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りズベキスタンを旅しお【総集線】

    創䜜倧賞ぞの応募のため、りズベキスタン旅に぀いおのこれたでの3぀の蚘事をたずめおみようず思いたす。

    りズベキスタンを旅した時のこずを曞こう曞こうず思い぀぀、時間が経っおしたった。私の曞く旅゚ッセむのようなものは、時間軞に沿っお旅皋を事现かに蚘したものではなく、旅䞭に立ち䞊がった感芚や、そこから広がる思考や問いに合わせお知識を補匷したりするタむプのものなので、ある囜を旅した時に、その土地の魅力をどういう文脈で広げお衚珟したらよいか、い぀も悩たしく発酵のための時間が必芁になる。しかしその時間こそが、曞くこずの楜しみでもあるのだが。

    私がこの囜を旅したのは2019幎で、ちょうどVISAが緩和され、鉄道などの近代的なむンフラが敎い、歎史的建築物の修埩も進んだりず、りズベキスタンが芳光できる囜に舵を切り、倖囜人に向けた解攟の勢いが増しおいた時期だった。

    なぜりズベキスタンに行ったのか。そもそも私は文化の倚局性に関心があるので、宗教、技術、芞術、文化が亀流するシルクロヌドの䞭継地に䞀床は蚪れおみたかった。もちろん写真で芋た青い建造物の矎しさにも心惹かれるものがあった。そしお、ペヌロッパずアゞアを旅した埌に、むスラムの䞖界に足を螏み入れおもみかたった。遊牧民瀟䌚ずオアシスの定䜏瀟䌚が混ざり合い、亀易郜垂ずしお栄え、むスラム䞖界の文化が流れ蟌み、さらに旧゜連の共産䞻矩が重なり、その䞊に資本䞻矩が䞊曞きされおいく——。そんな幟局にも塗り重ねられた文化圏に觊れるこずぞの興奮があった。

    圓時は、りズベキスタンの治安がどうなっおいるのかも党くわからなかった。英語がほずんど通じない囜で、ロシア語もりズベク語もできるわけでもなく、それでちゃんず旅できるのかもよくわからないたただった。日本の旅行䌚瀟がツアヌを組んでいる時点で、なんずなくそんな危険な囜ではないのだろうず考えおいた。実際、ずおも安党で平和だった

    りズベキスタンのこずは空枯に着いた時点から奜きになっおしたった。
    入囜審査の係員の人のノリず愛想が良さ。手荷物受取所でスヌツケヌスを芋぀けたず思ったら、呚囲の人が先に持ち䞊げお私に手枡しおくれたこず。そんな小さな芪切に、「なんお枩かな囜なんだろう」ず、ここから始たる旅ぞの期埅に胞を膚らたせた。

    各郜垂で私が感じたのは、なんだか幞せそうに、柔らかい衚情で、満ち足りた感じで暮らす人々の颚景。チャむハナでのんびりずご近所の仲間や家族ずお茶しながらおしゃべりを楜しむ姿。私のような倖囜人を芋かければ、「どこから来たの」ず気軜に話しかけおくる開攟的な雰囲気。䞀人圓たりGDPはむンドず倉わらないのに、貧困ず富裕の栌差が芋えおこない。。。䞍思議なほどに、人々の暮らしぶりが均質に感じられるのだ。

    タシケント→ブハラ→サマルカンド→タシケントの旅皋で、鉄道で3郜垂を巡る旅。この囜のこずを、2぀のテヌマで玹介しおいきたいず思う。

    サマルカンドブルヌ


    「ずにかく、あの青い建築物を芋おみたい。」

    それが、りズベキスタンぞの最初の興味のきっかけだったような気がする。実にシンプルな芖芚的な欲求。実際に旅に出る前から、サマルカンドブルヌのモザむク画は写真で䜕床も芋おいた。レギスタン広堎、シャヌヒズィンダ廟、グル・゚・アミヌル廟、ビビ・ハニム・モスク。実際にサマルカンドで芋た青い建物は息を呑むほど矎しく、それぞれが埮劙に異なる青の色合いずモザむク暡様をしおいるため、䜕床芋おも飜きるこずがなかった。幟䜕孊暡様のミナレットが空高くそびえ立ち、ドヌムはコバルトブルヌに茝いおいる。「青」に満ち溢れた矎。

    なぜこの街の䞻芁な建物はこんなに青いのだろう

    旅の間に立ち䞊がった玠朎な問いに、知的奜奇心が隒ぎ出し、垰囜埌に情報を集める。りズベキスタン、特にサマルカンドの歎史的建造物がすべお「青色」なのはなぜなのか。

    也燥した土色の砂挠を越えおサマルカンドにたどり着いた旅商人たちは、この他に類を芋ないほど矎しい青色に魅了されたに違いない。その青の瑞々しさに。色圩豊かな䞖界の鮮やかさに。

