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好きを壊す前に、手を放した話。

    ラジオが好きだ。

    独身の頃からよく聞いていた。

    学生の頃、休日なんかは夕方のまだ明るいうちから、

    お風呂にポータブルラジオと、水を持ち込んで、2時間は籠もっていた。

    そういう日は必ず一番風呂で、父には「トヨは風呂が長過ぎる!」と言われた。

    いいの!

    ワガママな娘だった。

    いまは専ら、息子を幼稚園に送る車内。

    そして帰ってから、そのまま続けて(今度は、radikoで)聞くことが多い。

    自分の知らない曲も、知っている曲も、ジャンル問わずかかるし、

    メッセージテーマに沿った話題は、気付いたり、考えるきっかけにもなったりする。

    ***

    先日の朝、ラジオから流れてきた言葉に、思わず「ふむ」と唸った。


    「まだいける」と、「ここで休んだ方がいい」の境界線はどこでしょうか。気付くきっかけはありますか?


    その日のラジオは、全部聞けなかった。だけど、その言葉は、耳に残った。

    境界線。

    いまは専業主婦なので、わたしが倒れたら生活が回らなくなる。

    特に、まだ乳離れができていない1歳児がいて、わたしがいなくなったら。

    長男は年長と言えども、中間反抗期真っ只中で、裏を返せばもちろん、まだまだ甘えん坊。

    シフト制で、休日も不規則な夫が、その上24時間、子どもたちを生かしながら生活を回す。(わたしは「世話」という言い方が、好きではない。上の立場の人間が、下の人間の面倒を見てあげる。そんな、どこか義務的なニュアンスを感じるからだ)

    うん。

    どう考えても、詰むだろう。

    つまり、わたしは倒れるわけにはいかない。

    仕事をしていた頃。

    たしかに、インフルエンザで休みます、や、長期休暇(限界とは違うけれど)をいただきます、と言ったことはあった。

    どちらも、突発的な部分と、計画的な部分では違うが、

    いつ自分がいなくなっても、仕事が回るように、必ずタスクそのものと進捗状況の見える化(エクセルや、メモ書き程度のものまで)と、

    担当になった仕事は必ずマニュアル作りをおこなっていた。

    それに、体調管理はそもそも生きていくうちの、ひとつの仕事だと思っていたので、

    抗えない現実はあっても、自分の身体をきちんと忘れないようにしようと心がけていた。

    わたしは風邪を引く前に、必ず関節が痛くなり、寒気がし、高熱に陥る。その代わり一日、もしくは二日で回復する。

    生理になれば、何日後にどのくらいの、どんな辛さがあるとか。

    頭の中心がガンガンするような頭痛が起きたときは、まず睡眠を取るとか。

    そうした、体調不良のパターンが、いくつかわかっていたこともあったからだと思う。

    とは言え、もちろん完璧にこなせる訳もなく、

    体調不良で数日休むくらいなら、半休をいただいてしっかり休もう、と周囲に甘えさせてもらっていたこともある。

    それから、意外と多忙や疲労の渦中にいると気付けないこともあって。

    逆に言えばそれは、自分の限界点を知るきっかけにもなった、と捉えられるだろうし、

    そのまま、そのピークを乗り越えて、限界点がまたさらに遠くなったり。(もちろんそのまま限界点で、倒れる可能性もある)

