
TRUNK #076 カリフォルニアで愛され、日本で拒まれた レパードJ.フェリー、北米デザインの誤算
カリフォルニアで愛され、日本で拒まれた
レパードJ.フェリー、北米デザインの誤算
開発中止から、逆輸入的な延命へ
3代目レパードの開発は、一度は中止されていた。ベースとなるはずだったスカイラインがR32型へ世代交代する中で、レパードという車種そのものの居場所がなくなりかけていた。
だが日産店の販売網からは、ラインアップに穴が開くことへの抵抗が根強かった。そこで日産が選んだのが、北米市場向けに開発していたインフィニティブランドの「J30」を、そのまま国内に投入するという、逆輸入に近いやり方だった。1992年6月、「レパードJ.フェリー」という名で発売される。フランス語の「祝日」を意味する言葉を付け加えたこの車名は、性格が変わったことを露骨にアピールしていた。先代までクーペだったレパードは、ここで4ドアセダン専用に切り替わっている。
カリフォルニアが描いた、尻下がりの顔
このデザインを手がけたのは、カリフォルニア・デザインセンター(NDI、現・日産デザインアメリカ サンディエゴ)だった。特徴的だったのは、リアエンドが滑らかに下がっていく、通称「尻下がり」「垂れ尻」と呼ばれるプロポーションだ。フロントマスクも、高級車でありながら威圧感を徹底的に排したファニーで柔和な造形になっている。
このNDI流の「尻下がり」は、実は同時期のブルーバードセダン(U13型SSS/EXX)や、北米専売のアルティマにも共通する特徴だった。この連載のvol.46で扱った、日産のフロント上下分割文法(エルグランド→ジューク)とはまた違う切り口だが、90年代前半の日産は、カリフォルニアのデザインセンターが持つ独特の造形言語を、複数の車種にまたがって展開していた時期だったことになる。
内装には、イタリアの高級家具メーカー、ポルトローナ・フラウ製の本革シートが採用され、英国の高級車ジャガーを思わせる質感で仕上げられた。エクステリアはアメリカ的な柔和さ、インテリアは英国的な重厚さという、複数の国の美意識を一台に詰め込んだ車だった。
北米では絶賛、日本では困惑
このデザインは、北米では一定の評価を得た。当時のインフィニティが打ち出したかった「威圧感のない高級車」という路線に、ちょうど合っていたのだろう。
だが日本市場での反応は正反対だった。先代レパードが持っていたイメージとのギャップ、そして尻下がりという個性的すぎるスタイリングが災いし、販売は苦戦する。同じ一台のデザインが、太平洋の両側でまったく違う評価を受けていた。
誤算の正体は、trunkの置き場所
この一台の難しさは、単にデザインの好みが分かれたという話にとどまらない。もともと北米のインフィニティ専用車として設計された造形言語を、日本のレパードという看板にそのまま移植したところに、そもそもの無理があった。
北米のインフィニティにとって「威圧感のない柔和さ」はtrunkとして機能した。だが日本のレパードというブランドが背負っていたのは、パーソナルラグジュアリークーペとしての伝統や風格であって、柔和さではなかった。trunkは、車格やデザイン言語だけでなく、その市場でブランドが背負ってきた文脈込みで初めて機能する。レパードJ.フェリーは、北米で正しく機能していたtrunkを、文脈の違う日本にそのまま持ち込んでしまった誤算だったと言える。
1996年、レパードは次のJY33型でセドリック/グロリアと設計を多くを共有する姉妹車へと戻り、この北米発の実験的な顔つきは一代限りで終わる。
あなたの知っているブランドにも、良いものだったのに場違いだった、という一台はあるだろうか。
過去回をテーマ別にまとめたマガジン「TRUNK SPINE」、はじめました。第1弾は「顔」、第2弾は「誰がこの車の後ろにいるのか」――ディーラー資本構造をめぐる12本です。
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