
日本三大仏最後の一つ、きっと貴方は行っていない
静かな場所で大仏を思う
今俺がいる能登の珠洲市。
ここには、
美しい海と、
厳しい自然、
そして、
忘れがたい悲しみの記憶と、
それでも前を向く人々の、
尊い営みがある。
きらびやかな観光地とは、
全く違う。
だが、
こういう場所に身を置くと、
俺たちは、
自然と、
根源的なことを考え始める。
生きること、
死ぬこと、
そして、
人は何に祈り、
何を信じて生きてきたのか、と。
そんな時、
俺の頭にふと、
あの巨大な仏様たちの姿が、
浮かんできたんだ。
奈良と鎌倉俺たちが知っている巨大な祈り

奈良、東大寺の大仏。
盧舎那仏(るしゃなぶつ)。
あれは、
聖武天皇が、
国家の安寧を願って造立した、
まさに「国を挙げての巨大プロジェクト」だ。
そこには、
天平文化の華やかさと、
仏教の力で国を治めようとした、
圧倒的な「権力」の意志が感じられる。
一方、
鎌倉、高徳院の大仏。

阿弥陀如来。
かつては大仏殿の中にあったが、
度重なる災害で、
今では屋外に座している、
露坐(ろざ)の大仏だ。
風雨に晒されながら、
静かに、
しかし、
揺るぎない姿で、
人々を見守り続ける。
そこには、
武士の時代の、
質実剛健さと、
あらゆるものを受け入れる、
深い「慈悲」と「忍耐」の姿が見える。
この二つは、
日本の歴史を象徴する、
二つの巨大な「祈り」の形だ。