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ガラスケースの家族 トロフィーワイフの電源

    ※本作はフィクションです。登場人物および会話は創作です。実在する地域・大学・医療制度を背景にしていますが、特定の個人や組織を批判するものではありません。

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    美玲は、子どもの頃から「選ばれる側」だった。

    首都圏の名門女子校に入り、都心の有名私立大学へ進学した。

    卒業後は北の地方都市にあるテレビ局のアナウンサーになった。

    東京ではなく地方局を選んだのは、入れる局がそこだったからだ。

    しかし美玲は、そうは説明しなかった。

    「若いうちに、日本の多様な地域を自分の目で見たかったんです」

    採用面接でも、雑誌の取材でも、後にSNSでも、彼女はそう語った。

    言葉は、事実を説明するためにあるのではない。

    事実を、少し上等に見せるためにある。

    地方局の仕事は華やかに見えた。

    夕方のニュースを読み、地元の祭りを中継し、開店したばかりの菓子店を紹介する。

    だが、給与は東京の大手局とは比べものにならず、早朝取材も休日出勤も多かった。

    そんなとき、美玲は大学病院の脳神経外科医と出会った。

    難しい手術を担当する医師だった。

    口数は少なく、服装にも無頓着だったが、出身大学と肩書は申し分なかった。

    将来、教授になる可能性もあると周囲は噂していた。

    美玲は、彼の不器用さを「誠実」と表現した。

    彼は、美玲の華やかさを「自分にはないもの」と感じた。

    結婚式で美玲が選んだのは、地方ではほとんど見かけない大胆なデザインのドレスだった。

    背中が大きく開き、身体の線を強く見せる、海外ブランド風の一着だった。

    親族の一部は戸惑ったが、美玲は気にしなかった。

    写真をSNSに載せると、称賛が並んだ。

    〈日本人離れした美しさ〉
    〈海外の映画女優みたい〉
    〈知性も美貌も最高の夫も手に入れた理想の女性〉

    美玲は、それらの言葉を何度も読み返した。

    脳内はドーパミンでいっぱいだった。

    夫が手術室で14時間立ち続けていた夜にも。

    出産後、美玲は局を辞めた。

    「家庭を大切にしながら、自分らしい働き方を選びます」

    退職の挨拶には、そう書いた。

    専業主婦にはならなかった。

    披露宴の司会、企業イベントの進行、自治体のシンポジウム、医療関係者の講演会。

    元アナウンサーという肩書は、地方ではよく効いた。

    夫の勤務先や医師仲間から仕事が回ってくることもあった。

    しかし美玲は、それを人脈とは呼ばなかった。

    「私が積み上げてきた信用です」

    英語の勉強も始めた。

    発音矯正、個人レッスン、海外短期研修。

    国際会議の司会を一部だけ英語で担当すると、その様子を短い動画に編集して投稿した。

    〈世界で活躍する日本人女性〉
    〈出産しても挑戦を続ける姿が素敵〉
    〈医師の妻に収まらないのが格好いい〉

    また脳内にはドーパミンでいっぱいになった。


    実際には、海外で継続的な仕事があるわけではなかった。

    だが、国際空港の写真と英語の文章があれば、暮らしは簡単に「グローバル」になった。

    娘にも、幼い頃からピアノと英語を習わせた。

    発表会のドレス、英語教室でのスピーチ、親子で参加した海外研修。

    そのたびに写真を撮り、物語を添えた。

    〈娘には、世界のどこでも生きられる女性になってほしい〉

    夫は、その投稿を病院の当直室で見た。

    娘が初めて英語で歌った日も、ピアノの発表会で賞をもらった日も、彼は病院にいた。

    「あなたは来られないんだから、せめて費用くらいは出して」

    そう言われると、反論できなかった。

    自分が家族に提供できるものは、もはや振込だけなのかもしれない。

    娘が小学校高学年になる頃、美玲は東京への進学を考え始めた。

    「この子の可能性を、こんな地方に閉じ込めたくないの」

    夫は、娘の希望を尋ねた。

    娘は黙っていた。

    美玲は代わりに答えた。

    「まだ子どもだから、自分の可能性が分からないのよ。親が道を作ってあげなきゃ」

    東京の有名私立校に合格すると、美玲は娘を連れて転居した。

    夫は地方に残った。

    単身赴任ではなかった。美玲によれば、「家族の未来のための役割分担」だった。

