
「思考と記憶を連れて発つ」
これは、わたしの父と母が離婚するはなし。
当時のわたしは中学3年生だった。元旦に財布を紛失した父へ、どことなく「今年は、父だけでなく、長野家の運が、無さそうだ」と思ったことは、いまでも忘れない。結局、財布が見つかったかどうかはわたしのなかで肝要では無く、記憶から葬られた。
2月6日は、母の誕生日だ。この年は、わたしが父に、母の好きなものをはじめて打ち明けた日だった。「だから、これがいいと思う。一緒にこの財布を買って欲しい」と。父におねがいした。父は納得して、快諾した。ように、みえたんだけどな。
その1週間後。父が帰宅するなり、彼は、わたしの眼睛をまえにして、呵呵として頤をほどいた。かまびすしい。イヤな予感とともに、彼は、机上になにかを叩きつけた。音に伴って交睫したが、それはつかの間。めをあけてみると、机上に有る、在る、のは、離婚届だった。
動揺して焦点が合わない視界で「夫」の欄がことごとく埋め尽くされていることは視認した。
なぜ、彼は。そんなにわらって。何を、しているのか。だって、1週間前は、ママの。誕生日をいっしょに、祝って。………………。
これ以上に不可解だったことは、わたしの人生で、嘗て、無い。
なみだがでたか、こころのアイの枯死から血液も貧血で、でなかったか。おぼえていない。
しかし、むかし。わたしが小学生のころだろう。スカイツリーが竣工したとき、わたしのなかで「必ず3人で、行きたい。ひだりはママに、みぎはパパに、手を、つないでもらって。行きたい」と、秘めごとがあった。
記憶の暴力に、あとから嗚咽した。地団駄を踏み、悲愴が絶えない整理のつかない感情から、押し殺せないこえとなみだに、嗔怒を向けた。
むなしくも父のイジョウは続いた。
「虫がいる、俺の部屋に虫が!」
実際には虫は1匹たりとも存在しない部屋。
「この携帯(会社で支給されている、ガラケーである。)は壊れてる」
何も壊れていない。ガラケーを圧し折るあなたが、壊している。
「俺はおかしくない!それなのにお前は!おまえは!」
会社から、精神科通院を推奨する電話が轟く。
母は、窶れてどもることが多くなった。背なは丸まり「ごめんなさい」が膠着していた。
わたしは華の女子高校生、では無く、課題に追われ、帰宅時間が20時をゆうに越えることが屡々あった。帰宅しても、オカしな瑣末事による諍いや投擲する音が滔々ときこえる。
愛犬はそれらすべての機嫌をうかがっていた。
喧喧囂囂がきこえるのに、わたしは。孤独。
1度、帰路に就くバスで、疲弊から寝過ごし、起きた拍子にあわてて母へ通話をかけた。
「も、もしもし……。愛美?…………ハア!?なに、な……わ、わたし、私が遅くに帰ってきたらパパに怒られる、きょ、今日は、……だって、荷物の受け取りをたた、頼まれ、頼まれてて、それで!ああ、もう!なんでなの、どうしてどど、どうして………………」
ごめんなさい。
死にたい。
しにたかった。
それと同時に、わたしは不倶戴天を懐孕した。
父と母と行いたかった秘めごとは訣別した。
コイツらに殺されるくらいなら、わたしが、わたしを殺そうと思った。
わたしは、純情のなみだをさいごにこぼした。
翌日。わたしは母に「離婚して」とつたえた。さらに翌日。母の返事を待たずに、わたしは教諭へ「両親が離婚するので、転校の手続きをとってください」とつたえた。
その後は「実はこの子の虚構です」と言える心境も都合も無く、話はトントン拍子に進み、母方の実家へ徐々に荷物を送った。父は1階で主に居住していたため、2階のわたしたちの私物がまるで無いことには、なんにも。気づかなかった。
家を出ようと思った矢先に、ようやく気づいた父の、切歯扼腕を目のあたりに。そして慮外なく「出てけ!!」と声を張り上げられた。
ころされる、と、思った。
わたしは愛犬を抱えて、母に言われるがまま、乗車し。ながらく交睫した。
父は、イジョウに、なってしまった。それは申しわけないが、わたしのなかで「事実」として確立している。
しかし。父は、母の誕生日プレゼントを一緒に選んでくれた。父は、わたしの幼少期にサンタのコスプレをして、プリキュアの洋服を贈ってくれた。父は、わたしとランドセルをいっしょに選んで「よく似合う」とわらってくれた。
愛だった。愛情、だった。
このようなかたちで、かぞくが瓦解したことには、いまもなお、怨入骨髄の念が在る。
しかし。いままでの、愛情は。紛れもない事実で。愛情の尊さへ、気づくこともできた。
不憫な門出では無い。わたしの、第2の人生が、はじまった。だけだ。
なみだで濡れて、自分を殺した日々も、たしかに、わたしに、必要な人生だった。
それだけだ。
ママ。愛してくれて、ありがとう。
パパ。愛してくれて、ありがとう。