
日傘、一長一短
五月が初夏だったのは、いつまでだったろう。
もはや夏日、真夏日を記録するのは当たり前のように感じる今日この頃である。
今日も日傘を手にスーパーへ買い物へ行く。
我が家には今、二本の日傘がある。
以前から持っていた長柄タイプの日傘と、最近購入した折り畳みタイプのそれ。どちらも晴雨兼用だ。
折り畳み式の日傘は、小さい、軽いを最優先に選んだのだが、それが失敗だったと感じることが多い。
駅への道すがら、風にあおられて生地部分がひっくり返ること数回。
それだけでイライラゲージがたまりまくる。
軽さを実現するためか、骨が細いようだ。
風にあおられない角度を保つと、首筋が日に晒されて日傘の意味をなさない。
日を遮るように持つと、風をまともに受けてこれまた日傘の意味をなさない。
駅まで徒歩十三分の道で、およそ九分ほどはイライラに苛まれながら歩くことになる。
一日のうち、日傘を使うのはこの十三分だけだ。
あとは鞄の中にある。
だからこそ小さくて軽い、荷物にならないものをと求めたはずなのに、肝心の日傘としての機能が致命的のように感じるのだ。
遮熱性は高く、長柄タイプの日傘よりは涼しいのだが、いかんせん風にあおられて生地がめくれるので、その時は顔面が日のもとに晒される。暑い。
その点、長柄タイプは風に強く、安定した差し心地は上々だ。比べれば重いといえるが、許容範囲である。
役目を終えても手に持って歩く必要はあるので、邪魔と言えば邪魔だ。だけど使用時のイライラなどほぼ皆無なのは優秀ではなかろうか。
遮熱性が少し劣るために、暑さを防ぐ意味では折り畳みの日傘に軍配が上がる。
鞄に入れたか不安になるほどに軽いのも、折り畳み日傘の優れたポイントだ。
折り畳み傘のデメリットとして、畳む作業が必要という点がある。
長柄タイプも畳むのは同じだが、手間や工程が段違いだ。
特に私は折り畳み傘をきっちりきれいに畳みたいタイプで、生地がくしゃっとなっている状態でボタンを留めたくないという変なこだわりがある。
駅について改札を通り、ホームに着くまでずっと畳みながら歩いている。それでも最後のひと巻きで一部がくしゅっとなるのが許せないが、仕様のようでどう頑張っても生地がきれいに伸びた状態で収まってくれないのである。
日傘の歴史は約4000年前の古代エジプトやギリシャから始まったようで、日本では江戸時代以降に普及したらしい。
現代では3秒で折り畳める傘や、閉じて数回振るだけできれいに整う技術を搭載した傘が販売されている。
技術の進歩、素晴らしい。
もし買い替えるなら候補に入ってくる商品たちだが、気になるのは重さ。
ネットショッピングでは傘の重みや差した際の感覚が分からない。グラムで表記されていても、持った感じや、しっくりくるかどうか、は無視できない。
しかも私にとってはそこそこのお値段がするシロモノなので、ストレスフリーのためには投資も必要かと思う反面、費用や今ある傘の処分のことを考えると買い替えも躊躇してしまう小市民でもある。
今日の最高気温は二十七度となっていた。
燦々と降り注ぐ太陽の光は、涼しい室内から見る分にはとても気持ちがいい。
ただその下を歩くには、十分な装備が必要な時代というだけだ。
今後もしばらくはイライラゲージをためながら地味なストレスと戦いを繰り広げる日々なのだろう。