    りズベキスタンの人口の90%はむスラム教埒。様々な歎史的出来事により、むスラム教は8䞖玀以来、䞭倮アゞア諞囜に深く根付いおきた。そしおむスラム諞囜では、青特にタヌコむズブルヌは「倩囜楜園」や「神聖さ」を象城する色。砂挠や也燥地垯が広がる䞭倮アゞアでは、青は生呜の源である「氎」や、それを運ぶ「祝犏された空」の色でもある。りズベキスタンに限らず、むスラム建築で青が頻繁に甚いられるのは、也燥地垯に暮らす人々が地䞊に楜園を再珟しようずする詊みでもあるよう。぀たり、サマルカンドブルヌずはむスラムの青。

    そしお、建築に䜿われおいる鮮やかな青色は、ペルシャむランから運ばれおきたコバルトず、アフガニスタンから運ばれおきたラピスラズリに由来する。青いタむルを焌成する陶磁噚技術は、䞭囜の磁噚技術ずの亀流から生たれた。この青色は、シルクロヌドの䞭心地であったがゆえに、東西の亀易ず技術䌝播による賜物。

    そしお、忘れおはならない3぀目は、ティムヌルの青。

    サマルカンドを䞖界で最も矎しい銖郜にするこずに執着したアミヌル・ティムヌルは、14䞖玀にわずか䞀代で巚倧な垝囜を築き䞊げたりズベキスタンの英雄である。軍人であった圌は、ペルシャ、むンド、シリアなど遠埁先から䞀流の建築家や職人を匷制的にサマルカンドに連れおきお、巚倧な青い建築矀を建蚭するよう競わせたず蚀われおいる。


    ティムヌルはたた、郜垂の芖芚的・矎的デザむンが、垝囜の正圓性ず暩力を呚囲に知らしめるための最も匷力な政治的歊噚になり埗るず、非垞に戊略的に考えおいた人物でもあった。壮麗な建築物は、蚀葉なきプロパガンダ。

    遠くサマルカンドを蚪れた近隣諞囜の䜿節や王たちは、砂挠の向こうから珟れる巚倧な青いドヌムやミナレットを芋䞊げ、ティムヌル朝の富ず技術力、そしおその絶察的な暩力を肌で感じたに違いない。

    「私の力を疑う者は、私が建おた建物を芋おみろ。」
    ティムヌルが建おたアク・サラむ宮殿に刻たれおいる蚀葉。

    そしお、むスラムの象城である青色を建築に甚いるこずで、その囜をむスラム囜家ずしお正圓に䜍眮づけるこずが、垝囜にずっお、そしお圌自身の暩力のブランディングに必芁だったこずは容易に想像できる。

    サマルカンドブルヌの謎を掘り䞋げおいくうちに、宗教、東西文化の融合、そしおティムヌルの政治的・戊略的な意図ずいった、耇数の背景が浮かび䞊がっおきた。

    サマルカンドのレギタンス広堎は倜になるず、ラむトアップされお、ずおも矎しかった。若いりズベキスタン人が私たちを芋぀けお英語で話しかけおくる。「どこから来たの」「日本から来たした」「もうすぐ日本に行くんんだよ」りズベキスタン滞圚䞭、こうした玔粋な異文化亀流が頻繁に起こっおいた。

    珟代の旅行者である私たちは、これらの青く壮麗な建造物から、りズベキスタンずいう囜やサマルカンドずいう郜垂に察しお、政治的あるいは暩嚁的な印象をほずんど感じないのではないか。そこにあるのは、青く茝く、たばゆいばかりの矎しさだけ。そしおこの矎しさを前に、異なる文化を持぀人々の間に、繋がりず共鳎の感芚が蚪れる。珟代のシルクロヌドは、より玔粋な奜奇心ず感情が亀錯する堎所なのだ。

    チャむハナの幞犏論


    ブハラやサマルカンドで、ちょっずした䌑憩をしたいずきにチャむハナ屋倖にあるお茶凊)によく立ち寄った。

    チャむハナはだいたい決たっお屋倖にあり、池や氎路が近く、朚陰の䞋の颚通しのよい堎所にあるので、日䞭暑いずきは涌を求めおお茶をした。疲れおいるずきはチャむハナで午埌のお茶ずいうかビヌルから倕飯たでダラダラず枈たせおしたうこずもあった。

    りズベキスタンのチャむハナには​日本のカフェのように、䞀人でパ゜コンに向かっお黙々ず䜜業をする人は誰もいない。お客さんはおそらく地域の人々で、䜕人かのグルヌプで蚪れ、倧きなベッドのような座卓タプチャンに靎を脱いで䞊がり、あぐらをかいたり寝そべったりしながら、䜕時間もお茶を飲み、ただただダラダラずおしゃべりを楜しんでいる。和やかな時間がゆっくりず時が流れる。​家族なのかご近所さんなのか、友人なのかわからないが、老若男女いろんな人がいる。圌らの衚情は䞀様に柔らかく、どこか満ち足りおいる。

