
廃業したお茶屋の嫁
近所の茶工場は夜通し稼働している。
そこから流れる風が、冷たく通り抜ける。
新茶、柳、イマココ。
どうして忘れていたんだろう。
「それはね、つづきさん、
あなたが、お茶農家を本気でしてこなかったからですよ!」
これは、牛乳瓶の底の眼鏡をかけた
一枚のお茶の葉っぱの意見だ。
メガネの縁を右手人差し指で、もちあげて。
「そうは言ってもね。私が住んでた名古屋の家は、土だってホームセンターで買う生活だったんだよ?」
なんて、これは私の言い訳かもしれない。
三重に越して20年と数か月ほど、
私はお茶屋の嫁だった。
農家から加工販売までしている家に嫁いで、
2024年までの日々の話。
嫁にきてから10年くらいは
GWは新茶の手摘みのお茶を、
”本当に”手で摘んでいた。
朝から晩まで摘みまくった懐かしい思い出がある。義父母と夫、近所のパートのおばちゃん達と。
”本当に”ってどういう事?
って思う人もいるかもしれない。
言っていいかは不明だが、
ぶっちゃけてしまうと、刈り取る機械でも
手摘みみたいにできる。
あの何時間も中腰になる腰の痛み。
その代償として生まれるフワフワの葉も、
機械を使えば一瞬で大量の重い葉になる。
その代償は腰の痛みだ。
腰の痛みは、ひよこが先か鶏が先か、みたいな世界に突入する。
そして、手摘みを知っているからこそ思う。
どちらも、出来栄えはそれほど変わらない。
もちろん、ちゃんと拘って、
手で摘んでいる農家さんもいる。
拘ったお茶は、人の手がかかる分、
希少価値もあり、少し値段は高めだと思う。
20年も茶農家をしていたにも関わらず
八十八夜ならぬ、百二夜で、新茶の存在に気づく。
深くは書かないけど、まぁ。その程度の嫁だったという事だ。
それでも人生の一山は上って降りたのだから、
茶農家の嫁、現役です!っていうより、
もしかしたら、廃業したお茶屋の嫁でした。
っていう方が、希少価値は、上がっているかもしれない。
いちばん語れる場所と時間にいたのに、それが出来なかった私が、少し疎ましくも思う。
もちろん、うちの茶畑達は
元禄時代から続いた歴史ある土地を
この夫婦がダメにするわけなんてないって
信じてやまないだろう。
農家に対して、かなり人見知りで不真面目だった私だけど、きっと、そこは安心していい。
お茶の木と一緒に過ごす中、
この先、時には根こそぎ引っこ抜く事もあるかもしれない。
けれど、ここの、元お茶屋の嫁は、
わりと綺麗好きで、整理整頓が趣味だって事を
いつか、教えてあげる。
今度は私が、黒縁メガネを右手人差し指で整えつつ、牛乳瓶の底のメガネの葉っぱに、言い聞かせる。
彼は黙り、一度だけ振り向いて畑に消えてく。
