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Photo byyamanagiyuto

何度でも、自分と向き合う時間を | 雑記

    タダノツカサ

    一人でいることの時間を多く過ごしていれば、自分と向き合う時間がより増えてくる。


    あと半年ほど経過すれば、私は地元から離れ且つ一人暮らしを始めてから、丸10年という大きな節目を迎える。

    そう振り返った時、特に上京したての頃なんて、まさかここまで継続することになるとは、ほとんど考えもしなかったことだろう。自らの意思でもってやってこれたことに対して、一瞬でも褒め称えたいところであるが…。


    その一方で、今の生活に至るにあたり持続させることにおいて、幾度となく非常に困難な状態に陥ることもあった。

    そこには、会社の対人関係や金銭面などといったトラブルが、まるで人生における試練とも云わんばかりに大きく関わっていたのも事実だ。

    時に自分の命そのものに危険が迫ってきていることや、人と異なった人生に嫌気がさしては思わず匙を投げる場面に、何度も遭遇してきた。

    それでも、様々な人たちとの関わり合いの中で、険しい道を切り抜けるための協力や助言を受け、命からがら生き延びてこれた。


    そう胸を張りたいところなのだが、誰よりも一人で居ることの時間を多く過ごしてきた…いや、過ごしすぎてしまったせいだろうか。

    今となっては、共有してきたことの記憶が朧げになり、身近に感じてきた成功体験そのものにおいて思い出そうとするも、心の底から感動する気力が薄れつつあるのだ。

    そしてしまいには、「人に頼ることがどれほど愚かな行為なのか」とも不意に勘繰ってしまうほどに。そもそもその考え方自体、自分のみならず誰にとっても非常に不謹慎だと思われてもおかしくない。


    そういった意味では私自身、非情にして薄情な人間になりつつあるのかもしれない。人と多くのことを共有したいという願望は昔よりも関心を持たなくなってきており、ましてや家族を持ちたいという気持ちに、心が微動だにしない。

    しかしながらその感情は、もしかしたら一時の衝動で終わるかもしれない。出会いというものは、突然やってくるものだとよく云われることである。

    やがて自分にとって思いもしなかった出会いが訪れた時、まるで雲がかっていた空が突然風が吹いては晴れるように、自分の心を変えてしまう可能性だって大いにある。

    だからこそ、人との繋がりはたとえ刹那なるものであったとしても、本当にご縁のあった関係は大事にしていかなくてはいけない。

    そのうえで私自身、今後もより良い人生を送るための課題を持つべきものがある。今や、無数の鍵によって複雑に構成されてしまっている自分の心を少しずつ解いていくように、人に対してある程度許すことを持たなくてはならないことを。


    …というように考えつつも、今でも自分がこれまで生きてきた人生、そして選択してきた道は果たして正しいものだったのかと、自問自答を繰り返す日々に再び追われ続けている。

    これはきっと、終わりのない輪廻りんねみたいなものなのだろう。自分が自分である限り、やがて命尽きるまでついて回ること宿命なのだろう。

    ただこれを私はすべてにおいて、決して卑下しているわけではない。昔よりも、今が生きている実感というのを、身に染みているこの頃である。

    あとどれくらい繰り返すのだろうか、どれくらい振り返れば自分の思い描いた理想に近づくことができるのだろうか。そう嘆くよりも、ちょうど節目となるこの季節で、自分自身を振り返ってみたくなった。


    いつになっても、中途半端な人間であることに変わりはない。だとしても自己を省みることで、これまで見出せてこれなかった自分の一面に気づくことができるのだろう。

    いくつも年齢を重ねど、自分と向き合う時間はこれからもこの先も、間違いなく必要だ。

     
     
     
    人生の経験のうち大半を愚行に費やす者 | 20字小説を書く人 | 時々音楽を語る | 稀に本の感想 | 合言葉は「Have a good day!」

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