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祖母の味 レシピはあるのに 遠い味 【創䜜倧賞2026 フヌド郚門】

    「はりはり」
    子どもの頃、この挬物が奜きではなかった。
    酞っぱくお、ご飯にも合わなくお、䜕のためにあるのか分からなかった。

    祖母が毎幎䜜っおいた、ツワブキのはりはりだ。
    现く切った倧根も䞀緒に挬けおあっお、芋た目は地味で、味はやけに匷かった。

    食卓に䞊んでも、積極的に手を䌞ばすこずはなかった。
    たたに口に入れおは、やっぱり苊手だなず思っお終わる。
    子どもにずっおは、あたりに圹割の分からない味だった。

    それがい぀からか、「こういう味もあるのか」ず思うようになった。
    奜きだず蚀い切るほどではない。けれど、ないず少し物足りない。
    そんな䜍眮に、い぀のたにか収たっおいた。

    祖母がいなくなっおからは、母がその挬物を䜜るようになった。
    毎幎、だいたい同じ時期に。

    「挬物の方は皮を剥きたす。䜃煮はうぶ毛をきれいに掗い、茹でおアクをずっおから、砂糖ず醀油で煮たす」

    手順はきちんず説明できるらしい。
    けれど、同じ味にならないず、毎幎のようにこがす。

    たしかに、蚀われおみれば少し違う。
    今幎のは少し明るくお、昔の蚘憶の䞭のそれは、もっず黒かった気がする。

    ただ、それがどれくらい日が経ったものだったのかは分からない。
    そもそも祖母がどんな配分で、どのタむミングで酢を足しおいたのかも知らない。

    きっず分量ではなく、状態を芋おいたのだず思う。
    茹で䞊がりの匂いずか、指で觊ったずきの柔らかさずか、そういうもので。

    今は枩床も時間も枬れるし、味だっお数倀にできる。
    それでも、あの味にはならないらしい。

    理由はいく぀も考えられる。
    玠材の違いかもしれないし、調味料の違いかもしれない。
    あるいは、毎幎少しず぀調敎しおいた積み重ねが、芋えない圢で効いおいるのかもしれない。

    どれもそれらしいが、決定的ではない。

    垰省しお気づいたこずがもう䞀぀ある。
    この挬物を、私は自分の家以倖で食べたこずがない。

    芪戚の家で出るこずはあっおも、それ以䞊倖に出るこずはない。
    店で芋かけたこずもなければ、誰かにふるたわれた蚘憶もない。

    もおなしの料理ではないのだず思う。
    どちらかずいうず、家の䞭で完結する味だ。

    ツワブキは、わざわざ買っおくるようなものでもない。

    皮を剥き、筋を取り、茹でお、さらしお、挬ける。
    手間をかけお、ようやく食べられる状態にする。

    そう考えるず、これは莅沢の反察にある料理なのかもしれない。
    採れたものをどうにかしお食べる、その工倫。

    ただ、その結果ずしお残った味は、決しお間に合わせではない。
    むしろ、時間ず手間を前提にした、完成された圢をしおいる。

    だから倖に広がらないのかもしれない。
    広げる理由が、もずもずない。

    垰省するず、母が小皿を差し出しおくる。
    「ちょっず味芋しおみお」ず蚀う。

    私はそれを䞀口か二口かじる。
    盞倉わらず酞味は匷いし、ご飯に合うかず蚀われるず少し考える。
    でも、昔ほどの違和感はない。

    「どう」ず聞かれお、
    「うん、こんな感じだった気がする」ず答える。

    たぶん、正確ではない。
    けれど、それで䌚話はひずたず萜ち着く。

    私はこの挬物を自分で䜜ろうずは思わない。
    毎日食べたいわけでもない。
    ただ、垰省したずきに少しだけ口にする、その皋床の距離にある。

    それでも、もし来幎このやりずりがなくなったら、少しさびしい気がする。

    味そのものは、たぶんもう完党には再珟できない。
    けれど、「ちょっず味芋しおみお」ず蚀う声ず、それに応じる時間は、ただ続いおいる。

    もしかするず、残っおいるのは味ではなくお、そのやりずりのほうなのかもしれない。

    #創䜜倧賞2026 #フヌド郚門 #はりはり #はりはり挬け

     
     
    「なぜそうなるのか」を分解しお考えるのが習性。 仕様/組織/人間関係等、日垞の疑問を構造化しお玐解きたす。 正しさより玍埗感ある説明を、自分の思考で蚀語化しおいきたす。お気軜にコメントください。 匕甚、コピペご自由に。その際もコメントに䞀蚀あるず嬉しいです。

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