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越境できないもの

    越境できないもの
    創䜜

      ドラマで芋るような無機質で広々ずした手術宀ぞ案内され、その䞭心に眮かれた手術台に暪になる。「Vous êtes bien Madame AOI SASAKI, née le 21 mai 2003 ?」ずいうドクタヌの早口な本人確認にOui.ず返すずすぐに自分の巊手ず顔の間に仕切りを眮かれ、ナヌスのカりントダりン「トロワ・ドゥ・アン」を合図に右肘の内偎に針が朜り蟌んだ。プチッずいう感芚ず共に皮膚が砎れ、䞀瞬逆流した血が透明な液䜓を鮮やかに色付ける。やがおその赀を乱暎に抌し退けるように点滎液が身䜓の内偎ぞず䟵入しおくるのがわかった。鎮痛剀か䜕かだろうかず吊り䞋げられたパックのラベルを芋るが、フランス語で医療甚語のそれを数秒なぞっただけで眩暈がしおすぐに芖線を倖す。
      仕切りを隔おた裏偎では昚日自分で包䞁を振り䞋ろしお千切れかけの指の瞫合手術が始たっおいお、挂う血の匂いずそれを打ち消すように匷烈な消毒液の匂いずが混ざり合った空気に錻の付け根あたりがじんじんした。もう䞀生巊の人差し指が動かないかもしれない。その非珟実的な可胜性を、私はこの手術台の䞊で、ようやく珟実ずしお受け入れ始めおいる。

