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いま、どれくらい、寺山修司なのだろう。


    このテキストを書こうかと思ったきっかけは、1冊の文庫本。
    角川文庫『ポケットに名言を』を、読んだから。
    正確にいうと、読み終えたから。

    これを買ったのは、もう何十年も前のこと。
    ページ数にして、170ページほど。
    1ページに何個か、名言が掲載されていくだけだから、
    読み終えるのは難しくない。
    でも、若い頃は、読み進められなかった。

    読めるようになったのは、自分が高齢になったから?
    それは早くから老成していた著者に近くなったから?


    たとえばこんな名言たち。

    「私は恋で・・・
     時は五月」      ジャック・プレヴェール

    「苦痛に二種あるように、快楽にも二種ある。
     ひとつは肉体的快楽であり、ふたつめは予想の快楽である」
                エルヴェシウス「人間論」

    「私もまた捨て去った。苦い心を抱きながら、群衆の中に押し流されている。だが、もしまだ船出に間に合うのなら、私は冒険家になりたかったのである」         寺山修司「私のノート」

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    寺山修司は、わずか47歳で病没してしまった。
    彼は若い時から、すべてを知って退屈しているようなところがあって。
    だからボクシング(格闘技)や競馬(賭け事)に、
    あれほど熱中したのだろうか。

    彼の話し口も独特だった。東北弁を隠さずに、標準語とは違うイントネーションで、ちょっと口をとがらせて話す。タモリさんが真似をしていた。



    寺山さんの作品(著書、詩集、歌集、映画、戯曲)は、タイトルが魅力的。

    『書を捨てよ、町へ出よう』

    『家出のすすめ』

    『われに五月を』

    『あゝ、荒野』

    『田園に死す』

    『草迷宮』

    『時に母のない子のように』

    『毛皮のマリー』

    『大山デブ子の犯罪』

    『身毒丸』

    『さらば箱舟』

    『上海異人娼館 / チャイナ・ドール』などなど

    天井桟敷のお芝居は、見に行けなかった。ビルの地下にスペースがあって、電気を消すと「完全な暗闇」になったという。だから観客は、芝居が始まる前、会場が暗転すると、閉じ込められた不安と怖さを感じたらしい。

    彼が脚本を書いた映画『サード』は、好きで何度も見た。
    ホームにたどり着けない、サードにいるしかない青春の焦燥と不安とやり場のない熱量と衝動。東陽一監督の演出、川上皓一さんの撮影、田中未知さんの音楽が良かった。『サード』と『純』の2本が対になって、この時の自分を物語ってくれている。


    そういえば、寺山さんは、短歌の人でした。


    マッチ擦る束の間の海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや


    海を知らぬ少女の前に麦藁帽子のわれは両手をひろげていたり

    吊されて玉葱芽ぐむ納屋ふかくツルゲエネフをはじめて読みき


    処女作品集となった歌集のタイトルが、「チェホフ祭」。
    これは彼がつけた題名ではなかったけれど、シブい。

    高度経済成長の昭和時代ではなく、バブルが崩壊して、ゆとり世代も現れる平成でもなく、デジタル・ネイティブで、すべてがつるんと清潔に、効率的になり、ポカンとながめる青空みたいな令和。その空白、スキマを、寺山さんの濃度と情緒が、うめてくれる。そんな気がしています。


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    #寺山修司 #ポケットに名言を #天井桟敷 #タモリ  モノマネ


     
     
    昭和アナログ・クソジジイ。 「人生の 半分くらい 棒にふる」 「おもしろき こともなき世を おもしろく」 東京都在住。豆柴暮らし。 *Amazonのアソシエイトとして、tsukajacは適格販売により収入を得ています。

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