    つまり、限界の境界線は、 「自分がどこまで頑張れるか」ではなく、

     「倒れたとき、周囲にどんな影響が及ぶか」 という場所に、引くべきなのかもしれない。

    待てよ。

    じゃあ、もっと、昔は。

    こうした、教科書通りの回答でなく。わたしの限界はどうだったんだろう。

    そんなことを考えた。

    昔のわたしは、限界まで走れることが、強さだと思っていた。

    苦しくても、眠くても、しんどくても「まだいける」と言える人の方が、

    足を止めるのではなく、足を出すことが、

    正しいのだと。

    けれど今は、少し違うことを思う。

    人は、限界を超えても、走れてしまう。むしろ、頑張れる人ほど、止まるタイミングを失う。

    足を出すのではなく、足が出てしまう。そのまま、いつか転倒するのだ。

    もしかしたら、そのままもう起き上がれないかもしれない。

    ***

    わたしの高校時代。

    所属していた吹奏楽部は、朝から晩まで練習があった。

    夏休みは3日間。

    学校まで遠いこともあったので、冬はオリオン座が見える時間に自宅を出て、駅まで自転車を漕ぎ、

    帰りもまた、オリオン座を見ながら家まで自転車を漕ぎ、翌朝は、同じ時間に同じことをしていた。

    辛かったかと聞かれれば、辛くなかった。辛いと考えたことはなかった。(いま、同じ生活を三年間送れるかと聞かれたら、即答はできない)

    朝起きたら顔を洗う。悪いことをしたら「ごめんなさい」と言う。それくらい、あのときの生活は、当たり前だったから。(卒業したタイミングで、家族の支えをどれだけ実感し、感謝したことか!)

    何より、吹奏楽が好きだった。だから、限界なんて考えたことがなかった。

    へとへとになって、疲れたぁ!と帰宅して、だけど、毎日笑っていた。

    周りも同じように頑張っている。自分だけ止まれないし、止まる選択肢なんて、浮かんだこともなかった。

    やって当たり前。

    周りがやっているのだから、わたしには「できない」という発想そのものが、なかった。

    それだけ、充実できていたし、やりたいことをやらせてもらえていたと思う。

    ところが、大学の吹奏楽部に入って、しばらく経った頃のことだ。

    ある日の練習前、ホルンケースに手をかけたまま、バックルが外せなくなった。

    開ければいい。いつもみたいに楽器を出して、マウスピースをつけて、音を出せばいい。それだけなのに。

    体が、動かない。

    心臓がドクンドクンと音を立てるのがわかる。何か不穏な空気が、わたしに覆いかぶさってきている。

    「練習に行きたくない」ではなかった。もっと手前の、言葉にしにくい感覚だった。

    この場所で、楽器を出したくない。

    無理だ。

    限界に気付くこと。途中でやめることは、とても怖いものだと思っていた。

    だから、退部届を出したときは、情けなかった。

    やりきれなかった。好きなのに、続けられなかった。

    限界に達したのは、自分の管理ができていなかった証拠。止まることは、負けることと同じ。

    わたしは、わたしを裏切った。

    恥ずかしい。

    そう落ち込んだ。

    やめたあと、しばらくして一般の吹奏楽団体に入った。

    「吹奏楽=部活」しか知らなかったわたしが、別のドアを開けた瞬間だった。

    好きなまま、続けられた。やめたから、できたことだった。

    あれは挫折だけでなく、限界を知るきっかけになったのだ。

    「そうだったんだなぁ、きっと」

    時間はかかったけれど、違う視点から、受け止めることができた。

    そしてそのときに、身体が教えてくれた限界の場所を、わたしはちゃんと覚えた。

    ***

    いまでも、「まだいける」と思ってしまう瞬間はある。

    自分で、限界値を決めつけないようにしようとも思う。

    でも昔より、一歩下がることを、前ほど怖いと思わなくなった。

    限界は、越えて初めて知ることもある。

    けれど本当は、壊れるまで頑張れることより、壊れる前に気づけることの方が、

    実はずっと難しいのかもしれない。

    ホルンケースを開けられなくなったあの日。

    身体はちゃんと、わたしを守ってくれたのだ。

     
     
    普段は見過ごしてしまうような感情。 体験や記憶のなかに残る違和感や沈黙を、言葉にしていきます。 noteには、少し長めに。 日々の静かな出来事は、小さくブログに綴っています。 よかったら、そっと覗いてみてください。 https://ameblo.jp/toyo-tanime/

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