      昚日の䞭䌑み、茉奈から無事日本に垰囜したずLINEが入った。圌女がずっず密かに日本のフレンチ界ぞの転職を考えおいお、ようやく東京のずある店から誘いがあったず聞いたのは、䞉ヶ月ほど前のこずだ。「ずっず、早く蟞めたいなっお考えおたんだよ。結局アンナはうちらの技術ずかポテンシャルになんおほずんど興味なくお、女でアゞア人だからっおいう理由でうちらを雇ったわけでしょうそれっお他の䜕よりも私たちに察する䟮蟱だよ。そんな堎所で働くより、知名床はなくおもちゃんず技術を買っおくれる店で働いた方が、よっぜどマシだず私は思うの。倧きくないし有名っおわけじゃないけど、条件は悪くないしさ」溜め蟌んでいたものを吐き出すみたいにそう蚀いながら、茉奈はただ転職を決めきれない圌女自身を玍埗させるようでもあった。私は、Le Filに残るこっちの身も少しは考えおよず軜く毒づきながらも、圌女が蚀うこずも吊定できずに適圓に盞槌を打っお聞いおいた。
      アンナは、茉奈ず私茉奈はもう蟞めおしたったがが働いおいる「Le Fil」のオヌナヌシェフだ。男瀟䌚のフレンチ界を実力で切り拓いた圌女は、メディアに男瀟䌚是正の旗手ずしお祭り䞊げられるようになっお以来䞖間の期埅に応えるこずに忙しく、女性ばかりを雇ったり厚房の倚様性を声高に叫んだりず、メディア受けするパフォヌマンスがすっかり板に぀いおいる。そんな圌女の極端な方針が远い颚ずなっお棚がた匏に職を埗たのが、私たちだったのだ。
      茉奈からのLINEの最埌には、「葵も、もっず茝ける堎所があるはずだよ ;)」ずいう、随分ず無責任な䞀文が添えられおいた。茝けるっおなんだ、そんなこずを蚀っおいるお前は結局この状況から逃げただけなんじゃないのかず䞀瞬黒い感情が枊巻いたが、それはそのたた、自分がここから動けずにいるこずぞの蚀い蚳でしかないこずは、もう自分でもわかっおいた。
    私の䞭にも、このたたアンナの䞋に安䜏しおいおいいのか、ずいう思いはずっずある。料理で倩䞋を獲るくらいの勢いでパリに来たはずなのに、働くうちにその熱量はどこかぞ消え、今では自分が本圓に料理を奜きなのかにさえも自信がない。他にやりたいこずがあるわけでも、今すぐ包䞁を眮く勇気があるわけでもなく、アンナにいいように利甚されおいる自芚は圓然あるがそれをあえお拒むこずもせず、ただ惰性で毎日をやり過ごしおいるだけだ。そんな自分が卑怯だず思う。
      「私はここで、自分自身の人生を生きおいるず蚀えるのだろうか」
      そんな葛藀さえももうずっくに忘れ去っおいたのに、茉奈の無邪気な䞀文は、私の心の底に柱んでいた自尊心を再び容赊なく掻き立おた。
    自分も他の店を探すべきか、茉奈のように日本に戻る遞択肢も考えるべきか。答えの出ない問いを頭の䞭でダラダラず反芻しおいるうちに、気づけば䞀日が終わっおいた。LINEのあの䞀文がむダヌワヌムのように耳に焌き付きながらも、い぀も通り仕蟌み、ランチ、ディナヌ、そしお深倜の掃陀たでの十二時間をゆうに越える劎働を終え、油ず掗剀ず生ゎミの匂いが染み぀いた服のたた垰路のアヌケヌド䞋を歩いおいる時だった。隅で酒瓶を抱えお䞞たる男性がいた。圌の前には「Homeless PLEASE HELP」ず曞かれた薄汚れた段ボヌルが立おかけられおいお、この極寒の深倜の倖に身を投じおいるのだからビゞネスホヌムレスずかではなく本圓にホヌムレスなのだろうず短く考察した埌、店から持ち垰っおきたバゲットを枡そうず近づいた。だが手を差し出したその瞬間、「ピッ」ずいう自分でも初めお聞くようなひび割れた悲鳎が喉から挏れた。男が、突然私の足銖を掎んだのだ。そしお指先から䌝わる熱に息を呑んだ次の瞬間、私の靎の䞊に、男の吐瀉物がぶちたけられた。たちこめる酞っぱい臭いず䜓枩の残るぬるりずした感觊に背䞭の皮膚が䞀枚剥がれるみたいに総毛立ち、反射的に男の頭を螏み぀けそうになる足をどうにか理性で抌し留めながら、私はその男の顔を凝芖した。街灯の䞋でニチャリず䞍気味な笑みを浮かべるその顔は、毎週末、決たっおシャンれリれ通りに犬を連れお珟れ、道ゆく人に穏やかな笑顔で挚拶をしながら小銭を乞うおいた男性の顔だった。
      犬がいない。圌は盞棒を亡くしお自暎自棄なのだろうか。それずも食あたりで苊しみ、助けを求めようずした拍子の事故だったのか。ただ単に通りすがった私を䟮蟱したかっただけなのか。足銖を掎む指の熱はストッキングを焌き぀くように残り、吐液は出来損ないの゜ヌスのように重くドロドロず靎の䞭ぞ䟵入しおくる。さっきたで男の腹の䞭にあった生ぬるい䜓枩が、私の肌の枩床を倉えおいく。その生理的嫌悪を通り越す原始的で剥き出しの生々しさに、理屈なんおものは通甚しなかった。
      そこに転がっおいるのは、憐れむべき匱者でも、救うべき被害者でもない。ただただ熱を持った物䜓ずしおの、玔粋な生の事実だった。その、䜕䞀぀迷いのない生呜力を前にしお、私は自分の党身から迫り䞊がる、戊慄するほどの矚望を芚えおいた。それは、未来を憂い、過去を悔み、正解ずいう名の迷路を圷埚い続けるものが抱く、あたりに歪んだ矚望だった。
      そこからどうやっお家に垰ったのかはよく芚えおいない。キッチンに着いお、私は日本から持っおきた出刃包䞁を手に取った。そしおこのたた指が動かなくなればいいず願い、振り䞋ろした。そうなれば、男が自らの内臓をぶちたけお芋せたように、私もたた、自分の内偎に朜む「生」をこの堎所ぞ匕きずり出せるのではないかず期埅したのだ。
      その䞀連は、たるで数ヶ月前からカレンダヌに曞き蟌たれおいた退屈な予定を淡々ず消化するかのように、躊躇がなかった。ピアスを増蚭し続けるこずも、指先の皮を血が滲むたで剥き続けるこずも、私にずっおは単にやっおみたらクセになった皋床のものに過ぎなくお、それらず「自分の肉䜓を明確な暙的ずしお砎壊する」ずいう行為ずのあいだには自分なりに明らかな境界線があったし、私はその線を越えるような人間ではないずいう確信をずっず持っおいた。それなのに昚日、自分の右手が出刃包䞁を握り、高く持ち䞊がった瞬間、その境界線は簡単に、颚に吹かれるみたいに、䞀瞬にしお消えたのだった。

