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フォンダンショコラの夜、言葉にならないものの居場所|お菓子の物語

    (短編エッセイ)

    フォンダンショコラという名前をはじめて聞いたとき、
    少し大げさな食べ物だと思った。

    外は静かに固まっていて、
    中だけが熱く、とろりと溶けている。

    それはまるで、人間の心の構造そのものじゃないか?
    なんて、少し気取ったことを考えたのを覚えている。

    冬の夜、部屋の明かりを落として、
    フォンダンショコラをひとつ皿にのせる。
    ナイフを入れると、何も言わずに
    内側からチョコレートがあふれ出す。

    「本音」という言葉は、
    それを言語化した瞬間にどこか変質してしまう。
    だから、私たちはしばしば黙っている。
    黙っているけれど、熱は中に残り続ける。

    フォンダンショコラを割るたびに思う。
    すべてを言葉にしなくていいのだ、と。

    外側がちゃんと形を保っているのは、
    社会で生きるために必要なことだ。
    仕事、役割、名前、立場。
    それはチョコレートの外殻みたいなもの。

    けれど、それだけでは生きていけない。
    温度のある「好き」「寂しい」「本当は怖い」
    そういうものが中に溜まっていく。

    不思議なことに、
    人はそれをすべて言葉にしたがる一方で、
    本当に大事なことほど、
    誰にも見せずに抱きしめていたいと願ったりもする。

    つるの台所もそうだった。
    レシピノートには分量と手順しか書いていないのに、
    本当に大事な熱の部分
    いつ火を止めるのか、どこで見極めるのかは
    全部、言葉にならないところにあった。

    フォンダンショコラを切り分けて、
    あふれるチョコレートを眺めながら思う。

    「この中に、名前のつかない感情を入れておけたら楽なのに」と。

    それでも、私たちはときどきこうして
    内側の熱をひとくちだけ味わってみる。
    他人に説明しなくていい、
    自分だけが知っている温度として。

    哲学は、
    世界を理解するための道具だと言われるけれど、
    私はときどき、
    理解できないものを、そのまま抱えるための技術
    でもあるような気がしている。

    言葉にならないものを、
    無理に名前をつけて分類してしまわずに、
    「そういうものとして、ここに置いておく」。

    フォンダンショコラは、
    そんな居場所の象徴に見える。

    外側は静かで、形は崩さず、
    中だけが熱く、柔らかくあり続ける。

    冬の夜更け。
    皿に残ったチョコレートを最後のひとかけらまですくいながら、
    私はそっと思う。

     この世界には、
     言葉にしなくてもいい温度が、
     まだちゃんと残っている。

    それがわかるだけで、
    少しだけ、生きやすくなる気がするのだ。

    月の窓


     
     
     
    「お菓子の物語」など甘いものと記憶の間の哲学を綴るエッセイを展開。 古典の読解や易の感覚も手がかりに、美術の感性と静かな視点を織り交ぜ、言葉による心の回復を提唱しています。 大手エンタメ企業での制作、伝統文化の監修を経て、家系を継ぎ神職に従事。

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