    東京の家賃、私立校の学費、英語教室、音楽教室、海外研修、美玲の衣装代と交際費。

    夫の口座から、毎月まとまった金額が引き落とされた。

    SNSには、母娘の新生活が並んだ。

    〈夢をかなえるための東京生活〉
    〈母として、女性として、人生を諦めない〉
    〈離れていても家族はひとつ〉

    そこに夫の姿はなかった。

    数年後、美玲は離婚を申し出た。

    「お互いに、自分らしい人生を歩むべきだと思う」

    夫婦として過ごした時間がほとんどないことが理由だった。

    夫は、そうなった原因を考えた。

    だが、脳神経外科医には、壊れた夫婦を修復する術式がなかった。

    離婚後も、娘の学費と生活費は夫が負担した。

    美玲は司会業と発信活動を続けたが、その収入だけで東京の生活を維持することは難しかった。

    やがて夫は、別の地方大学の教授になった。

    辞令を見た美玲は、久しぶりに長いメッセージを送った。

    〈教授就任、本当におめでとう。娘も誇りに思っています〉

    続いて、留学費用の相談が書かれていた。

    教授という肩書を得ても、夫の暮らしはさほど変わらなかった。

    古い官舎に住み、朝から病院に入り、夜遅くまで手術と会議を続けた。

    変わったのは、振込額だった。

    一方、美玲のSNSでは、娘の海外留学が「母娘でつかんだ夢」として紹介された。

    〈女性は、環境に人生を決めさせてはいけない〉
    〈母が学び続ける姿を見せることが、最高の教育〉
    〈経済的にも精神的にも自立した女性へ〉

    投稿には何千もの「いいね」がついた。

    ドーパミンがあふれた。


    夫は、大学病院の教授室でその画面を閉じた。

    机の上には、娘の次年度の学費請求書が置かれていた。

    かつて美玲は、夫についてこう語っていた。

    「命を救う仕事をする、尊敬できる人です」

    結婚後には、こう変わった。

    「お互いの夢を支え合えるパートナーです」

    離婚後は、夫について語らなくなった。

    語られなくなった男は、物語の外で働き続けた。

    美玲が自分を磨く費用を払い、娘の可能性を広げる費用を払い、元妻が「自立した女性」であり続けるための不足分を払った。

    家族写真から消えた後も、家族というブランドを維持する、見えないスポンサーとして。

    ある日、娘が海外から電話をかけてきた。

    「お父さん、私、こっちで脳科学を勉強しようと思ってる」

    夫は、少し驚いた。

    「どうして?」

    「小さい頃、お父さんの仕事を聞いて、格好いいと思ってたから」

    夫は返事をしようとしたが、涙で声が出なかった。

    娘は覚えていたのだ。

    写真には写らず、発表会にも来ず、いつも病院にいて、ただ費用を振り込み続けていた男にも、人生があったことを。

    「でも、お父さんみたいな生き方はしないよ」

    娘は静かに言った。

    「人を助ける仕事をしているのに、一番近くの人たちから、便利な機械みたいに扱われるのは嫌だから」

    通話が終わった後、夫は教授室の窓から街を見下ろした。

    何十年もかけて脳を学び、人の命を救い、大学教授にまでなった。

    それでも最後まで理解できなかったことがある。

    家族とは、いったい何だったのか。

    美玲にとって、夫は伴侶だったのだろうか。

    それとも、彼女が思い描いた人生を動かすための、音のしない装置だったのだろうか。

    翌朝、美玲は娘の進路について投稿した。

    〈世界に羽ばたく娘。夢を諦めなかった母の背中を見て育ってくれました〉

    写真の中で、母と娘は笑っていた。

    父親は写っていなかった。

    だが、その写真の撮影費用も、衣装代も、航空券も、父親の口座から支払われていた。

    ガラスケースの中には、完璧な母娘の物語が飾られていた。

    そしてケースの裏側では、名前を消された男が、今日も電源を供給していた。



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    Evidence-based Pragmatist/ナレッジブローカー/人口減少地域における医療介護の持続可能モデル研究者・実務者/ACP/元バックパッカーで海外30国以上/腰痛患者/子育て/引越13回/ 総合内科専門医/ 老年科専門医/ 博士(医学) / Harvard

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