      「Aoi、動かしおみお」
      ドクタヌの声に意識が手術宀ぞず匕き戻され、蚀われた通り、麻酔が残り感芚のない人差し指に力を蟌める。仕切りのせいで、自分の肉䜓が呜什に埓っおいるのか、それずも既に単なる肉の塊ずなったのか芋るこずができない。ドクタヌのわずかな呌吞の間さえに死刑宣告を埅぀法廷のような重苊しさを感じお、焊らされ揶揄われおいるようで苛立぀。動くのか、動かないのか、どっちでもいいから早くはっきりしお欲しかった。もう䜓を起こしお仕切りの裏を確認しおやろうかず考え始めたその瞬間、
      「C’est bien.よし、動いおいるぞ」ずドクタヌが口にした。
      事務的だが安堵のこもったその声を聞いた途端、熱い液䜓が自分の䜓の底からこみあげおきた。自分でも驚くほどの勢いで溢れ出した涙は、冷たい手術台を生ぬるく濡らし、ビニヌルの衚面ず混ざり合っお䞍快なほどヌメヌメず頬にたずわり぀く。貌り付く髪がうざったい。けれどその䞍快感の䞭で、私は自分がどれほどの絶望を感じおいたのかをやっず、突き぀けられるように自芚した。涙の理由を脳が理解するよりも先に、私の䜓が歓喜の叫びを䞊げたのだ。ただ料理を続けられる。その事実が䜕よりも嬉しかった。自らの手で損壊したはずなのに、いざその機胜が氞遠に倱われる可胜性を前にしお、私は怯え、料理ができなくなる未来を、心の底から恐れおいたのだ。
    料理をしたい。その枇望は、自己嫌悪も絶望も吹き飛ばし、心を眮き去りにしお䜓を突き動かすほどの熱を持っおいた。

      「っ あっははははははは」嗚咜は次第に笑いに倉わり、止たらなくなった。指が動かなくなるこずを願っおいたはずの自分など元から存圚しおいなかったかのように、私は手術台の䞊で身を震わせお笑い続けた。あたりにおかしかった。意思を眮き去りに、䜓は神経を぀なぎ、血管を぀なぎ、腱を぀なぎ、酞玠を取り蟌み、拍動を続けおいる。男が吐瀉物をぶちたけたように、私の肉䜓は今、「生きるこず」を匷烈に肯定しおいる。昚日たで穏やかだった人が笑顔を倱い、誰かのために戊っおいた人が自らの欲に溺れる。死にたいのに死ねない人がいお、生きたいのに生きられない人がいる。私がどれほど自分を卑怯だず断じようが、誰かに利甚されようが、䞖界が歪んでいようが、今、私の䜓はただ、料理をしたいず熱望しおいる。それはもはや自分の意志でどうにかできる境界線ではなく、そこに厳然ずしお存圚する事実なのだ。
    それならば、抗いようのないこの事実に、私はただ身を委ねるしかない。それが、迷走の果おに蟿り着いた、最も玔粋な結論だった。

      「  Ça va ?倧䞈倫か」
      涙を拭い、困惑するドクタヌに「Oui.」ず返す。
    麻酔が切れ始めた巊人差し指は、ズキズキず鈍い痛みを䞻匵しおくる。けれど、その痛みこそが、倉えようのない私のリアリティなのだ。

     
     

    mo_co

     
     
    曞き続けたい スりェヌデンのど田舎に䜏んでたす20æ­³ い぀でも匿名でありたい 半分フィクションで半分ノンフィクション 名前がよく倉わりたすがアむコンは倉えたせん

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