    その境界線のない寛ぎぶりを芋おいるず、たるで自宅の「リビングルヌム」を街にアりト゜ヌスしおいるようだず思う。 プラむベヌトな空間での安心感をそのたた公共の堎に持ち出しおいるような、人々の枩かな雰囲気。

    ​先述した通り、䞀人圓たりGDPずいう経枈指暙で芋れば、決しお裕犏な囜ではないりズベキスタン。それなのに、ここには栌差ず貧困の圱がない。

    この、䞍思議なほどに均質な「チャむハナ的幞せの颚景」は、䞀䜓どこから来おいるのだろう ​

    い぀もの癖で、぀い぀い情報を集めおしたう。。。自分の問いに玍埗のいく答えを芋出すためだけに。

    チャむハナの歎史、的なこずで時間を遡るず、チャむハナが生たれたのは玀元前䞭䞖。シルクロヌドの党盛期には、チャむハナは砂挠を越えおきた旅商人たちの䌑憩所であり、呜を繋ぐオアシスの絊氎所だった。過酷な砂挠地垯を抜けお、今のサマルカンドやブハラのようなオアシス郜垂にたどり着くず、旅人たちは、チャむハナで靎を脱ぎ、緊匵を解いお寛いでいた。

    ​やがおお茶が庶民に普及するず、この堎所は旅人のためだけでなく、地域䜏民のための空間ぞず客局を広げおいく。りズベキスタンに深く根付く䌝統的な近隣コミュニティ、「マハッラ」の瀟亀堎ずしお。​​マハッラの盞互扶助具合は、調べおみるず盞圓手厚いもので、冠婚葬祭から家の建お替えハシャルず呌ばれる共同劎働たで、人生のすべおを地域党䜓で助け合う、血瞁を超えた「運呜共同䜓」のようなもの。旧゜連がこの地を支配した時も、マハッラを砎壊せず、末端の行政組織ずしお、富や犏祉の再分配の噚ずしお利甚しおいる。​

    マハッラの䞭では、コミュニティメンバヌの誰が困っおいるか、誰が助けを求めおいるのか、おそらく、口コミで情報が広がる。西欧的な個人䞻矩から芋れば「プラむバシヌがない」ず映るかもしれないが、裏を返せば「誰䞀人取り残さないコミュニティ瀟䌚」の実珟でもあるのだ。

    圌らがあんなにも柔らかい衚情でいられるのは、個人の資産が倚いからではない。マハッラずいう共同䜓に党存圚を包み蟌たれ、肯定されおいるずいう、絶察的な安心感があるからなのではないか。そんなこずを考えた。

    チャむハナで時間を気にせず過ごす人々を芋おいるず、劎働→生産→消費ずいうサむクルの䞭で、時間削る資本䞻矩的な生き方をしおいる自分に疑問を持たざるを埗なかった。なぜ消費するために働くのかななぜタむパを求めお生きるのか 昌間にあくせく働くよりも、倧切な人ずお茶を飲んで笑っおいた方が楜しいじゃないか・・・それで䜕䞍自由のない、飢えるこずのない生掻が保蚌されるなら。。 あたりにもシンプルな本音。

    私たちは働きすぎお、ストレスをためお、倧切な人たちをたたに自分の感情のゎミ箱にしお、地球の資源を枯枇させお、䞀䜓䜕をしおいるんでしょうね。

    りズベキスタンのチャむハナの光景は、資本䞻矩ずいう枠組みから倖れおみたずきに、劎働→生産→消費のサむクルからいったん逃れおみたずきに、「私たちはいったい䜕のために生きるのか」ずいう問いを、優しく突き぀けおくるようだった

    参考文献
    「サマルカンドブルヌ」に぀いお
    ・井本 英䞀「青の色圩衚象」『囜際文化論集』第36号、2007幎、1–32頁。
    ・田枕五十生「シルクロヌドの䞖界遺産を蚪ねお―りズベキスタン歎史玀行―」『高円史孊』第21号、2005幎、51-68頁。
    ・川口琢叞『ティムヌル垝囜』講談瀟講談瀟遞曞メチ゚、2014幎。

    「マハッラ」に぀いお
    ・りマロノァ グルバホル, 暋枡 雅人. 「りズベキスタンのマハッラ : 瀟䌚自治組織ずしおの発展の歎史」『地域経枈経営ネットワヌク研究センタヌ幎報』第4号、2015幎、147-155頁。
    ・菅原 箔. 2007. [曞評] ティムヌル・ダダバ゚フ著『マハッラの実像 ―䞭倮アゞア瀟䌚の䌝統ず倉容』. むスラヌム䞖界. 69, p. 68-74.

     
     
    旅゚ッセむのようなものを曞いおいきたす。

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