
【遺稿】ティッシュの花 プロローグ
【あらすじ】
(語り手)
■牧村 燈(まきむら あかり)
プロローグ、第2章雨中の花火の語り手。
2021年現在、25歳。第1章の語り手花咲潤ノ助の娘。大学卒業後最初の会社を1年足らずで退職し現在はフリーター。2018年に父母が離婚した際に母親の姓に改姓した。
■花咲 潤ノ助(はなさき じゅんのすけ)
第1章ティッシュの花の語り手。
2007年現在、43歳。プロローグ、第2章の語り手牧村燈の父。勤務先をメンタル疾患で退職。リーマンショック直後の厳しい環境下、日雇い派遣をしながら再就職活動を行い、再起を図る中年男。2021年、57歳を目前にした春、死去。遺したものは、わずかな保険金と草臥れた衣服、そして小説投稿サイトに残された一篇の日記だけだった。
(第一部)
2007年。43歳の春に転職に失敗し、うつを発症した男・花咲潤之助が、リーマンショック直後、真冬の倉庫で日雇い派遣をしながら書き続けた、厳しい就活と仕事と家族の記録。
(第二部)
2021年。父の死をきっかけにその遺稿を見つけた娘・牧村燈は、いつの間にか自分も父と同じ場所に立っていることに気づく。仕事が続かない、薬が手放せない。それでも生きようと前を向く燈に、生前は何一つ聞こえなかった父の言葉が、ポツリポツリと届き始める。
(全17話)
【本文】
春。色鮮やかな花が咲き綻ぶ季節に、父が死んだ。
父とまともに喋った最後はいつだっただろうか。高校に入ってからこちらは満足に喋った記憶がないので、もう10年にはなるだろう。
3年ほど前に父母が離婚して、家族がバラバラになった後も、私は家が勤務先に近かったので、しばらく父と同居していたのにだ。父が、時々車を貸してくれだとか、冷蔵庫にアイスが入ってるよだとか言って来るので、仕方なく首だけで反応していたが、それさえも本当に面倒くさかった。
だから父が亡くなった時も、涙は少ししか出なかった。というか、その少しの涙でさえ、何故零れたのかよく分からなかった。まあ、父の葬儀で娘が涙のひとつも零さないのでは、世間体も良くないだろうから、それはそれで良かったのだけど。
ああ、何でこんな風になってしまったのだろう。それもよく分からない。子供の頃は楽しかった。それは確かだったのに。
父から相続するようなものは殆どなかった。僅かばかりの保険金と、ほんの少しの退職金が会社から出たと、後始末に色々と骨を折ってくださった父の妹さんから聞いた。父は歳がいってから転職をしたので、退職金も少ないのだそうだ。まったく何をやってたんだか、と思う。
お金もなかったが、他に資産価値のあるようなものも何もなかった。それどころか洋服も靴も、一体いつから買っていなかったのだろうと思うような、古びたものばかりだった。父の着ているものに興味を持って見るようなこともなかったので気づかなかったが、随分草臥れた男だったのだなと改めて思う。
そんなことだから……、なんて、今更言っても仕方がないのだけど。形ばかりの葬式を終えて、暫くして兄と一緒に父の部屋の片づけをした。本当にもののない、片付け甲斐のない部屋だった。書棚の引き出しの一番下に、旅先のパンフレットやお土産が、買ったときの袋に入ったまま保管されていた。それらと一緒に、私たちが子供の頃にあげた、折り紙や手紙がビニール袋に収まっていた。
その書棚で、何代か前のスマートフォンを見つけた。私の使っているものと同じシリーズの機種。充電器を持っていたので、繋いでみると問題なく通電し画面が開いた。セキュリティも掛かっていない。父らしい気がした。きっと誰かに見られるなんていう懸念もなかったのだろう。不用心と言うか、寂しいと言うか。
シンプルなホーム画面には、基本的なアプリ以外に目新しいものはなかったが、行儀よく並んだアイコンの右上にあった小説投稿サイトのアイコンに目が止まった。そういえば父は本が好きだった。昔は随分沢山の本を所蔵していたのを憶えているが、結局この書棚に残った本は数えるほどしかなかった。皆、古本屋に売ってしまったらしい。唯一の趣味をそんな小金に替えてしまうなんて、本当になんて寂しい男だったんだろうと改めて思って、少しイラつく。
ま、もう死んじゃったんだし。そう思い直して、私はその小説投稿サイトを開いてみた。
「ティッシュの花」と、題されたそれは、2万字足らずの短編小説だった。それにしても貧乏くさいタイトル。これもまた父らしい。どこまでも、どこまでも。しかし、私は何故かこの貧乏くさいタイトルに強い引っ掛かりを覚えた。
何だったかな、これ。私は引き込まれるように、1ページ目の扉をクリックしていた。
(続く)