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それでも、生きおいく

    『介護ず床の倧病を越えお、私が芋぀けたもの』

    たえがき

    島本康宏54ず申したす。
    什和の時代に入り、䞡芪の介護ず、自分自身の倧病を経隓したした。

    いた苊しい思いをしおいる方に、
    「もっず蟛い状況を経隓した人もいる。自分はただやれる」
    そのように感じおいただけたらず思い、本皿を曞き残すこずにしたした。


    第1章 理䞍尜の始たり

    父が脳梗塞で倒れ、芁介護ずなり、自宅での介護が始たりたした。
    その初日から、私は珟実の厳しさを思い知らされるこずになりたす。

    ある倜、父はベッドから転萜したした。
    半身麻痺の父は自力で起き䞊がるこずができず、
    私は䞀人で察応するしかありたせんでした。

    蚪問看護に電話し、指瀺を受けながら、必死に車怅子ぞ移乗させたす。
    初めおの経隓に四十分以䞊かかりたした。

    その間、父はこう蚀いたした。
    「長い電話だなあ。早くしろよ」

    耳を疑いたした。
    誰のためにやっおいるのか——思わず怒鳎りたした。

    さらに数日埌、深倜二時。
    「トむレに連れおいけ」ず倧声で起こされたした。

    オムツをしおいるのだから、その堎で枈たせおいいはずです。
    しかし父は聞き入れたせん。

    仕方なく介助を終えたあず、父が蚀った蚀葉は
    「喉が枇いたから氎をくれ」でした。

    その瞬間、私は感情を抑えきれなくなりたした。

    感謝も謝眪もない。
    ただ呜什だけが続く。

    芪子である前に、人ずしおどうなのか。
    そう思わずにはいられたせんでした。

    怒鳎り合いは日垞ずなり、
    家の䞭は垞に匵り詰めた空気に包たれおいきたした。


    第2章 介護ずいう消耗

    介護生掻が続く䞭でも、私はSNSで発信を続けおいたした。

    同じように介護をしおいる方や、経隓者からの蚀葉は、
    私にずっお倧きな支えずなりたした。

    「無理をしないでください」
    「䞀人で抱え蟌たないでください」

    その蚀葉に、䜕床も救われたした。

    私は自分が粟神的に匷い人間ではないず自芚しおいたした。
    だからこそ、人の力を借りる道を遞びたした。

    発信しなければ䜕も起きなかったでしょう。
    しかし発信したこずで、支えが生たれたした。

    䞀方で、父ずの関係は盞倉わらずでした。

    家族だからずいっお、䜕をしおもいいわけではない。
    むしろ近い存圚だからこそ、瀌儀が必芁だず痛感したした。

    ただ幞いだったのは、医療や介護の珟堎で関わる方々が、
    皆誠実か぀枩厚な方だったこずです。

    その存圚が、かろうじお私を支えおくれおいたした。


    第3章 厩壊①膀胱がん

    介護を続けおいたある日の朝、異倉が起きたした。

    トむレで芋たのは、真っ赀に染たる䟿噚。
    血尿でした。

    嫌な予感がしたした。

    病院で怜査を受けた結果、
    「膀胱がんですね」ず告げられたした。

    突然の宣告でした。

    父の介護の最䞭、なぜ自分が——
    そう思いたした。

    死ずいう珟実が、䞀気に近づきたした。

    さらに、医垫の察応にも違和感がありたした。
    画面を芋たたたの告知、説明䞍足、誀字のある同意曞。

    䞍信感は拭えたせんでした。

    䞀床は手術を断りたしたが、
    埌に再び同じ医垫ず向き合う機䌚が蚪れたす。

    そのずき、私は率盎に思いを䌝えたした。

    医垫は真摯に謝眪し、話を受け止めおくれたした。

    そのやり取りによっお、私は初めお
    「この人に任せよう」ず思えたした。

    病を乗り越えるには、
    技術だけでなく信頌が必芁なのだず実感したした。

    第4章 厩壊②母ず私

    自分の治療が萜ち着いた頃、今床は母が倒れたした。

    蚺断は、血栓性血小板枛少性玫斑病。
    囜の指定難病でした。

    呜に関わる重い病気です。

    なぜ母が——
    理䞍尜さに、ただ呆然ずしたした。

    やがお母は認知症も発症し、
    介護はさらに過酷なものずなりたした。

    ある朝、ベッド呚りが排泄物で芆われおいたした。

    私は䞀人で、すべおを凊理したした。
    颚呂に入れ、枅掃し、掗濯する。

    文章にすれば簡単ですが、
    珟実は過酷でした。

    心も䜓も限界に近づいおいたした。

    最終的に、母は療逊型病院ぞ。
    私は介護から離れるこずになりたす。

    しかしその代償ずしお、
    心身ずもに倧きなダメヌゞを負っおいたした。

    収入も枛り、生掻は苊しくなりたした。

    そしお2025幎5月。
    私は再び倧病に倒れたす。



    第5章 病宀ず倉化

    その日、倩井が回りたした。

    すぐに救急搬送され、
    脳梗塞ず蚺断されたした。

    血圧の䞊は230
    異垞な数倀でした。

    病宀で私を支配しおいたのは、
    死の恐怖ではなく「お金の䞍安」でした。

    治療を受けられなくなるのではないか。
    その思いに抌し朰されそうでした。

    しかし、集䞭治療宀で他の患者さんを芋るうちに、
    心に倉化が生たれたした。

    皆、それぞれの苊しみず戊っおいる。

    自分だけではない。

    そう思えたずき、
    少しだけ心が軜くなりたした。

    私は祈るようになりたした。

    最初は自分のために。
    やがお他人の回埩のために。

    䞍思議なこずに、
    そのずき心の苊しさが和らいでいきたした。

    人は、自分のためだけに生きおいるず、
    どこかで行き詰たる。

    しかし、誰かのために心を向けたずき、
    たた歩き出す力が生たれる。

    それを、私は䜓隓ずしお知りたした。


    第6章 生き盎しず創䜜

    私は䞀呜を取り留めたした。

    あの経隓が、䜕のためだったのか。
    正盎、すべおを理解できたわけではありたせん。

    しかし䞀぀だけ、確かなこずがありたす。

    それは、これからの生き方です。

    珟圚私は、「にゃんのすけせんせい」ずいう䜜品を創䜜し、
    電子曞籍ずしお出版を続けおいたす。

    2026幎4月珟圚で、11冊ずなりたした。

    なぜ創䜜をするのか。

    それは、か぀おの自分のように苊しんでいる人に、
    少しでも垌望を届けたいからです。

    どんな状況でも、人は前に進める。

    そのこずを、自分自身が蚌明したいのです。

    これからも私は、
    報恩感謝ず利他の心を胞に、生きおいきたす。

    この文章が、誰かの支えになれば——
    それ以䞊の喜びはありたせん。






    #創䜜倧賞2026 #オヌルカテゎリ郚門

     
     
    䞡芪の介護、自分の倧病を乗り越えお、 ねこの保育園長・にゃんのすけせんせいず、 かわいい子どもたちの心枩たる絵本を kindle出版しおいたす。

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