
「のびのび育てる」はときに虐待になる
先ほど、フランスのニュースサイトで、
「権威主義的育児は、子どもをダメにする」
といった内容の記事が出ていた。
権威主義的育児とは、親や指導者の権威・ルールを最優先し、子どもに従順さを求めるスタイルの育児。
まぁ、そうだけ言えば、それが良いとは言えない。
だからと言って、捉え方を極端にしてしまうのも、心配なところ。
「のびのび育てる」って言葉は、一見良く聞こえる。
だがしかし、その「のびのび」が「虐待」になる場合もある。
親が子に、なんでも「いいよ」と許可することで、子どもは喜ぶだろう。
まさに「のびのび」。あれもやってもいい、これもやってもいい、パパもママもいつも笑っている。
それは、幸せな時間だ。
だけど子どもは、「のびのび」の裏に、何があるのかを知らない。
あれもこれもを許可するために、その裏で親が犠牲になっていることがある。
子どもが好き放題汚した洋服、壊したもの、それらの処理は親がする。
元気に大声をいつでも出す、走り回る。
家の中でそれをやっているとして、それを親は内心、心地よいとは感じていないはずだ。
親は、疲れるだろう。
それでも、「子どもに良い教育をしたい」と頑張るだろう。
子どもは、それくらいのことは気づく。
親が心から笑っているのではなく、頑張って自分のために笑ってくれているということ。
親ががんばって、なんでも聞いてくれているということ。
だから、子どもはわからなくなる。
子どもにとっての一番の幸せは、大好きなパパとママが心から笑っていることだ。
パパとママが望むように、自分は元気に遊ぶ。
でもそうすると、パパとママは、心からは笑っていない。
わからなくて、パパとママにもっともっと要望する。
そうすると、パパもママも、またもっと続ける。
子どもはもう、何が正しいのかわからない。
どうしたらいいのか、わからない。
パパとママに、申し訳なく思う。
だけど自分は、生き方がわからない。
「のびのび」とは、なんだったのだろうか。
権威主義的育児に関しては、
親が子どもの反応、気持ちを完全に無視しながら押しつけ続ける
という状態になることは、私は反対である。
しかし、子どもが何が正しいかわからなくなっていて、迷っていて、
親へ要望してみている、試してみている
という時には、はっきりと
ダメ!No!
を言ってあげることは、子どもの安心に繋がるのではないだろうか。
愛のないNoと、愛あるNoを見分けることに関しては、
子どもは天才である。
だから「大好き!」「かわいい!」という気持ちをもって、
NOを言えばいい。
公共の場で、静かにする。
お家の中では、走らない。
散らかしたおもちゃは、片づける。
順番は、守る。
挨拶は、しっかりする。
一度注意しただけでは、良くならないかもしれない。
だけど、親が「ダメだよ」という姿勢を変えないことは、子どもにとって
信頼できる、頼りになる、安心できる存在となる。
子どもは、どうしたらいいだろうと、迷い続けている。
模索しながら、大きくなる。
そんな中で、
親が子どもに完全に合わせるのではなく、
子どもをしっかり見て理解しながら、親の姿勢を変えないこと。
完璧な育児は、どんな専門家にも語れないし存在しないだろうが、
私も、世界中の親たちも常に、
今できるベストを、探しながらいこう。