択しないという選択である。
人は常に選択に迫られている。パンにするのかライスにするのか。映画を見るのか本を読むのか。気になるあの子に声を掛けるのか。日常の選択とは、誰もが当たり前に行なってきた常識である。しかしその常識を覆した人間が1人いる。
それはカツカレーを考えた人だ。
彼はルールを無視した。選択から逃げ、選択を怠り、選択の必要性に一石を投じた。彼の通知表には恐らく「協調性に難あり」と書かれているだろう。
そもそもカツもカレーも、どちらも単独で看板を背負える主役級の存在である。なのにそれらを一つのスプーンで平らげようなんて考えは、傲慢も甚だしい。和の心からかけ離れたその下品な選択は、いわば主人公が二人いる漫画のようなもので、麦わらの一味に経理として夜神月が乗船している状態である。
つまりカツカレーとは、人類の欲望における句読点の欠如だ。
二つの巨大勢力が境界もなく交わっている。歴史から見ればそんな状況は、争いが勃発する破滅の始まりである。ただカツとカレーは喧嘩をするどころか、むしろ今までにない最強タッグに成り上がっている。強者と強者が背中を合わせながらこちらを睨めば、その未知なる戦闘力に誰もが黙って頬張るしかない。
だから結局はみんな欲まみれなのだ。わがままだと咎めてもカツカレーを口にすれば、賄賂を受け取ったお代官よろしく、本能はその下品さに逆らえない。みんなが心のどこかに抱えている言語化されていなかった欲望が、皿の上でカツカレーという名の下に形となった。欲望を具現化できる才能に、みんな感動まで感じている。
そう考えるとカツカレーを考えた彼は危険な人物だ。カツカレーを考えたことで巨額の富を手に入れた彼は今頃、車のまま海を渡れるフェリーを考え、肉と寿司を同時に食せる肉寿司を考え、最後は1人で細胞分裂して子孫を残しながら、シャインマスカットをローストビーフで包んでいるかもしれない。
人類は常識人ばかりの集まりでは進化できなかった。発明と感動はいつだって、非常識な「カツも乗せたい」から始まる。
彼はわがままで、そして天才だ。